北海道 札幌市
 9643
 
 保存場所 : サッポロビール園 (Map Code : 9606267*67 )
 9600形機は、国産として量産された最初の貨物用蒸気機関車で、大正2年(1913年)1号機を川崎造船で製作されてから14年にわたって770両製作され大正時代を代表する機関車の一つである。 太いボイラー、短い化粧煙突、低い二つのドラムに代表される力強いスタイルは「キュウロク」の愛称として多くのファンを持っている。
 北海道では、かって急行列車にも使用され、また室蘭本線では3000tの石炭列車を牽引した記録も残っている。
 特に冬期間では除雪用としてその威力を発揮し、欠くことのできない機関車である。
 また北海道で幹線、亜幹線、支線のすべてを走破したことは他に類がなく、9600形式の優秀さ、万能さは、他の追従を許さない名機といえるだろう。
 9643号機は、昭和23年6月、当時国鉄旭川機関区で廃車となったものを、日曹手塩鉱業所が購入し、以来20数年にわたり活躍した老雄である。 「旅路」で一躍有名となった9633号も、同年次に川崎造船所で製造された一群である。(解説より)
  
 C623
 
 保存場所 : 苗穂工場 (Map Code : 9606267*67 )
 (解説より)
   C623号機の軌跡
わが国最大の蒸気機関車であるC62形機関車は、幹線重量貨物用D52形のボイラと幹線高速旅客用C59形の走行装置を組み合わせ、戦後旅客輸送の希望の星として昭和23年に誕生した。 ここ苗穂工場に展示されている3号機は、昭和23年6月18日日立製作所笠戸工場で生まれ、同年6月26日糸崎機関区、その後、昭和25年8月17日梅小路機関区に配属され、特急「かもめ」を引いて東海道本線を颯爽と走った。昭和31年9月26日小樽
築港機関区に転配属された。特に、山岳路線である小樽−長万部間は重連運転となりスピードと力を駆使した新たな活躍が始まった。 昭和32年10月のダイヤ改正からは僚機と共に「大雪」・「まりも」・「アカシア」の先頭に立つ光景がファンを大いに沸かせた。 昭和36年10月のダイヤ改正で特急気動車に花道を譲り、その後昭和46年9月15日の「ニセコ(上り1号/下り3号)のけん引を最後に栄光のハドソン(運行)を終えた。 全走行キロ数約250万キロ、実に地球を60周する距離を走り続け、昭和51年3月19日にその疲れた体を休めた。
それから12年の歳月が流れ、昭和63年3月3日関係者の努力が結実して車籍が復活した。同年の3月13日には、世紀の大事業である青函トンネルが開通している。その年の4月29日午前9時52分小樽駅からブルーの客車5両に368名の乗客を乗せ、一路倶知安駅へ向けて走り出した。平成7年11月3日まで延べ370日間、13万人の夢を運んだ輝ける軌跡の蒸気機関車を鉄道文化の象徴として保存することとなった。
(解説より)

 D5111
 
 保存場所 : 農試公園 (Map Code : 9606267*67 )
 D51237
 
 保存場所 : 苗穂工場 (Map Code : 9606267*67 )
   D51237号機の保存について
昭和13年頃外地に転出した蒸気機関車の補充と国内の貨物輸送の要請にこたえるため、全国の主要な鉄道工場でD51型蒸気機関車を製作することになった。
当苗穂工場においても昭和13年9月より製作を開始し全部で12両の蒸気機関車を新製したが、このD51237号はその第1号機である。
本機は工場職員の日夜をわかたぬ努力により2ヶ月弱の機関で完成、ただちに岩見沢機関区に配属されその後函館機関区、長万部機関区に転属、
昭和48年4月小樽築港機関区所属となり主として貨物列車けん引に活躍した。
その後、動力近代化の進むなかで、昭和49年7月用途廃止となったが、この間約257万kmと実に地球の約64周を走破した。
現役をしりぞいたD51237号機は当時の苗穂工場のすぐれた技術力を伝えるため、昭和53年10月工場全職員の手により活躍当時の姿に復元し、今般苗穂工場創立70周年記念にあわせて静態保存することとした。
(解説より)

 キハニ5005
 
 保存場所 : 苗穂工場 (Map Code : 9606267*67 )
   キハニ5005号の復元について
この車両は、鉄道省として始めて登場したガソリン動車であり、昭和4年7月にキハニ5000形四輪三等荷物ガソリン動車として設計製作した12両中の1両である。
走り装置は2軸であるがガソリン機関は、当事故のクラス最大の船舶用機関を改良した48馬力のものを搭載して翌5年から、仙台−塩釜、徳島−小松島、大垣−美濃赤坂等の区間で、昭和15年まで使用された。
その後、キハニ5000形式を基礎として、改良されたガソリン動車が次々と登場し、今日の気動車の隆盛をみている。
今般、苗穂工場創立70周年記念にあわせ北海道鉄道開業100周年記念にちなみ、現在のディーゼル車両の活躍をベースに、更に今後の旅客車の発展の礎として、製作当時と同じ状態に復元し静態保存することとした。
この為車両設計事務所及び当時の関係者から図面、資料の提出をいただき、昭和54年11月から苗穂工場の全職場にわたる熱意ある職員の手により復元工事に着手し、昭和55年2月に落成した。
(解説より)
 キハ242
 
 保存場所 : 化―クラブNORTE (Map Code : 9 761 119*17 )
 札幌市 1001
 
 保存場所 : 札幌市交通資料館 (Map Code : 9 314 154*87 ) 
南北線営業第1号車(アルミニウム合金製片連接電動制御客車)
 この電車は、世界で初のゴムタイヤを使用した案内軌条式車両の実用1号車である。 昭和45年8月に試験車として真駒内の教習線に搬入され、高架部分で行った試験結果を、量産車両に反映すると共に、昭和60年3月の廃車まで100万キロを超える営業運転で市民に親しまれてきた先駆的車両である。 乗心地の向上と騒音の防止を主眼に空気入りゴムタイヤを採用したもので、この特徴を充分活かすよう、タイヤ負荷と走行抵抗減少のため特に軽量化を計っており、車体は大型押出し形材の組合せで構成した全軽合金製で前頭形状、大きい側窓等に特徴をもっている。 この種の車両は南北線用として160両製作され、この技術を基礎として、東西線では大型ボギー車が開発された。  (解説より)
 札幌市 1002
 
 札幌市 はるにれ
 
 保存場所 : 札幌市交通資料館 (Map Code : 9 314 154*87 ) 
 高速電車第3次試験車(はるにれ)
 この”はるにれ”は、昭和40年11月、ゴムタイヤを使用した案内軌条式電車を開発するための第3次試験車として製作した。 動力にV型直列8気筒ガソリンエンジン2台を搭載しており、札苗試験所(線路長676m)で高速試験、冬季試験を実施、実用化への資料収集に使用された。 その結果を基に、実用車とほぼ同一の性能を持った片連接の大型車両、第4次試験車”すずかけ”が製作された。   (解説より)
 札幌市 すずかけ
 
 保存場所 : 札幌市交通資料館 (Map Code : 9 314 154*87 ) 
 高速電車第4次試験車(すずかけ)
 このすずかけは昭和42年10月本市高速電車第4次試験車両として製作、昭和44年8月まで札苗試験場(線路長676m)において約50,000Km走行し、本市高速電車開発のための基礎資料を得た。
なお、本車両の走行装置制御装置制動装置等は南北車両とほぼ同一である。    (解説より)
 札幌市 22
 
 保存場所 : 札幌市交通資料館 (Map Code : 9 314 154*87 )
木製2軸電動客車(22)
この電車は、大正7年8月札幌の街に最初に登場した路面電車である。 この年の開道50周年記念北海道大博覧会の開催を契機に札幌電気軌道株式会社が、それまで走らせていた馬車鉄道を電気にきりかえることをきめ、名古屋電気鉄道株式会社から26人乗りの電車(単車)24両を購入して営業したのがはじまりである。 昭和2年に札幌市がこれを譲り受けて市電として発足したが、およそ18年間市民の足として活躍した最も古い形式の電車である。    (解説より)
 札幌市 321
 
 保存場所 : 札幌市交通資料館 (Map Code : 9 314 154*87 )
  鋼製2軸ボギー電動客車(321)
 この電車は、昭和32年に新方式ボギー車として7両を購入した。 車長はいくぶん長く、車体外側も札幌特有の流線形となった。
 装備機器もこの型からドアーエンジン・蛍光灯・Zパンタグラフを採用また台車は軽量溶接台車に弾性車輪を採用し、振動や騒音を少なくして静かで乗り心地を良くするなど数多くの新方式を採用し路面電車としては画期的なものであった。 昭和46年ワンマンカーに改造されたが、48年3月路線の一部廃止によりこの型式車はすべて姿を消した。 昭和32年に製作されたので320型と命名された。   (解説より)
 札幌市 326
 
 保存場所 : 札幌建設運送株式会社 (Map Code : 9 414 552*56 )
 札幌市 601
 
 保存場所 : 札幌市交通資料館 (Map Code : 9 314 154*87 )
   半鋼製2軸ボギー電動客車(601)
 この電車は本市が戦後の混乱からようやく立ち直り始め、人口の膨張と共に増大する通勤通学輸送に対処するために昭和24年から3年間で20両製造した大型ボギー車である。 後に利用者の乗降の便利のために後部入口扉を中央部に移設両開きとし、また正面窓を1枚わん曲ガラスにするとともに方向幕装置を大型に改造するなど原型とは多少変わっているが昭和46年12月の廃車まで23年間最も長い年月にわたり市民に親しまれてきた電車である。   (解説より)
 
 札幌市 A801
 
 保存場所 : 札幌市交通資料館 (Map Code : 9 314 154*87 )
 鋼製2連々接電動客車(A801−A802)
 この電車は、昭和38年、輸送単位の拡大による集中的大量輸送に対応するため親子電車(M101+TC1)につづいて登場した北海道最初の連接車であり、3編成(6両)製造されたうちの第1号車である。 1編成当り2両の車体を結合した永久連接車で、2つの車体は3個の台車でささえられ、連接部の中間台車は2つの車体をささえている。 車号の頭文字のAはArticulate(連接の意)の略号であり、この種の連接車はその後もふえ13編成(26両)が活躍した。   (解説より)

 札幌市 A802
 
 札幌市 D1041
 
 保存場所 : 札幌市交通資料館 (Map Code : 9 314 154*87)
 鋼製2軸ボギー内燃動車(D1041)
 この低床式路面ディーゼル動車は日本唯一のものである。 昭和33年に新線計画の際、架線をはらずに走れる車両として試作車D1001号を購入し、以降鉄北線延長に逐次増車し輸送力の増強をはかった。 そして39年、この型式車2両を最後の購入車両として在籍16両のディーゼル動車を投入してこの方面の輸送に当った。 42年麻生変電所が建設されてからは一応の使命は達成し、逐次電車に改造されていったが、この車両を含め4両だけは改造されないまま廃車された。 この型式車及びA820・A830型連接車の全体の丸みと窓を大きくした斬新なデザインは北欧ムードを取り入れた北国札幌を代表する車両として全国に広く知られている。  (解説より)
 
 札幌市 TC1
 
 
 保存場所 : 札幌市交通資料館 (Map Code : 9 314 154*87 )
 鋼製2軸ボギー電動客車(TC1)
 この電車は、昭和36年にラッシュアワー対策のため、我が国最初の試作である2両連結車として登場、親子電車(M101+TC1)の愛称で呼ばれてきた車両の子の方である。 この電車のこの電車のこの電車の特色は、朝夕の通勤・通学の輸送のみ親子の2両連結で運転し、日中閑散時には、子を切離し親のM101が単独運転出来るようになっていることである。 昭和45年11月に親子は切離し、親のM101号はワンマンカーに改造された。       (解説より)
 札幌市 雪8
 
 
 保存場所 : 札幌市交通資料館 (Map Code : 9 314 154*87 )
 ブルーム式2軸電動除雪車(雪8)
 大正11年当時の札幌電気軌道株式会社、技師長助川貞利氏が最新式の除雪車として考案したのが、このブルーム式除雪車である。 電車の前方にレールと45°の角度で円筒型ブラシを回転させて軌道内の雪を外側に掃き出してしまうもので市街電車としては最適のものとされている。 このブラシの材料が竹のササラであることから「ササラ電車」の愛称で呼ばれており、この種の除雪車は1号から8号までの8両増備された。 その後車体が老巧化したため昭和43年から45年の3年間で7両を鋼体化したが、この1両は木造のままその使命を終えた。    (解説より)
 札幌市 雪11
  
 
 保存場所 : 札幌市交通資料館 (Map Code : 9 314 154*87 )
 プラウ式2軸電動除雪車(雪11)
 大正9年1月にこのプラウ式除雪車誕生した。 鉄製の片羽は推進方向左側に除雪するように左右逆の羽をそなえている。
軌道敷の車道側に積った雪を横に押し分けて進む方法で主に氷雪のかたまりなどを平らにけずり取るのに使用された。 羽の形取付方向の変更羽の開閉操作の自動化及び手動式ブレーキを圧縮空気式に改造するなど原型とは大分変ってきている。    (解説より)
  
 札幌市 雪DSB1
 
 
 保存場所 : 札幌市交通資料館 (Map Code : 9 314 154*87 )
 ブルーム式2軸内燃除雪車(DSB1)
 この除雪車は、昭和36年に製作したブルーム式ディーゼル除雪車である。 動力源は従来の電動機に代るディーゼル機関によるものである。 当時新線延長の際架線をはらずに走れる車両として採用したディーゼル動車の運行のため、昭和36年から3年の間に同型式車3両を増備して鉄北方面の除雪に活躍した。 42年鉄北線の電化にともない、次第に使用されなくなった。    (解説より)
 
 夕張岳森林鉄道 DL
 
 
 
保存場所 : 北海道開拓の村(MapCode:139 150 214*11)
型式  酒井F42型ボギー車  UD6型エンジン
重量  10トン      製作  昭和31年(1956)酒井工作所
履歴  昭和36年に上芦別営林署から大夕張営林署に移動し、同署管轄の下夕張森林鉄道(昭和16年〜昭和41年)および夕張岳森林鉄道(昭和18年〜昭和41年)で昭和41年の廃止まで稼働していた。
          (解説より)
 夕張岳森林鉄道 DL
 
 
保存場所 : 北海道開拓の村(MapCode:139 150 214*11)
型式  野村プリモス型   イスズDA43型エンジン
重量  5トン      製作  昭和25年(1950)  野村組工作所
履歴  大夕張営林署管轄の下夕張岳森林鉄道(昭和18年〜昭和41年)で昭和41年の廃止まで稼働していた。
    (解説より)
 森林鉄道 モーターカー
 
 
保存場所 : 北海道開拓の村(MapCode:139 150 214*11)
 三井鉱山 蓄電池機関車
 
 
保存場所 : 北海道開拓記念館(MapCode:139 180 090*77)
  三井鉱山砂川鉱業所で使用したもの
 森林鉄道 運材車
 


保存場所 : 北海道開拓の村(MapCode:139 150 214*11)
型式 札幌営林局S2型
製作 中山機械K.K  昭和28年
昭和28年上芦別営林署購入、昭和34年に大夕張営林署へ移動する。
(解説より)
 馬車鉄道車両 1号
 
 
保存場所 : 北海道開拓の村(MapCode:139 180 090*77)
 
 馬車鉄道車両 2号
 
 
保存場所 : 北海道開拓の村(MapCode:139 180 090*77)
 
  トップページに   場所リストに  車両リストに  更新記録に  撮影メモに





inserted by FC2 system