撮影メモ 2011

撮影日 場所 メ    モ
2011
12/02
北区 小学校時代の集まりが15時から原宿で行われるため、午前中を北区にある荒川治水資料館で展示されているナベトロを写しに出かけた。 荒川治水資料館は赤羽岩淵駅から15分程度の旧岩淵水門のそばにある。 ナベトロの様な展示物は館外の庭などに展示されているケースが多いが、建物の周辺には無く、建物の中に入っても1階にはそれらしいものは見当たらなかった。 2階に行くと階段のすぐそばに展示されていた。 
荒川治水資料館の入り口横には、荒川放水路工事の際に設けられた、京成押上線荒川橋梁の基礎杭(1921年〜1999年の間使用)が掘り出され、展示されていた。
会合まで時間があったので、王子で途中下車し、飛鳥山にあるモノレール(延長48m、傾斜角度24度、乗車時間2分)を楽しみ、公園内で保存されているD51853と都電6080を見てきた。
2011
11/2

11/5
10月中旬に大牟田市で保存している三池炭鉱の電気機関車を、今年も公開するか、大牟田市に問い合わせたところ、文化の日に公開するとの回答を得たので、急遽、九州行きの計画をたてた。 先ず、大牟田まで何で行くか?? 関東から行く場合、一般的には福岡空港が九州の玄関であるが、その他にJRの各停乗継(前回の九州は青春18きっぷで九州入りをしたが、今は発行時期でない)、新幹線、高速バス、北九州・熊本など福岡以外の空港と色々なコースを検討した。 その中で、2日朝の羽田−熊本のスカイマーク201便は8000円強と2日の活動時間・経費ともに最良のコースであった。 帰りの便は同じく、熊本−羽田のスカイマーク最終便で帰ることにした。 これにより九州往復が20600円であった。 この航空便をベースに、2日は人吉でSL人吉や人吉周辺の鉄道碑を写し、3日は大牟田の公開、佐賀の鉄道碑、福岡の鉄道碑や保存車両を、4日は福岡の車両や碑を、最終日は福岡県南部の碑を写した後、日田市から阿蘇に入るコースを取ることとした。
11/2
人吉市
熊本空港から高速で人吉に入り、大畑にある慰霊碑を写したのち、人吉駅に向かった。 途中、漫画喫茶ふうCANに立ち寄りスハフ42207を写したが、主要道側は車体の下まで板が貼られており、普通の家の様であった。 一方、わき道側から見ると台車も見ることができ、車両の態をなしていた。 
人吉駅でSL人吉の入線を待った。 8620が客車を牽引している姿を最後に見たのは何時であったか思い出せないが、3両の客車を牽いてきた8620をみると意外と小さく感じた。 SL人吉は客車・機関車ともに昼は庫ですごし、13時40分過ぎに機関車の方向転換を行うとのことである。 そこで13時40分ごろに駅の裏手に行くと転車台見学者入口があり、転車台のそばには案内の方が居られた。 機関車は13時45分ごろに転線を始め、13時50分ごろに転車台に乗せられて方向転換をした。 
機関車の方向転換を見たのち、三角へと向かった。
11/3
大牟田市
今日は年に1度の三池炭鉱で使用されていた機関車の公開日である。 8時に荒尾のホテルを出発し、先ずは三井化学に向かった。 北門で公開について場所を聞くと、合成門の守衛に聞くように言われた。 合成門の守衛の方に車を置かせてもらうようお願いをしてから、宮浦石炭公園に行き、工具車・坑木車・タンク車・人車等を写した。 人車には救急車や負傷車等もあった。 これらの車両は全て、座席などが斜めに作られていた。 負傷者はタンカに乗せたまま車両に乗せるため、タンカの台が斜めになっていた。 
大牟田市所有の電気機関車は三井化学の敷地外れに折りたたみ式テント内で保存されており、公開時はテントを畳んでいる。 この機関車は一般には年1回しか公開をしていないが、公開スタッフの方の話によると、4両あるうちの数両については石炭産業科学館に建物を建て移設する計画があるとのことで、楽しみである。 この後、石炭産業科学館の保存車両を写した。 三池炭鉱の坑内で使用される電気機関車は牽引力・制動力を高めるために 機関車A−制動車−機関車B の3両一組で使用されるものが多く、機関車Aと機関車Bは同一のものを逆に向けて使用していた。
この後、佐賀にある鉄道碑や鳥栖駅の蒸気機関車268等を写して博多に向かった。
11/4
福岡市
北九州市
苅田町
赤村
田川市
当初計画では今日、小倉工場で保存されている車両を写す予定で、JR九州のHPから訪問依頼をしていたが、先月の31日に電話があり、丁重に断られてしまった。 
朝一番に向かったのは新幹線0系を購入した博多市のさつき幼稚園である。 カーナビで指示された経路は細い道で0系車両が通れる通れるような道では無かった。 
篠栗線開通記念碑・西芦屋駅跡等の碑を写しながら布刈公園に向かい、EF30とオハフ33を写した。 前回、九州に来た時には勝山公園で保存されていたが、2009年1月に現在地に移された為に、再訪となった。 この後、苅田幼稚園の西鉄611、源じいの森のヨ9001を写した後、田川市石炭資料館に行ったが、閉館時間である5時には間に合わず、館外から見ることが出来るものだけ写してきた。
11/5
日田市
田川郡の鉄道碑を写した後、日田市に向かった。 日田にある天領水の里にはED76と2両の特急用寝台車が保存されている。 この機関車には大分県を走っていた唯一の寝台特急”富士”のヘッドマークが取り付けられていた。
日田市中津江村はワールドカップでカメルーンのキャンプ地となって名を知られるようになったが、ここには昭和初期には年間2トン強の金を産出する鉱山であった鯛生金山がある。 この金山はすでに閉山され、現在は坑道の一部を観光施設として公開しているが、その坑道の中に、電気機関車やバッテリー機関車、人車、鉱車等が保存されている。 これらの車両を写して熊本空港に向かった。 途中、大観峰や阿蘇山頂にも立ち寄ったが、雨と霧で何も見えなかった。
2011
10/21
富士吉田市 先月は無精をし、8月末の東京総合車両センター公開時のもので済ませてしまった。 今月は17日から紅葉を見るために北軽井沢まで出かけたので、そのついでに草津温泉の相撲研修所にナロネ21を写しに行ったが、車両は無く大滝の湯で温泉に入り空しく帰宅した。 この為、21日に富士急下吉田駅に出来たブルートレインテラスに行ってきた。 下吉田駅に着くと、駅の構内、右手にナハネフ14−20が、左手にト104・ワフ1・ワフ2の3両の貨車が保存されていた。 これらの車両を見るにはテラスへの入場券(100円)が必要となる。 現地に着いたとき、出札窓口には誰も居なかったため、構内に入り写し始めた。 しばらくすると、窓口に職員の方が戻られたので入場券代を支払い、撮影を続けていると硬券の入場券を持ってきてくれた。
2011
8/27
品川区 東京総合車両センターの夏休み恒例の公開があるとのことで、開場時間の15分ぐらい前に着く様、家を出た。 京浜東北線の中から東京総合車両センターを見ると既に多くの方が並んでいた。 改札を出て、列の最後尾の方に向かったが、既に定刻前に入場が始まっており、最後尾の位置は電車の中から見た時よりも短くなっていた。 10時前に入場し、直ちに901系保存車の所に向かった。 901系の所では多くの方が写真を写していたが、皆が前の方に出て行き、なかなか、標準的な焦点距離での撮影が出来なかった 
2011
8/16
墨田区 江戸東京博物館に於いて7月14日から行われている「東京の交通100年博」を見に行って来た。 この特別展には都電6086号車と函館市からササラ電車の2両が展示されている。 6086号車は1978年に廃車されてから個人宅で保存されていたものが2008年に都電荒川車庫に戻された車両で、今回は荒川車庫から移されて展示されている。 函館市のササラ電車は1934年に東京市から函館に譲渡したヨヘロ1形を除雪用に改造したもので、76年ぶりの里帰りとの事であった。
2011
7/10
みなかみ町
加茂市
上越国境や新潟県内の鉄道碑や冬鳥越のED1を写す為に土合に向かった。 途中、国道17号線を走っていると、パチンコ屋の跡地に赤く塗られた2両の車両がいた。 この2両は、気動車と客車で車両番号は塗りつぶされていたが、客車の方には「サロン・ド・わたらせ」との表記があり、わたらせ渓谷鉄道の車両であることが判った。 この車両を写した後、何カ所かで鉄道碑を写しながら冬鳥越に向かった。 ここに蒲原鉄道のED1が移されてすぐに撮影に出向いたが、その際にはED1とモハ61は囲いで覆われ、修理中であった。 今回は再挑戦であったが、無事、ED1を写す事が出来た。 
2011
6/05
紀美野町
有田川町
6日に大阪で用事がある為、今回は前泊して野上鉄道の保存車両と金谷口の鉄道交流館の2か所に行く事にし、4日の夜行バスで和歌山に向かった。 5日の朝、時刻表よりも1時間強も早く和歌山駅に到着したので、当初考えていたルートと順序をかえ、先ずは海南駅からバスで野上鉄道の終点であった登山口に向かった。 野上鉄道の車輛が保存されているのは登山口バス停から一寸離れた「くすのき公園」とそこから200m位離れた病院の2か所である。 此処を訪問するに当たって何処でバスを下車したら良いか、バス会社のホームページを見ても判らなかった為、紀美野町にメールで問い合わせたところ、下佐々バス停から病院まで200m、病院から公園まで200m、公園から登山口バス停まで500mとの情報と、それぞれの場所の地図を教えて下さったので、下佐々から効率的に2か所を回る事が出来た。
有田川町の鉄道公園には藤並駅から有田川町観光施設巡回バスで移動した。 このバスは本数がそれほど多くないが、駅の観光案内所や巡回先の観光施設で無料乗車券を発行しており、観光客にとっては有りがたいサービスである。  鉄道公園には藤並駅前に居たD51や有田鉄道の気動車の他、金谷口鉄道保存会で保存されている気動車・ディーゼル機関車・貨車等約10両の車両が一体となった保存されていた。 鉄道公園の中に出来た鉄道交流館はNゲージのジオラマ主体で、展示されている資料は多くなく200円に入場料は一寸高い様な感じであった。 
2か所を回った後、以前、撮影した湯浅町のなぎ公園で保存されているD51を見に行ったが、車両の周囲に有った柵が無くなり、手入れもされていない様子であった。
2011
5/08
津山市 7日の土曜日に大阪に用事があったので、8日の津山扇状庫公開に申し込みを行っておいた。 7日の用事を済ませた後、中国道の高速バスで津山に移動した。 
津山扇状庫の受付は10時の為、津山市立南小学校に立ち寄りC1180を写した。 此処には2005年1月に来ているので、6年ぶりとなる。 津山扇状庫の受付で来場者数を伺ったところ、ゴールデンウイーク最初の頃は100名を超えていたが、今日の来場者は30名程度との事であった。 扇状庫に入っている車両の前には鎖が張られているので、扇状庫の中から車両の写真を写せるのか聞くと、ゴールデンウイーク中に庫の内部で、構造物の一部落下があった為立入り禁止にしているとの事で各車両の頭しか写す事が出来なかった。 扇状庫の公開時間は10時から11時半迄であるが、スタートから30分もすると多くの方がいなくなっていた。
2011
4/30
長野原町 ゴールデンウイークの初日に、北軽井沢に出かけた。 そのついでに紀州鉄道軽井沢ホテルの列車本館前に置かれている3両のオロネ10を見て来た。 この車両はかつて、列車ホテルとして利用されていた様で、窓はサッシに改良されていた。 これらの車両はこの場所に置かれてから20年以上になるが、車体は当初のままの色に塗られていた。 この3両はオロネ10の88,90,91であるが、番号部分もブルーに塗装されており、どの車両が何番かを識別する事が出来なかった。 
2011
4/13
島田市 袋井市内で夕方に用事があった為、午前中に自宅を出て、大井川鉄道の新金谷車両基地に寄る事にした。 ここには過去何回か、動態保存されている車両群を写しにきているが、未だに全車両を写し切れていない。 車両基地に行くと、これまで写していなかったC11227が表に出ており、整備の最中であった。 蒸気機関車はこの機関車以外、見る事が出来なかったが、未撮影機を写せた事で良しとした。 客車はスハフ43、オハフ33を写す事が出来た。 しかしながら、未だ全ての動態保存車両を写し切れていない為、今後も金谷まで出掛ける必要がありそうだ。
2011年
3月
御殿場市
世田谷区
今月は茨城県方面に出かける予定であったが、大震災による輸送路確保のために東北道・常磐道は通行止めとなっている。 この為、今月は3月上旬に富士霊園に出かけた際に御殿場駅で写したD52と震災翌日に渋谷区内から経堂まで歩いた際に宮の坂で写した江ノ電601の写真で更新を行う事とした。
2011
2/22
伊勢原市 関東周辺の保存車両でめぼしいものは概ね終わり、最近は落ち穂拾い的に写し始めた。 今回出向いたのは伊勢原市運動公園で保存されている車掌車ヨ8411である。 伊勢原運動公園は伊勢原駅から徒歩で50分程度であった。 車掌車は写真のように茶色に塗られていた。 車両前後のドアには鍵が付いており、夜間は施錠されている様であるが、窓ガラスは全て破損していた。
2011
1/21
さいたま市 3年ぶりに鉄道博物館に出かけた。 鉄博には新たに新幹線0系を展示する建屋が新設されていた。 この建物内は手前に新幹線開業式当時を模して天井からくす玉が下げられた所に0系21−2が展示されていた。 また、入口正面の壁には東京駅の新幹線18番・19番ホーム下の壁に埋め込まれている碑のレプリカが掲げられていた。 この建物から外を見ると、183系が4両置かれていた。 これらの車両は休憩スペースとして保存されているものでランチトレインと名付けられていた。 ランチトレインには妻部に階段が設置され空調完備の車内で休憩できるようになっているが、車両と車両の間にはロープが張られており、妻部より先には出られないようになっている。 この為2両居るクハ183は先頭からの写真を写せなかった。 
久しぶりの鉄博ではこれ以外にも黄色いジャンパーを着たボランティアが来場者に展示品の解説を行ったり、C57が乗った転車台を回転させたりとずいぶん変化をしていた。


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