京都府 京都市 |
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223 |
保存場所 : 京都鉄道博物館 (Map Code : 7554044*12 ) 1902(明治35)年から1909(明治42)年にかけて、大阪の汽車製造で41両も製造された国産初の量産型蒸気機関車です。 日本人の体格を考慮した設計や、安定した運転性能が評価され、官設鉄道のほか北越鉄道と北海道鉄道にも納入されました。本機は大正時代中期までは幹線で活躍しましたが、大型機関車の登場により地方線区で運用され、最後は工場の入換機として1959(昭和34)年まで使用されていました。2016(平成28)年には国の重要文化財指定の答申を受けました。 |
重要文化財(美術工芸品) 230形233号蒸気機関車 230形蒸気機関車は、通信省鉄道作業局が汽車製造合資会社に発注し、国産で初めて量産化されたタンク式蒸気機関車である。 イギリスから輸入されたA8形タンク式蒸気機関車を基にして製造するとともに、日本人の体格に合わせて改良するなどの工夫が施されている。 車輪、車軸など一部の部品は輸入品であるものの、走行装置、シリンダなどは、陸軍大阪砲兵工廠より指導を受けるなど、出来うる限り国産技術を用いて製造された。 蒸気機関車の国内量産化の原点に位置する車両形式である。 233号機関車は1903(明治36)年度に竣工し、西日本などで活躍したのち、国鉄高砂工場の入換用機関車となった。1962(昭和37)年に開館した交通科学館で展示するため、国鉄鷹取工場で復元し、現在の姿となった。 当機関車は、先の特徴を持つ230形蒸気機関車の中で国内に現存する最も保存状態の良い機関車であり、「現存最古の国内量産型蒸気機関車」として保存する意義のある車両である。 (解説より) |
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1080 |
保存場所 : 梅小路蒸気機関車館 (Map Code : 7554044*12 ) 1901(明治34)年にイギリスから輸入された「D9形651号機(後に6270形6289号機に改称)」は、東海道本線で急行列車などを牽引していた、明治を代表する機関車の一つです。 その後、1926(大正15)年に「1070形1080号機」に改造され、岐阜県の美濃太田機関区で活躍していましたが、後に日鉄鉱業株式会社に移り、同社の鉱山から産出される石灰石の輸送に1979(昭和54)年まで用いられました。 |
長さ 11.381m 重さ48.0t 動輪直径 1,520mm 総走行距離 不明(日鉄鉱業羽鶴専用鉄道では延べ3千km) 2009(平成21)年9月に日鉄鉱業株式会社から受贈しました(静態保存) (解説より) |
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1801 |
保存場所 : 京都鉄道博物館 (Map Code : 7554044*12 ) 1880(明治13)年に開通した官設鉄道京都〜大津間の勾配区間で使用するため、1881(明治14)年に英国から輸入されたタンク式機関車です。 この機関車は石炭消費量が少なく、運転も容易な設計になっていました。 1801号機は高知鉄道に払い下げられたのち、旧東洋レーヨン滋賀工場に譲渡され、1964(昭和39)年まで使用されていました。 (解説より) |
7105(義経) |
保存場所 : 梅小路蒸気機関車館 (Map Code : 7554044*12 ) |
8630 |
保存場所 : 梅小路蒸気機関車館 (Map Code : 7554044*12 ) |
9633 |
保存場所 : 梅小路蒸気機関車館 (Map Code : 7554044*12 ) 明治時代に使用された機関車はそのほとんどが輸入機でしたが大正初期には国産を使っています。 その最初の形式が9600でこの仲間は大正2年から大正15年までに770両製造されました。 この形式は貨物用として設計されていますので動輪直径が1メートル25センチです。 また先輪が一軸で、砂箱や蒸気だめが低く造られており全体が重厚になっています。 保存の33号は大正3年11月製造で名古屋から富山、そして北海道で働き267万3千キロを走りました。 (解説より) |
この9633はNHKの朝の連続ドラマ「旅路」に主演しており、毎朝、この番組を見るのが楽しみであった。 |
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B2010 |
保存場所 : 梅小路蒸気機関車館 (Map Code : 7554044*12 ) 1945年(昭和20)から1946年(昭和21)にかけて15両が製造された構内輸送用の小型機関車です。 当機は、姫路や鹿児島に所属していたもので、重量は軽くけん引も小さいもので、構内で入換専用機として使用されていました。 また、2002年(平成14)に当館開業30周年を記念して動態整備される事になり、見事復活しました。 長さ 7.000m 重さ 20.3t 動輪直径 860mm 最高速度 45km/h 総走行距離 24万2千km (解説より) |
C1164 |
保存場所 : 梅小路蒸気機関車館 (Map Code : 7554044*12 ) 1932年(昭和7)から1947年(昭和22)にかけて381両が製造された小型のタンク機関車(炭水車を連結せず、機関車に石炭や水をつんだもの)です。 タンク機関車の老巧対策や都市周辺部の頻発サービスのため、C10形を改良し製造されました。 当時は、奈良で都市近郊の快速列車として使用された後、函館では、ローカル線の旅客・貨物列車のけん引など幅広く活躍しました。 長さ 12.650m 重さ 66.0t 動輪直径 1,520mm 最高速度 85km/h 総走行距離 174万1千km (解説より) |
C51239 |
保存場所 : 梅小路蒸気機関車館 (Map Code : 7554044*12 ) 1919年(大正8)から1928年(昭和3)にかけて289両が製造された中型の旅客用機関車です。 当機は、当時最大の1,750mm動輪を初めて採用し、1930年(昭和5)に運転が始まった超特急「つばめ」をけん引した有名な機関車です。 また、お召列車の専用指定機として104回も使用された機関車でもあります。 長さ 19.994m 重さ 113.8t 動輪直径 1,750mm 最高速度 110km/h 総走行距離 不明 (解説より) |
C5345 |
保存場所 : 梅小路蒸気機関車館 (Map Code : 7554044*12 ) 1928年(昭和3)から1930年(昭和5)にかけて製造された、国産で唯一の3シリンダーを持つ大型の旅客用機関車です。 当機は、東海道・山陽本線の特急から普通列車まで幅広く活躍していました。 しかし、構造が複雑で保守が困難なため、C59形と入れ替わり引退となりました。 その後、1961年(昭和36)に復元、交通科学館に展示されていましたが、当館の開館時に移されました。 長さ 20.625m 重さ 132.2t 動輪直径 1,750mm 最高速度 110km/h 総走行距離 不明 (解説より) |
C551 |
保存場所 : 梅小路蒸気機関車館 (Map Code : 7554044*12 ) この形式は中型の旅客用機関車で昭和9年から四年間に62両製造されました。 ちょうどラクダの背のような蒸気ドームがそれまでには二つ並べてボイラー上にありました。 ところがこの形式では砂箱の部分を一体のカバーに収めて中央に一つ取付けています。 後年製造された貴婦人の愛称で親しまれているC57形式の母体ともなりました。 一部当時流行したスタイルで流線型というものに改造して特急列車を引いた機関車もあります。 (解説より) |
C5698 |
保存場所 : 19世紀ホール(嵯峨嵐山駅前)(Map Code : 7636778*11 ) この機関車は鉄道ファンから愛称で「ポニー」と親しまれ、その名のように軽快なリズムで走る愛らしい仔馬のようなSLである。 C56は昭和10年から小型・軽量で最初からローカル線の客貨両用機関車として製作された。 C12タンク機関車と共通設計で、ただタンクがテンダー化したものである。 外観の大きな特徴はテンダーの両サイドを斜めにカットしている。 これは転車台で転向しなくても、バック運転時の見通しを良くする為である。晩年は山陰線で活躍し米子鉄道管理局でその使命を終えた。(解説より) |
C56160 |
保存場所 : 梅小路蒸気機関車館 (Map Code : 7554044*12) |
C581 |
保存場所 : 梅小路蒸気機関車館 (Map Code : 7554044*12 ) この形式は旅客と貨物の両方をひいた万能機として量産されました。 昭和13年から同22年にかけて戦中・戦後の混乱期に427両が製造され全国のあらゆる線区で活躍した中型機です。 特にこの形式から今までの囲われていない運転室を密閉型として寒さを防ぎ煙の粉も入らないように工夫されました。 保存機の1号機は昭和47年6月北海道の北見で最終運転しましたが、今までに走った距離は207万3248キロでした。 保存されてからも山口線でC57とともにSL列車を運転しました。(解説より) |
C5848 |
保存場所 : 19世紀ホール(嵯峨嵐山駅前) (Map Code : 7636778*11 ) この機関車は「貴婦人」として名高い’C57’の弟分でその長所を十分取り入れた性能をもち、’8620’’C50’の代替機としてC57より一年遅れて登場した名機である。 C57と比較すると、先輪は1軸で動輪直径は1520mmとひと回り小さく曲線に強く半径300mのカーブも平気であったと言われている。 特に関西地方の至るところでよく働き 関西線・奈良線・和歌山線・紀勢線などのSL時代を最後まで頑張り続けたのがこのC58である。 最後は昭和49年北海道の釧路鉄道管理局でその使命を終え勇退した。(解説より) |
C59164 |
保存場所 : 梅小路蒸気機関車館 (Map Code : 7554044*12 ) この形式は昭和16年から同22年までに173両造られた大型急行旅客用機関車です。 性能の良いことで知られ東海道・山陽をはじめあらゆる幹線の急行や特急を引いた花形機関車です。 保存機の中では一番長く重さは比較的に軽量化されています。 当館の164号は梅小路を振り出しに昭和25年には呉線の急行列車(あき号)を引いて最後まで活躍しました。 当時の急行列車はC53形式と共にこの機関車が使用されました。(解説より) |
C612 |
保存場所 : 梅小路蒸気機関車館 (Map Code : 7554044*12 ) この形式は通常「ハドソン形」といって車輪の軸配置による区分をいいます。 製造された年代は昭和22年から23年にかけて製造された比較的新しいものです。 ハドソン形というのは前から2軸続いて動輪が3軸その後ろに2軸と並べた種類のものです。 またこの形式から自動給炭装置が取付けられたので石炭を手でくべなくてもよい方法に改良されました。 この2号機は日豊本線を最後にその使命を終わっています。(解説より) |
C621 |
保存場所 : 梅小路蒸気機関車館 (Map Code : 7554044*12 ) |
C622 |
保存場所 : 梅小路蒸気機関車館 (Map Code : 7554044*12 ) C62形1号機同様、1948年(昭和23)から1949年(昭和24)の間に製造された日本最大最強の旅客用機関車です。 当機は、デフレクタ(ボイラー前頭部の左右にある板)に「つばめ」のシンボルマークが有り、「シロクニ」の中でも群を抜く人気の機関車です。 宮原や小樽築港に所属し、東海道本線の特急「つばめ」、函館本線の急行「ニセコ」のけん引などで活躍しました。 (解説より) |
C6226 |
保存場所 : 京都鉄道博物館 (Map Code : 7554044*12 ) 1948(昭和23)年から1949(昭和24)年にかけて49両が製造された日本最大の旅客用テンダー式蒸気機関車で、動輪の直径は1,750mmです。 本機は特急「つばめ」「はと」などのけん引機として活躍しました。なお、C62形17号機は1954(昭和29)年に狭軌の蒸気機関車としては世界最速の129km/hを記録しました。 (解説より) |
D50140 (現役時代の写真はこちら) |
保存場所 : 梅小路蒸気機関車館 (Map Code : 7554044*12 ) この形式は大正初期のものを改良して大正12年に生まれた当時の大型貨物用機関車です。 その頃までの機関車では600トンが運べる能力だったものをこの形式から一躍950トンまで増強されました。 製造された数は昭和6年までの9年間に380両で全国に亘る貨物輸送に大いに貢献しました。 その後各地で活躍した同じ仲間は次々と消えてゆき昭和47年まで非常に長い期間走り続けました。(解説より) |
D511 |
保存場所 : 梅小路蒸気機関車館 (Map Code : 7554044*12 ) 蒸気機関車の代名詞のように親しまれているこの形式は昭和11年に初めて登場しました。 以来約十年の間に1115両造られましたがそのうち1号から85号および91号から100号までの95両が原設計型で加熱器・砂箱・蒸気ダメを一体のカバーに収めた半流線型をしており通称なめくじ型とも言われています。 大型貨物用蒸気機関車として各地で活躍しましたが保存機の1号機は山陰線浜田地方で最終運転をしました。 走行距離は236万8846キロとなっています。(解説より) |
D5151 (樟葉モールでの展示はこちら) |
保存場所 : 19世紀ホール(嵯峨嵐山駅前) (Map Code : 7636778*11 ) D51−51 過熱テンダー機関車 D51「デゴイチ」はSLの代名詞のような機関車で,D50形の近代化、改良形として製作され、その優秀な性能と構造において、我国SLの完成された姿とも言うべきで正に国産最大の名機である。 その魅力、そのバイタリティーは「泣く子も黙るデゴイチ」と言われたほどである。 この機関車は長く旧大鉄局 吹田機関区に在籍しており東海道本線・山陽線で活躍した。 昭和46年 吹田第一機関区でその役目を終え、その後京阪電鉄「京阪くずはモール」で展示されていた。 (解説より) |
D51200 |
保存場所 : 梅小路蒸気機関車館 (Map Code : 7554044*12 ) |
D52468 |
保存場所 : 梅小路蒸気機関車館 (Map Code : 7554044*12 ) この形式は日本で製造されたものでは超大形の貨物用機関車です。 しかも昭和18年から21年までの太平洋戦争による悪条件の中で大量285両が造られました。 資材の乏しい時代に造られているので煙よけ板など木製のものもありました。 戦後余っていた機関車の一部は廃車となったり、C62への改造のためボイラを利用したりねどいたしましたが昭和26年頃には図面通りの材料で復元した160両が最後まで活躍しました。(解説より) |
加悦鉄道 C−160 |
保存場所 : 大宮交通公園 (Map Code : 7794045*24 ) 昭和17年につくられたC型のタンク車で当初は、京都府北部の大江山鉱山で使用されていました。 昭和21年からは加悦鉄道(丹後山田から加悦5.7km)にうつって客車を引いて活躍していましたが、昭和27年に休車を保って現役をしりぞきました。(解説より) |
若鷹号 |
保存場所 : 19世紀ホール(嵯峨嵐山駅前) (Map Code : 7636778*11 ) この若鷹号は、日本国有鉄道鷹取工場技能者養成所の生徒の手によって、昭和14年9月に改造された機関車で、若い鷹取工場職員の実習用に愛用されると言うので若鷹号と名づけられました。 この機関車の前身は、大正10年ドイツのコッペル社製2軸動輪の小型機で、四国の東部を走っていた「4型7号」です。 その後、岡山機関区の入れ換え用に使用され、昭和12年春にその役割を終え鷹取工場に送られてきました。 工場では、台枠を前後1170mm延長し、動輪を後ろに移動し、スベリ棒、ピストン棒を長く、ボイラーを高く、運転室を広くするなどの改造を行い、小型ながら当時としては近代的装備の機関車として蘇りました。 平成12年3月をもって JR西日本の鷹取工場が100年の歴史を閉じることになりましたが、若鷹号を廃棄することを惜しむ声が多く、トロッコ嵯峨駅の構内に展示し永くその雄姿を保存することとなりました。(解説より) |
EF521 |
保存場所 : 京都鉄道博物館 (Map Code : 7554044*12 ) EF52形電気機関車は、1928(昭和39)年に鉄道省と民間企業6社の共同設計によって製造された、最初の国産大型電気機関車です。 丹那トンネル開通以前の東海道線の旅客列車として使用されました。 戦後は、中央線や阪和線を走行し、1973(昭和48)年まで活躍しました。 (解説より) |
E58150 |
保存場所 : 京都鉄道博物館 (Map Code : 7554044*12 ) 1946(昭和21)年〜1958(昭和33)年までに172両が製作された直流電気機関車です。 当初は前後にデッキを備えた車体でしたが、1952(昭和27)年よりデッキを廃した流線形車体となり、東海道・山陽・上越・東北・紀勢などの直流電化区間で活躍しました。 150号機は1958(昭和33)年に製造され、1985(昭和60)年まで活躍して廃車となりましたが、後に車籍が復活され、2011(平成23)年までイベント列車等に所用されました。 (解説より) |
EF651 |
保存場所 : 京都鉄道博物館 (Map Code : 7554044*12 ) EF65形電気機関車は電化路線のために設計され、その完成度の高さから日本の電気機関車で最多となる308両が製造されました。 貨物用、旅客用、客貨両用などのグループがあり、現在でもJR貨物で活躍しています。 本機は、貨物列車専用機として活躍していました。 (解説より) |
EF6635 |
保存場所 : 京都鉄道博物館 (Map Code : 7554044*12 ) |
EF81103 |
保存場所 : 京都鉄道博物館 (Map Code : 7554044*12 ) EF81形電気機関車は、近畿地方と東北地方を結ぶ日本海縦貫線専用の貨客両用機関車として開発された機関車です。 直流区間と50Hz・60Hzの交流区間に対応できるため、東北地方から九州地方まで各地で運用されました。 国鉄の分割民営化後、JR西日本の車両は敦賀運転所に配置され、本機を含む6両が特急寝台「トワイライトエクスプレス」の指定機となりました。 (解説より) |
DD51756 |
保存場所 : 京都鉄道博物館 (Map Code : 7554044*12 ) |
DD5433 |
保存場所 : 京都鉄道博物館 (Map Code : 7554044*12 ) DD54形は地方幹線での運用を目的に西ドイツ製のエンジン1基と液体変速機を搭載し、1966(昭和41)年から製造された中型の液体式ディーゼル機関車です。 車体はヨーロッパ風のデザインが採用された独特の外観となっています。 DD53形33号機は、おもに山陰本線・福知山線で使用され、寝台特急「出雲」のけん引機関車などとして活躍しました。 (解説より) |
16−1 |
保存場所 : 京都鉄道博物館 (Map Code : 7554044*12 ) 0系16形はグリーン車の中間車で、車内に客室のほかに乗務員室と荷物保管室が設けられています。 車内はゴールドを基調とした配色で、普通車と比べて居住性を重視した2人+2人掛けの座席配置にリクライニングシートを採用しており、窓も普通車よりも大きなものとなっています。 (解説より) |
21−1 |
保存場所 : 京都鉄道博物館 (Map Code : 7554044*12 ) 0系新幹線電車は、1964年(昭和39)年に東海道新幹線用として登場し、最高速度210km/hで運行を開始しました。 そして翌年には、東京〜新大阪間を3時間10分で結びました。 0系21形は大阪方の先頭車で、車内は3人+2人掛けの普通座席の客室と、和式トイレや男性トイレ、洗面台が2組設けられています。 (解説より) |
22−1 |
保存場所 : 京都鉄道博物館 (Map Code : 7554044*12 ) 0系22形は東京方の先頭車で、車内は普通座席の客室と、車両後方のデッキ部分には、業務用室と乗務員室が設けられています。 流線形の先頭車カバー内には、故障車両を牽引する場合などを想定した救援用連結器が格納されています。 現在は車内を展示スペースとして使用しています。 (解説より) |
35−1 |
保存場所 : 京都鉄道博物館 (Map Code : 7554044*12 ) 0系35形は、ビュフェ(簡易食堂車)と客室(普通座席)の合造車です。 ビュフェは車両後方に設けられ、車内には調理室とカウンター、13席の座席が設けられています。 カウンター内には冷蔵庫や電子レンジなど簡単な調理ができる設備があり、おもに軽食が提供されていました。 (解説より) |
122−5003 |
保存場所 : 京都鉄道博物館 (Map Code : 7554044*12 ) 100系新幹線電車は、0系新幹線電車のモデルチェンジ車として製造され、2階建て車両や個室を設置するなど、快適化が図られました。 普通車の座席はリクライニングシートで、3列席も回転させることができ、情報案内用の車内スクロールが初めて採用されました。 (解説より) |
521−1 |
保存場所 : 京都鉄道博物館 (Map Code : 7554044*12 ) 500系新幹線電車は、最高速度300kmで運行するため車体の強化と軽量化を両立させ、車内の防音性を確保するためにアルミハニカム材を採用しました。 1997(平成9)年3月より新大阪〜博多間の「のぞみ」として使用され、最短所要時間2時間17分、のちに東京〜博多間を最速4時間49分で結びました。 (解説より) |
クハ86001 |
保存場所 : 京都鉄道博物館 (Map Code : 7554044*12 ) |
モハ80001 |
保存場所 : 京都鉄道博物館 (Map Code : 7554044*12 ) モハ80形は、80系直流電車のモーター付き中間車です。 それまでの電車は振動・騒音が大きく長距離や高速運転に向かないとされていましたが、高速台車や中間電動車の採用などを行い、長大編成を可能にしました。 この80系の技術は、151系電車や0系新幹線電車の開発につながりました。 (解説より) |
クハ103−1 |
保存場所 : 京都鉄道博物館 (Map Code : 7554044*12 ) クハ103形電車は、1964(昭和39)年から1984(昭和59)年にかけて3,447両が製造された103系通勤電車の先頭車です。 通勤客輸送の増大に対応するため、加減速性能や経済性に重点をおいて開発され、各線区ごとにさまざまな塗色が採用されたことも特徴です。 関西地方では、大阪環状線のオレンジ色や阪和線のスカイブルーなどが代表例です。 (解説より) |
クハ489−1 |
保存場所 : 京都鉄道博物館 (Map Code : 7554044*12 ) クハ489形は、信越本線横川〜軽井沢間の急勾配区間を、EF63形電気機関車との協調運転により走行できる車両の先頭車として開発されました。車両の前頭部は、コンプレッサーや電動発電機を搭載したボンネット形になっており、おもに信州や北陸で活躍しました。 (解説より) |
クハネ581−35 |
保存場所 : 京都鉄道博物館 (Map Code : 7554044*12 ) クハネ581形は、国鉄の輸送量が飛躍的に伸びた高度経済成長期に、車両の運用効率を良くするために夜は寝台車、昼は座席車として使用できる万能型電車として開発されました。 この系列の車両には、直流区間に加え60Hzの交流区間にも対応した581系電車と、さらに50Hzの交流区間にも対応した583系電車があります。 本車両は583系先頭車として製造されました。 (解説より) |
キハ813 |
保存場所 : 京都鉄道博物館 (Map Code : 7554044*12 ) キハ81形ディーゼルカーは、上野〜青森間の特急「はつかり」の無煙化を目的として開発された日本初の特急形ディーゼルカーです。 東北本線全線電化によって、583系電車に置き換えられる1968(昭和43)年まで「はつかり」専用として使用され、以降は「つばさ」「いなほ」「ひたち」「くろしお」に使用されました。 (解説より) |
スシ28301 |
保存場所 : 京都鉄道博物館 (Map Code : 7554044*12 ) 当初は食堂車と2等座席の合造車であるスロシ38000形として製造されましたが、1962(昭和37)年に改造され、スハシ38形として急行「日本海」などに連結されました。 乗り心地を重視した3軸台車が採用されています。 その後、旧交通科学博物館で展示される際に車内全室が食堂車に改造され、スシ28形301号車となりました。 (解説より) |
マロネフ591 |
保存場所 : 京都鉄道博物館 (Map Code : 7554044*12 ) 皇族、貴賓専用のマイロネフ37290形として製造された1・2等寝台客車で、のちにスイロネフ38形と称号改正されました。 戦後は日本に進駐した連合国軍が接収し、返還後は当時の皇太子の非公式用車両・スイロ37形となり、1955(昭和30)年にはマロネフ59形となりました。 1等寝台部分は個室、2等寝台部分は通路両側に上下2段の寝台が配された「プルマン式」となっており、乗り心地を重視して3軸台車が採用されています。 (解説より) |
オハ4613 |
保存場所 : 京都鉄道博物館 (Map Code : 7554044*12 ) 車両の軽量化は、列車の速達化や長大編成を組むために重要であり、昭和20年代頃から具体的な計画が立てられました。 オハ46形は、それまで製造されていたスハ43形と比べて、屋根や客室の合板などに使用する素材や工法を変更し、軽量化を図りました。 本車両は急行形客車として製造されましたが、特急・急行列車の電車化、ディーゼル化が行われた昭和40年代以降には、山陰地方の普通列車などで使用されました。 (解説より) |
ナシ20−24 |
保存場所 : 京都鉄道博物館 (Map Code : 7554044*12 ) ナシ20形は、1958(昭和33)年から運行が開始され、「ブルートレイン」の愛称で親しまれた20系寝台列車の食堂車です。 ナシ20形24号車は、1970(昭和45)年に製造され、東京〜九州間を結んだ寝台特急「はやぶさ」や、東京〜東北間を結んだ寝台特急「あけぼの」などに連結されていました。 (解説より) |
オロネ24−4 |
保存場所 : 京都鉄道博物館 (Map Code : 7554044*12 ) 24系寝台車は、火災対策や快適性向上を実施した国鉄型寝台車最後のグループで、533両が製造されました。 オロネ24形は、中央の通路を挟んで上下2段の寝台が並ぶ開放型A寝台車(プルマン式)です。 本形式は、寝台特急「あかつき」「彗星」の運用開始にあわせて製造され、その後もさまざまな寝台特急に使用されました。 (解説より) |
スロネフ25−501 |
保存場所 : 京都鉄道博物館 (Map Code : 7554044*12 ) スロネフ25形501号車は、寝台特急「トワイライトエクスプレス」の編成中でもっとも豪華な設備を持つ車両です。 車両の一角から景色を占有できるスイートルームや大型のベッド、ソファが設置されたロイヤルルームがあり、1両に5部屋しかなく、定員はわずか6人でした。 (解説より) |
スシ24−1 |
保存場所 : 京都鉄道博物館 (Map Code : 7554044*12 ) スシ24形1号車は2015(平成27)年に引退した寝台特急「トワイライトエクスプレス」に使用されていた食堂車「ダイナープレヤデス」です。 特急型交直流電車の食堂車サシ489形3号車から改造されました。 内装にはステンドグラス、電動シェードやじゅうたんなどが使われ、高級感のある車内ではフランス料理を味わうことができました。 (解説より) |
オハ25−551 |
保存場所 : 京都鉄道博物館 (Map Code : 7554044*12 ) オハ25形551号車は、14系15形のオハ15形38号の改造車です。 本機551号機は、「トワイライトエクスプレス」のサロンカー「サロン・デュ・ノール」として、ローデッキを高低2段としソファーをすべて日本海側に向け、大型の窓から景色を楽しめる車内設備となっていました。 (解説より) |
カニ24−12 |
保存場所 : 京都鉄道博物館 (Map Code : 7554044*12 ) 24系客車のサービス用電源を供給するため、電源装置を搭載していた荷物車で、積載荷重3tの荷物室が設置されました。 1974(昭和48)年から25両が製造され、そのうち当車は「トワイライトエックスプレス」用として塗色され耐寒堆雪対策が施されました。 (解説より) |
オハフ5068 |
保存場所 : 梅小路蒸気機関車館 (Map Code : 7554044*12 ) |
京都市 N1 |
保存場所 : 大宮交通公園 (Map Code : 7794045*24 ) 京都市電チンチン電車 明治28年に日本で最初の電車として走り、チンチン電車として親しまれていました。 昭和36年、北野線(京都駅前−北野)の廃止により路面から姿を消した歴史的価値の高い電車です。 (解説より) |
京都市 N2 |
保存場所 : 平安神宮 南神苑 (Map Code : 7649483*70 ) 日本最古の電車 この電車は、明治二十八年一月三十一日に日本最初の交通輸送業電車として、京都電気鉄道が運行したものである。 当初は伏見線・木屋町線・鴨東線(平安神宮の在る岡崎附近にも敷設されていた)を開通次いで明治三十三年には北野線、三十七年に西洞院線を増設・運行し我国電気鉄道の先駆として交通事業に貢献するところが多かった。 しかし、明治四十五年六月京都市が市営にて電気軌道の営業を開始し、大正七年六月には京都市に合併された。 その後、昭和二年四月まで |
の間に、木屋町線・出町線・烏丸丸太町線等の路線が随時廃止され、主要路線は広軌に取り替えられたのだが北野線のみ、同じ狭軌のままで残されていた。 しかし、時勢の推移は如何ともすることが出来ず、最後のこの線も、昭和三十六年七月を以って廃止され、永年チンチン電車の愛称で親しまれた我国最古の電車も、その姿を消すこととなった。 ここに展示している電車は、当初のものであり、平安神宮創建とも深い関係があることから京都市より払い下げを受け、記念として保存している。 車体は梅鉢鉄工所の製作、電動機はアメリカゼネラルエレクトリック社の製品である。 昭和三十一年頃、神戸製鉄株式会社によって修理が施された。 (解説より) |
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京都市 N21 |
保存場所 : 親愛幼稚園 (Map Code : 7617800*23 ) |
京都市 N27 |
保存場所 : 梅小路公園 (Map Code : 7524851*07 ) |
京都市 N28 |
保存場所 : 北坂ビル (Map Code : 7586314*00 ) 日本最初の電車 明治二十八年二月一日 我国最初の電車により交通事業が「京電」と称された京都電気鉄道によって初代京都駅のあった東洞院通塩小路下るから伏見下油掛まで六・七粁の間で開業、大正七年 市は「京電」を買収、昭和五十三年廃止まで八十三年間日夜市民の足として活躍した。 この電車は京都駅前北野間六、五粁の北野線が昭和三十六年廃止されるまで走り続けてきた。 |
当社では明治・大正・昭和と三世代にわたって「チンチン電車」と親しまれ働いてきた電車を保存すべく払下げを受け保管していたが、今回新社屋の完成を機に永く展示保存するものであります。 定員 四十三人 軌間 一、〇六七粍 全長 八、三二八粍 全幅 二、〇二〇粍 全高 四、〇〇〇粍 台車 アメリカ BLILL製 Z1E型 出力 三十五馬力(二十八KW) 電動機二ケ イギリス製 昭和六十年十月二十八日 (解説より) |
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京都市 505 |
保存場所 : 梅小路公園 (MapCode : 7 554 114*02 ) |
京都市 703 |
保存場所 : 梅小路公園 (MapCode : 7 554 114*02 ) |
京都市 720 |
保存場所 : 塚本町児童公園 (Map Code : 7 740 213*61 ) |
京都市 890 |
保存場所 : 梅小路公園 (MapCode : 7 554 114*02 ) |
京都市 935 |
保存場所 : 梅小路公園 (MapCode : 7 555 033*31 ) |
京都市 1605 |
保存場所 : 梅小路公園 (MapCode : 7 554 114*02 ) |
京都市 1801 |
保存場所 : 京都コンピュータ学院 (Map Code : 7680404*85 ) |
京都市 1803 |
保存場所 : 住吉西保育園 (Map Code : 7376603*52 ) |
京都市 1821 |
保存場所 : 桃山小学校 (Map Code : 7377342*86 ) |
京都市 1829 |
保存場所 : 伏見駅前 (Map Code : 7406145*52 ) |
京都市 1860 |
保存場所 : 大宮交通公園 (Map Code : 7794045*24 ) 昭和25年に800型としてつくられた中型の車両で、その後昭和43年にワンマンカーに改造されて、1800型となりました。 この電車は昭和52年10月1日河原町線が廃止された記念に展示したものです。(解説より) |
京都市 2001 |
保存場所 : 梅小路公園 (MapCode : 7 554 168*64 ) |
京都市 2603 |
保存場所 : 京都コンピュータ学院 (Map Code : 7680404*85 ) |
ワム7055 |
保存場所 : 京都鉄道博物館 (Map Code : 7554044*12 ) |
ヨ5008 |
保存場所 : 京都鉄道博物館 (Map Code : 7554044*12 ) |
ヨ6720 |
保存場所 : 大宮交通公園 (Map Code : 7794045*24 ) |
宇和島 1(レプリカ) |
保存場所 : SL公園 (Map Code : 7547176*53 ) |
人車 |
保存場所 : トロッコ嵯峨駅 (Map Code :7637750*71 ) 日本にはかつて”人車”の時代が 「人が自ら動力となって線路上の車両を押す」 明治の中期、加速する文明開化の片すみで、庶民の足として人気を呼び、やがてひっそりと消えていった人車鉄道。 その活躍は約60年ほどでした。 人車の目的は、旅客・貨物、またはその両方を兼ねた輸送であり、幹線鉄道と市街地・産地、舟運とを結ぶ役目を果たし、人件費の安さ、建設コストを含めた初期投資の少なさ、鉄道運行の簡便さ・・・が特徴でした。 |
やがて動力近代化に逆行する人力交通機関は、人力という限りある輸送力の小ささと効率の悪さから押し寄せるモータリゼーション(自動車化)の波には勝てず、昭和初期にはほとんどの人車鉄道が消滅しました。 しかし・・・! 夏目漱石も乗った!芥川龍之介も名作「トロッコ」に■■■■■人車鉄道−その軌跡からトロッコ列車への変遷へと、現代の我々の足となっている鉄道の原点に嵯峨野観光鉄道はスポットを当ててみました。 嵯峨野観光鉄道株式会社 (解説より) |
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軌道自転車 |
保存場所 : 梅小路蒸気機関車館 (Map Code : 7554044*12 ) |
トロッコ |
保存場所 : トロッコ嵯峨駅 (Map Code : 7637750*71 ) ”トロッコ”とは? 英語(truck)から派生した言葉です。 当初、レールの上を土砂・レンガ・石炭などを載せて運搬する手押し車を言いました。 その後、炭鉱や大規模土木工事現場では、大型化し機関車(主に電機)で牽引し、時には作業車も運ぶようになりました。 嵯峨野観光鉄道のトロッコ列車はレールの上を貨車 (トキ25000) の台車上に箱を付けた車両で人間を運んでいるので、まさに本物のトロッコと言えるでしょう。 嵯峨野観光鉄道株式会社 (解説より) |
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