群馬県 渋川市

D51724
 

保存場所 : 渋川駅前児童公園 ( Map Code : 94856360*31 )
 蒸気機関車D51はその雄姿と牽引力の強さから永い間蒸気機関車の王座に君臨し愛称デゴイチの名称で親しまれてきました。
この蒸気機関車D51724号は戦中戦後の混乱時代に最っとも活躍し白い蒸気を吐きながらその力強い姿を渋川駅にも見せ市民の皆さんの足となりその重責を果たしてきました。
 その走行キロ数は実に205万キロに達しておりこれは地球を51回も廻ったことになります。 今自からの使命を全うしてこの場に設置されることになりました。
(解説より)
伊香保電鉄 27
 

保存場所 : 平形眼科 ( Map Code : xxx )

伊香保温泉に移動しました
伊香保電鉄 27
 
保存場所 : 峠の公園 ( Map Code : 94876485*00 )
チンチン電車
 チンチン電車は、高崎及び前橋から渋川を経て伊香保に至る全線単線の路面電車で、次の三線四八Kmからなっていました。
   ■高崎線   二〇・九Km(高崎駅前〜渋川長塚町)
   ■前橋線   一四・五Km(前橋駅前〜渋川新町)
   ■伊香保線 一二・六Km(渋川新町〜伊香保)
 明治二三年(一八九○年)に上毛馬車鉄道として前橋線が開業、明治二六年(一八九三年)には群馬馬車鉄道として高崎線が開業し、明治四三年(一九一○年)に伊香保線が伊香保電気軌道として開業しました。
 その後、昭和二年(一九二七年)一○月、東武鉄道が伊香保線も含めた三線を東京電灯から買収し、伊香保線を「東武鉄道伊香保軌道線」として営業を続けましたが、全国に普及し始めた安価で利用できる乗合バスの影響により、昭和一○年(一九三五年)には一旦廃止が決まりました。
 しかし、昭和一二年(一九三七年)の日中戦争から第二次大戦にかけて戦時輸送に切り替わり旅客は増加し、伊香保へ学童疎開していた子どもたちや町民のために食料を届ける役目も担いました。
 戦後の混乱期も、通勤や買い物にも利用され、ピーク時の昭和二四年(一九四九年)には年間四九五万人の利用客がありましたが、バスの輸送網が整備されてくると経営は悪化し、昭和三一年(一九五六年)二月二八日限りで惜しまれつつも廃線となりました。
伊香保軌道線
 伊香保軌道線は、当時伊香保の有力者によって設立され、渋川から伊香保までの高低差五二四メートル、平均勾配四一・八‰(最急勾配五七・一‰)というまさに登山電車でした。
 伊香保方面へ登るときは、渋川の街を抜けると専用軌道になり、八七カ所に設けられた迂回等のためのカーブによって急勾配を避けるとともに、途中数カ所で「スイッチバック方式」による交換をしながら走行し、逆に伊香保から渋川までは急な下り勾配を利用し、途中はトロリーポールを架線から外し、下り坂の惰性とブレーキの制御だけで渋川の街まで戻ることができました。
 ここに展示してあるチンチン電車の車体は、明治時代後半から昭和時代中盤まで実際に活躍していた実物です。
 台車は、この区間を運行していたものではありませんが、国内の別の場所で運行していたものです。
 どちらも、個人的に大切に保存されていたものを渋川市に寄贈して頂いたものです。
  寄贈者  車体デハ27    渋川市石原    平 形 義人様
         台車ブリル21E  愛知県豊橋市  日比野 浩一様



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