撮影メモ 2012

撮影日 場所 メ    モ
2012年
12/20
いすみ市 いすみ市にあるポッポの丘に船の科学館に居たDE10が移動していることから、今年最後の撮影場所とした。 このHPに書いておいたMapCodeをメモして、カーナビにセットして出かけたが、ナビが指示した場所に到着しても目的地であるポッポの丘は見えない。 そこで、カーナビのデータをチェックしたところ前回訪問した際のデータが消去されずに残っていた。 その場所を再セットしたところ、10km以上も離れた場所が出てきた。 ショックである。 もし、このHPのデータを利用されたポッポの丘に行かれた方が居られたとしたら申し訳ない次第である。 
ポッポの丘について車両の状況を見たところ、この1年でキハ381、営団の454、オロネ242、オハネフ242、DE1030と5両も増えていた。 
今年の撮影はいすみ市にあるポッポの丘で始まり、ポッポの丘で終わることになった。
2012
11/11
立山町 8日から10日まで五箇山に合掌造りを訪ねる研修旅行に参加した。 この旅行は名古屋集合・名古屋解散であったが、帰路に白川郷で旅行メンバーと別れて高岡に向かった。
今回の目的地は立山にあるカルデラ博物館。 この博物館には2009年8月に車で訪問したが、閉館時間に間に合わず、館内で保存されているDLが撮影出来ずに残されていた。 朝、富山地方鉄道で立山に向かったが、途中、常願寺川橋梁で列車が止まるような速度となり、運転手が常願寺川と鉄橋のすぐ上流にある砂防ダムの解説を始めたのには驚いた。 これまで、様々な列車に乗ったが、普通の定期列車でこの様な解説を聞いたのは珍しい経験であった。
立山にはカルデラ博物館の開館前に着いたので、先ず、トロッコ展示線を見に行った。 前回来たときにはKATOのDLと大山遊園の車両が置かれていたが、今回は大山遊園の車両は居らず、立山砂防の人車が2両置かれていた。 カルデラ博物館開館と同時に入館し、SABOホールに置かれているDLを写して帰宅した。
2012
10/08
島田市 大井川鉄道の蒸気機関車群でC11312とC12208の2両は現用機関車に対する部品取り用として保存されている。 これまで、何回か来て、新金谷駅周辺を探しても判らなかったが、先日、Netを見ていて新金谷駅からの側線が大井川方向に伸びており、その終点付近に居ることが判明した。 10月6日(土)〜10月8日(月)の3連休に大井川鉄道ではSLフェスタを行うとのことであるので、最終日に出かけることにした。 朝6時前に東名にのり、8時過ぎには新金谷に到着。 側線の奥に居る2両の機関車を写した。 C11312は多くの部品が取られており、C12208は葛の様なつる性植物に覆われていた。 
大井川鉄道での撮影後、静岡で用事を済ませ、4時過ぎに清水を出発した。 東名清水ICでは事故による渋滞が30Kmと出ていたが、事故渋滞解消後も交通集中による渋滞が発生し、これに足柄SA付近で引っ掛ってしまい、足柄SA付近から横浜青葉IC迄、通常の3倍の3時間近くかかってしまった。
2012
9/4
伊達市
室蘭市
登別市
白老町
八雲を7時半に出発し、高速で伊達に向かった。 伊達では北海道糖業に向かった。 この会社の正門のすぐ横に5801号機が保管されていた。 室蘭のJRAには客車が4両居るとの事で向かったが、現地には無く、職員の方に伺ったところ、休憩所として使用していたが、数年前に廃棄されたとの事であった。 室蘭ではJRA以外に青少年科学館にD51が、新日本製鉄にはS205が保存されている。 D51は青少年科学館の敷地内にあり、科学館に入館しなければ近くに行けないようになっている。 この為か、運転台にあるメーター類のガラスは破損しておらず、足回りには油が注されており良く手入れがされている様であった。 S205は鐡原コークス室蘭工場の敷地内に保存されている。 場所は敷地の2m位の高さの柵の近くであるり、写すためには足場が欲しい所であった。 白老駅のD51を写して今回の道東撮影は終了した。 
北海道にはスカイマークで来たが、帰りは青春18きっぷを使用するため、今晩は室蘭で宿泊し、明日は秋田での宿泊となる。 行きと帰りの経費を比較すると、帰りは宿泊費が2泊分発生することから、東京→千歳よりも高くなる。 でも、各停に乗ることが楽しい。 
2012
9/3
福島町
北斗市
函館市
七飯町
今日は瀬棚の国民宿舎を8時に出発し、松前・福島・函館と写しながら八雲まで移動した。 福島町では青函トンネル記念館に行ったが車両は1台も無く、町役場に行って聞いたところトンネルメモリアルパークにトンネルの記念碑があるとの事で、メモリアルパークまで戻った処、碑と共に蓄電池機関車が置かれていた。 上磯の電気機関車は2色に塗られていて東洋電機にいる黒1色の兄弟機とは一寸、趣が違っていた。 ききょう幼稚園には781系等多くの車両を保存されている。 これらの車両は園児や職員用用の施設として使用されている。 残念なことに、この幼稚園で保存されている車両は移動機を除いて電車・客車共にダルマであった。 函館からは流山温泉に行き、200系新幹線車両と50系客車を写した。
2012
9/2
余市町
共和町
岩内町
倶知安町
豊浦町
せたな町
今日は小樽を8時前に出発し、余市→共和町→岩内町→倶知安町→豊浦町→せたな町と回った。 岩内運動公園と豊浦町中央公民館ではD51を倶知安町では9600を写したが、倶知安町の96は主連棒などに油が塗布されており、良く手入れが行われていると言う印象をうけた。 余市のカウベル・ラーメンソーラン、倶知安町のレストランブルートレイン、せたな町のバーベキューガーデンに保存されている客車は屋根等がかけられ、本来とはかけ離れた塗装をされているものがほとんどであった。
2012
9/1
札幌市
小樽市
 札幌市交通資料館の開館日は5月〜9月の土・日・祝日と小学校の夏休み期間中との事である。 小学校の夏休みは地方によって異なるために、今回の計画を立てた際に、交通資料館の運営団体に電話で問い合わせたところ、札幌市の小学校のっ休みが基準であり8月31日は休館日との事であった。 この為、今朝、札幌駅でレンタカーを借りて、先ずは自衛隊前駅にある交通資料館に行った。 交通資料館は南北線の高架下に作られており、これらの車両群の中にはどの様にしてここに入れたのか??と思われるものもあった。 この後、キハ242を写してから小樽市総合博物館本館に行った。 前回は2004年に来たが、車両が大分傷んでいると言う印象であった。
2012
8/31
札幌市 道東の保存車両・鉄道記念碑を写すために羽田を6時10分に出発するSKY便で千歳に移動した。 先ずは南千歳駅で石勝線の碑を写してから新札幌に行き、1日乗車券を入手してから北海道開拓の村に向かった。 開拓の村では森林鉄道車庫で2両の機関車・気動車・運材車と鉄道馬車を写してから開拓記念館に行き、上砂川炭鉱の蓄電池機関車を写した。 開拓記念館には展示されていないものとして路面電車・炭車がブルーシートにくるまれて保存されている。 この後、札幌建設運送株式会社に行き札幌市電326を写した。 この後、札幌市内にある鉄道関連の記念碑を写した。
2012
8/11
高崎市 軽井沢駅まで出かけることになったので、その帰りに今年から一般公開された熊の平駅跡にある3つの鉄道碑と、高崎市乗附町の岡運輸機工で保存されているオハ12を写すことにした。 熊の平駅に行く場合、道路端に車を止めて駅まで行かなければならないのかと思ったが、現地に行くと熊の平駅の下に立派な駐車場があり、駅までは階段が設けられていた。  乗附町の岡運輸機工は以前、前を通りながら、車両の存在に気が付かなかったもので、オハ12の車両番号は334であった。 この車両の場所は自分の持っている保存車両リストでの場所と違っていた。
2012
8/8
渋川市
沼田市
みなかみ町
高崎市
今日は上越線でC61が運転される為、渋川〜水上周辺の保存車両を写すことにし、7時に北軽を出発した。 先ず、渋川市内で保存されている2両の20系客車を写すために渋川市中郷のトレイン学童クラブにお邪魔をした。 学童クラブで撮影をお願いしたところ、車両を写す事は良いが、その写真をWeb等に公開することは施設の性質上、お断りしているとの事であった。 トレイン学童クラブから渋川市内に向かい、駅前児童公園のD51と平形眼科の伊香保電鉄のデハ27を写した。 
当初は渋川駅で30分近く停車している際にC61を写すつもりであったが、列車が到着するまでに90分以上もあるため、沼田駅で写すことにし、渋川から沼田市の丸山製作所に立ち寄った後、林業機械化センターに行き林鉄の機関車を写した。 昨年、林業機械化センターに立ち寄った際には機関車は全て不在であったが、今回はボールドウインの他に、DLが2両いた。 木曽森林鉄道の7号機はきれいに塗装されていた。 43と表記してあるDLの前には木曽森林鉄道141号の解説が置かれていた。
この後、沼田駅でC61の出発を写して、水上に向かった。 水上に着くと、C61は既に列車から切り離されており、転車台に向かうところであった。 転車台の周辺には多くの方が見に来ていた。 転車台やその後の出発整備を行っている際のC61と転車台広場に上毛高原駅前から写されたD51745を写した。 水上のホワイトバレースキー場のそばには上越新幹線の新清水トンネルを掘削する際に設けられた保登野斜坑があり、その横には工事での慰霊碑があるので、これも写してきた。
2012
7/24
いわき市 20日より青春18きっぷが通用開始を迎えた。 そこで、これを利用していわき市内の保存車両と鉄道記念碑を写しに出かけた。朝一番の電車に乗り、日暮里経由でいわきに向かった。 途中、水戸での列車の乗り継ぎ時間を利用して水戸駅前にある碑を写した。 この碑は以前にも写したが、駐車場の隣にあり、前回は駐車中の車が邪魔で正面から写す事が出居なかったが、今回は駐車中の車が無く正面から写せた。 本来のの目的地である福島臨海鉄道宮下駅横にある馬頭観世音の所には11時頃に着いた。 この後、小名浜駅でDD501の台車台車を写し、いわき石炭化石館に行った。 石炭化石館の前にはD51946が保存されている。 この車両は2005年に写しているが、その際には石炭化石館内の車両までは写していなかった。 石炭化石館の中で六抗園には昭和天皇がいわき炭鉱に御巡幸され坑内に入られた際に利用された人車の複製が坑口におかれている。 また、館内の疑似坑道には鉱車が、館外には鉱山で使用していたDLやBLが置かれていた。 この後、いわき駅のそばにある龍が城美術館横にある碑を写して帰宅した。
2012
6/10
京都市
大阪市
吹田市
明日、大阪で用事が有るため、今日の早朝に京都まで移動した。 京都では塚本町児童公園の京都市電720を写してから、梅小路に移動した。 今日の梅小路はC56160が戻っており、D51200、C621、C551、8630が扇状庫の外に出ていた。 外にいる機関車が多い事で、扇状庫に入っている多くの機関車が側面を見る事が出来る様に配置されていた。
梅小路から吹田操車場跡に移動し、新幹線0系の22−7007を訪問したが、保存されている場所に行くと、車両全体に白い布がかけられており、外側の柵も鍵がかけられて近くによる事さえできなかった。 
今日は路面電車の日で我孫子道が公開されているので、吹田から天王寺に行き、阪堺のフリー乗車券を購入して我孫子道に行った。 我孫子道では現役最古の路面電車である161と旧京都市の256が柵の内側で展示されていた。 この後、賢明学院幼稚園と東三国小学校に出かけたが、賢明学院の方に伺ったところ、阪堺モ212は既に解体したとの事であった。
2012
5/ 8
朝霞市 陸上自衛隊輸送学校には100式鉄道牽引車が保存されている。 この車両を写すために一昨年、朝霞にある自衛隊輸送学校に問合せをしたところ、修復中で輸送学校から移動しているとの事であった。 最近になり、再度、輸送学校広報担当の方に連絡をしたところ、許可を頂けたので、朝霞基地に出かけた。 基地入口で広報担当の方と会い、輸送学校に案内をして頂いた。 車両の修復は当初、数ヶ月の予定で行われたが、エンジンを除いて、ベンチレーター・エンジンルームカバーなど可動部がきちんと様に修復が行われていた。 修復作業は震災の影響で3カ月ほど延び、昨年6月に完了し公開を再開したとの事であった。 
輸送学校には車両等の輸送に鉄道を使用するための訓練機材としてチキ等の貨車があるとの事で、100式鉄道牽引車撮影後、3両の貨車についても写させて頂いた。
2012
4/25
北杜市
南牧村 
2009年7月に北斗市のたかね荘から清里駅前に移設されたC56149の写真は移設工事中に写したもので有ったため、工事完了後の写真を写すために、清里迄出かけた。 移設から3年弱経過しているが車両の解説文もつけられ、きちんと展示されていた。 この後、野辺山駅前のC56を見るために移動したが、途中のSLランドでは、園周を走る列車の機関車がいつもの蒸気機関車ではなくSAKAIのDLであったため、早速、写してきた。 
野辺山駅には最高点に有る駅である事を示す碑が建立されているが、今回の訪問で、更に1つ追加されている事に気が付いた。 最高地点には2つの碑が有るが、最高駅(野辺山)には4種類(5か所)の碑が建立されている。
2012
3/10
3/11
名古屋市 三重に出かける用事が出来たので、1日前に出発し、JR東海が作った、リニア・鉄道館に出かける事とした。 朝、小田原からのひかりに乗り、昼一寸前にリニア・鉄道館に着いた。 館に入ると、先ずスピード記録を持つ3両が展示されたシンボル展示室になっている。 この部屋に入って心配になった。 暗い・これで写真が写せるか? シンボル展示をどうにか写して車両展示の方に行くと、人が多い。 車両を写す際、人が入らないように写すのに苦労した。 それでも、人を含めずに写すのが困難な車両もあった。  収蔵車両エリアは車両の間隔が狭く、ほとんどの車両は妻面が主体の写真となった。 
半田市 半田駅前に保存されているC11を写した。 この車両は2007年3月に半田市民ホール跡地に居た際に写したが、そのすぐ後に、半田駅前に移動したものである。  この後、武豊駅前と稲沢駅前の碑を写して三重に向かった。
2012
2/22
江東区 昨年末に夢空間車両で尾久に残されていたオロネ25901が木場に現れたとの情報に接した。 車両を見た方の情報から新規所有者(アタゴールと言うフランス料理店)のホームページを調べると2月下旬には開店との情報が書かれていたが、最近になって開店したとの内容となった。 そこで都内での用事の前に写すべく、小田急メトロフリーパスを購入して出かけた。 午前中は道楽で過ごすべく、先ずは東京駅で東海道新幹線関連の記念碑を写そうと、メトロパスを自動改札に挿入したが、エラーとなって改札が開かない。 仕方なく、有人改札から出て、東京駅構内の碑を写し、再度、メトロ東京駅の自動改札にフリーパスを挿入するも、やはり、NG。 駅員が東京メトロ内のみのフリーパスをフリーパスを渡してくれ、小田急で下車する際には有人改札を通る様にとの指示を受けたのち、移動を再開。 木場駅で下車し、首都高のIC付近まで行くとオロネ25周辺は整備されていた。車両を写している間にも、開店祝いの花を持ち込む方が居た。 車両を写した後、南砂緑道の城東電車跡にある車輪の碑を写して、午後の用事へと向かった。
2012
1/25
いすみ市 最近は東京近郊での保存車両撮影は落ち穂拾い的になってきた。 今月は千葉県いすみ市に出来たぽっぽの丘に出かけた。 朝8時前に家を出て、アクアラインを通り、長瀬駅の碑を写した後、房総半島を横断して昼ごろに現地に到着した。 現地には昨年末に銚子電鉄から来た2両を含む4両の電車と1両のディーゼル動車以外に、入替動車1両、車掌車4両がいた。 入替動車はポッポの丘の写真などで一部見かけていたが、車掌車4両が居ると書かれたものを見ていなかった為、想定外であった。 この後、勝浦駅に行き、房総線複線化記念碑を写して帰宅した。


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