撮影メモ 2007

撮影日 場所 メ    モ
2007/12/15 荒川区 荒川区内では「都電おもいで広場」と「荒川遊園」の2ヶ所で都電が保存されている。 この2ヶ所とも公開されるのは土日休日のみであるため、都内に出るついでに荒川区まで足を伸ばした。  現地へは千代田線の町屋駅から都電に乗り、帰りは王子から南北線に乗ることとした。 また、あらかわ遊園のHPを見たところ、都電一日乗車券を見せることにより入園料が無料となると書かれていたため、町谷で都電に乗車する際には一日乗車券を購入した。 
先ずは荒川遊園に出向いたが、この車両の配置履歴を見たところ、昭和25年から昭和43年まで青山車庫に在籍していたことを知った。 青山車庫周辺は子供の頃のテリトリーで、銀座方面や須田町の交通博物館に出かける際には青山まで行って都電を利用したものである。 当時は、6000形が主力であったが、あらかわ遊園に保存されている6152にもお世話になったことがあると思うと大変に懐かしく感じた。
2007/11/23 藤沢市
鎌倉市
江ノ電の保存車両である単コロの108は極楽寺にある108専用の車庫に入っており、常時シャッターが下りているため、日常、見ることが出来ない。 今日は江ノ電のタンコロまつりで10時から15時まで表に出して公開する日である。 江ノ電の108だけではもったいないため、久しぶりで、鵠沼運動公園に保存されているC11245と由比ガ浜海浜公園に保存されている江ノ電の単コロ107も訪問することにし、10時過ぎに家を出た。 
先ずは鵠沼運動公園に出向いた。 一昨年訪問した際にはSLの手前に花壇があり、足回りが見えないようになっていたのが、現在は花壇が撤去され一寸した広場となっており、その広場を含め、白い半透明の屋根が掛けられたいた。 屋根の下で保存されている機関車を多数見てきたが、ここの屋根ほどすばらしい(写す際に支柱が邪魔にならず、半透明のため光も充分に入ってくる)ところは始めてである。
極楽寺車庫の公開は他の場所と同様、多数の人が出ており、108に人が入らないように写すのに苦労した。 108を写し終わってから、由比ガ浜に居る107を写しに行ったが、こちらは公園に来た人が立ち寄る程度で、閑散としていた。 極楽寺と由比ガ浜の車両は100形の番号続きであるが、集電装置は由比ガ浜の107はポール、極楽寺の108はパンタグラフとなっていた。
2007/11/06 さいたま市
(鉄道博物館)
鉄道記念日に鉄道博物館が開館したときのニュースでは沢山の方が入館し、入りきれない方も居られたとの事。 開館して3週間が経過し、そろそろ落ち着いたのではと思い、出かけて行った。 10時過ぎに入館した。 館内には流石に小・中・高校生の姿は見られなかったが、小学校入学前の子供連れや高齢者のグループで多数の方が居られた。 今回の目的は当然のことながら、鉄道博物館に展示されている車両の撮影である。 しかしながら、人出が多く車両だけを写す事が無難しい。 また、館内は撮影するには暗すぎ、車両の間隔も狭く、大変に条件が悪かった。 今回は画質を落とし(露出感度を上げ)、手すりなどに固定をして撮影をしたが、全般に満足がいかない結果となった。 館内には17時頃まで居たが、午後も遅くなると帰られる方も多く、車両を写す際も入館者をあまり意識しないで写せるようになった。
2007/10/20 小田急
海老名基地
小田急で保存されている車輌は10,2200,3000,3100等が有り、これらの車輌の一部は毎年10月に行われるファミリー鉄道展で公開されている。 今年は千代田線乗り入れ用新型ロマンスカー誕生を記念し?例年、車庫の中で公開されていた3000系が明るい所に出てくると言う事で、開場の10時に現地に着くように出向いた。 海老名に着いた時には既に大勢の人が出ており、下り寄りからの写真を撮るのに1時間、上り寄りからの写真と撮るために3時間弱並び、写し終わったのは14時を回っていた。 西武横瀬と比較をすると、都心に近い分、人出が多く、子供達がいない時を狙って撮らねばならず、大変であった。 なお、3000系は上り寄り先頭車(3021)は誕生当時の形状と塗装に、下り寄り先頭車(3025)は引退時点での形状と塗装になっていた。
2007/10/06 横瀬町
青梅市
西武鉄道の横瀬車両基地には蒸気機関車や電気機関車が保存されている。 この車両基地は毎年、10月に行われているため、今年の予定をHPで注目していたが、なかなか公表されない。 10月5日の金曜日にHPを見たところ、6日(土)に開催されるとの記事を見つけ、土曜日の朝7時に自宅を出発した。 現地には開場15分前に到着したが、既に多くの方が開場を待っていた。 10時の開場とともに中に入り、先ずは4号蒸気機関車から撮影を行った。 開場直後から暫くは各電機周辺など人が多く、写しにくかったが1時間もすると大分、ゆったりとし、機関車など人を気にせずに写すことが出来た。 
横瀬車両基地での撮影は午前中で切り上げ、帰りは青梅経由とし、青梅鉄道公園に立ち寄った。 ここには8月末にクモハ40054を写しに来たが、屋根の建築中で車体はブルーシートで覆われていたため目的を果たせずにいた。 今回はクモハ40の上屋工事は終了しており、目的を果たすことが出来た。 なお、現在はED16と9600などの蒸気機関車群に対する上屋工事が行われており、見ることが出来る機関車は建物の左手にあるD51,C11,E10のみとなっている。
青梅での撮影を終わり帰宅したのは16時半であった。 今日は3連休の初日であり、横瀬への途中には彼岸花で有名な巾着田が有るため渋滞の心配をしたが、出発が早かったせいか?、大きな渋滞にも引っかからず楽に移動が出来た。
2007/9/19 八千代市
佐倉市
白井市
急に思い立って、千葉県のSLで未撮影の白井市河原子のD511116を見るため、家を出た。 そのついでに八千代市の都電8053,佐倉市にある草笛の丘にある都営三田線の6000系2両にも立ち寄ることとした。
自宅を8時過ぎに出たが、都内を抜けるのはやはり時間がかかる。 八千代市まで4時間もかかってしまった。 八千代からは佐倉経由で白井市に行ったが、D511116は大分、人が来るようで、民有地のため、無断立ち入り禁止の看板が出されていた。 この為、望遠で雰囲気を写して帰宅した。
2007/9/13 那須町
塩谷町
宇都宮市
真岡市
下野市
佐野市
今年の元日に撮影できなかった台湾のLDK57が那須に居るとの情報を1月に頂いていたが、なかなか出向けず、今日に至った。 今回は栃木県内の保存車両巡りのため、朝5時半に車で出発し那須町から小山方向に上ってくるコースをとった。 
先ずは那須町のLDK57の所に行ったが、行ってびっくり。 機関車トーマス風な塗装に変身?中。 一寸、問題になりそうな様子である。 那須には以前、福島交通の車両が那須ロイヤルセンター内に有ったので、現場を見に行ったが、コナミの施設に変わっており、中の様子は見えなかった。
塩谷町の「風だより」には軽便関連の車両が何両も保管されており、風だより代表の水野様、けいてつ協会の岡本様には軽便関連の情報を色々と伺うことが出来、楽しい一時であった。
河内町の三和テックに着いたのは1時一寸前で、まだ昼休み時間であったが受付に撮影をお願いしたところ、快くご承認頂き、総務の責任者からは事前に連絡してもらえれば車両の掃除もしておいたのにとの言葉もあり、大変に恐縮してしまった。
真岡駅の目的は2両のSLであるが、2両とも車庫に入っており写すことが出来なかった。 この駅にはキハ20をはじめトラ7000,ヨ5000等が展示されているが車両番号が書かれていないのが残念である。 この後、日酸公園の救援車を写してから葛生に有る住友セメントのDLを撮影してきた。 
2007/9/11 市川市 今年の夏は大変な暑さで自宅に保存車両を見に行こうと言う元気も出なかった。 9月になりようやく人心地ついたので、手始めに市川市の都営地下鉄換気塔横に保存されている都電を見に行った。 現場は市川市文化会館の先にある交差点で右折した先にあり、本八幡駅から10分強の所であった。 車両は高いフェンスに囲まれているが、車両はきれいに塗装されていた。 しかし、どこにも車両番号が書かれていない。 画龍点睛を欠いており、残念だった。
2007/7/24 墨田区
荒川区
鉄道ファン9月号を購入したところ、7月10日から9月9日の間、江戸東京博物館で行われている大鉄道博覧会の記事が目に入った。 この博覧会自体は稲城市立図書館に掲示されていたポスターで知っていたが、RFの記事で下松に返却された「下工弁慶号」と東洋活性白土の「くろひめ号」が展示されていることを知り、早速、見に出かけた。 この日は火曜の午前中で人出もそう多くなく、2両のSLとも全体を楽に写すことができた。 ただし、会場では三脚・ストロボが禁止されていた。 ISO感度を上げると画像にノイズが増える、感度を下げると露出時間が長くなり手ぶれでどちらを選ぶか・・。 この写真は露出時間1/2で挑戦したものである。
この後、王子から都電で荒川車庫にゆき都電おもいで広場に保存されている車両を写したが、広場の開場時間は土・日・祝日の10時〜16時で囲いの外からしか写せなかった。
2007/6
17〜24

北海道
6/17
小樽市
長沼町
栗山町
岩見沢市
三笠市
月形町
美唄市
赤平市
深川市
沼田町
留萌市
羽幌町
午前4時30分定時にフェリーフは小樽港に到着した。 今日から1週間で北海道の車両を写し回る予定である。 
北海道の第一歩は先年、小樽に来た際に、市内からは離れており、写せなかった小樽ワイン工場の前に居るSLからスタートすることにした。 ワイン工場の後は馬追コミュニティセンター・栗山公園に居る夕張鉄道の9600、岩見沢のB20の順に回った。 今日はD51,9600と大型機を順に見てきたせいか、岩見沢のB20は大変にかわいらしく感じた。  三笠市の鉄道記念館では従業員の方がほうきに長い柄をつけ、車両についた蜘蛛の巣を除いて居られた。
美唄市の旧東明駅は事前の予習でナビに場所をセットした所になく、庭先で遊んでいた子供に教えて貰った。 赤平のD51は2004年に仕事で札幌に来た際に撮影に来たが、場所を間違え撮影できなかったもの。 今回はナビの指示で目的地の近くまで行ったが、スキー場への道は崖崩れの恐れがあるために進入禁止となっており、最期の数百メートルは徒歩となった。
沼田町のクラウス15は車庫が造られており、大切の保存されている。 クラウスの保存されている線路は車庫の前の方まで延びているため、近くで清掃作業をされていた町の職員の方にどの様な時に表に出るのか伺ったところ、担当の方と連絡を取って下さり、表に出して下さった。
D61は’70年代に留萌まで撮影に来た機関車であり30数年ぶりの対面である。
6/18
浜頓別町
中頓別町
枝幸町
興部町
西興部村
下川町
和寒町
士別市
昨日は留萌から羽幌までオホーツクオロロンラインを来たが、今日は稚内経由で浜頓別までずっと海岸沿いの道を利用した。 途中、ベニヤ原生花園・ノシャップ岬・宗谷岬など寄り道をしながら移動をしたが、稚内辺りからは雨となり、さらに直ぐ前をパトカーが走っており、宗谷岬までは制限速度での移動となった。 浜頓別のキハ22は国道沿いの所にあり菅原水産の従業員用食堂として利用されている。 浜頓別からは内陸に入り中頓別の寿公園・バスターミナル、枝幸町の健康回復村に行き、再度オホーツク海に向かった。 途中道道808を利用したが、未舗装道路ではエゾ鹿を見かけた。 興部からは西興部村・下川町を経由し和寒町・士別市でSLを写した後名寄のホテルに入った。 道北は車が少なく、予定よりも早く回れたため、明日の撮影順の見直しを行った。 昨日から車のオートクルーズ機能を使用して移動したがアクセル調節など無く、楽な運転である。
6/19
名寄市
滝上町
紋別市

遠軽町
湧別町
佐呂間町
北見市
昨夜、名寄に泊まったが、早く目が覚めたため朝食前に北国博物館にキマロキ編成を写しに行った。 これまで、キマロキの運転はキマにより雪を集め、ロキで雪を飛ばす事は承知をしていた。 今回、キマロキを見たところ、マックレー車とロータリー車は連結されており車掌車を含む5輌編成で運行されていたことを始めて知った。
滝上町郷土館には9600とラッセル車が保存されている。この2輌は建物の中に保存されているが車両の前後が狭く、写すには困難な場所であった。 紋別ではナビの設定を誤り、以前の保存場所である運動公園に行ってしまい、改めて渚滑駅跡に設定し直して現地に行った。 
紋別から丸瀬布へは当初、金八峠経由を予定していたが、9月まで通行止めのため、遠軽経由となり、丸瀬布には昼前の到着となった。 動態保存の雨宮21号と鶴居村営軌道のDLは土日のみ運行で、車庫の中にあり写せず、再訪問が必要となってしまった。 丸瀬布からは遠軽の太陽の丘遠軽公園に向かった。 遠軽のD51は厳望岩の下にあるが、車で行く場合には遠軽町総合体育館を目指すと良い。 この後、計呂地交通公園→佐呂間交通公園→常呂昆虫の家→常呂交通ターミナル→留辺蘂町民会館の順に回ったが多少、早めに回れたので常呂昆虫の家を急遽、経路に追加した。 この為、上手く経路の設定が出来ず、常呂→留辺蘂の移動では佐呂間交通公園の前を再度通過することに成ってしまった。
6/20
美幌町
網走市
清里町
斜里町
標津町
中標津町

別海町
北見市内にはSL公園、三治公園、民家の3個所に保存車両が有るが、これらは昨年9月に仕事で北見に来た際に写したので今回はパス。 その際に撮影出来なかった美幌町のC58の撮影から今日はスタートをした。 美幌町からは網走市卯原内の9600を写して清里町に向かった。 この途中には小清水原生花園が有るので立ち寄った。 原生花園にはエゾキスゲ、エゾ透かし百合がパラパラと咲いていた。 ベニヤ原生花園でも同じ事を言われたが、目立つ花が咲き乱れるのは6月最終週から7月始め頃との事。 花を見るには1週間程度早すぎたようである。
清里町では羽衣児童公園の場所が判らず生涯学習センターで場所を聞いてたどりついた。 今回の撮影行ではGoogleやYahooに地図が有り、これまでに皆さんが各地を回られた際の情報や車両が保存されている自治体に問い合わせのメールを出したりして場所を調べカーナビにセットした出てきたが、近くまでたどり着けても最期の詰めが出来ず、現地で場所を探す事が結構あった。 標津町では公民館広場にC11,川北駅跡にキハ22が保存されているが両者とも地図からは見つけられず、標津町に問い合わせメールを出したが、回答が得られないままの出発となったが、両者ともそう苦労せずに見つけることが出来た。
6/21
浜中町
釧路市
鶴居村
津別町
陸別町
中標津に宿泊し、先ず別海町奥行臼に保存されている別海村営軌道のDLを写しに行った。 駅の跡は苦労せずに見つかったがその辺りに車両が保存されている様子は無く、付近に人も居られないため、今回はパスとなってしまった。 (自宅に帰りHPで再調査を行ったところ、村営軌道の停留所はJR奥行臼駅から更に一寸行った所に有ることが判明。 次回への持ち越しとなる。) この後根室に向かい、納沙布岬を通ってから最東端の駅である東根室に行き最東端の碑を写した。 今回の行程では稚内で最北端の碑も写しており、東西南北で写していない(行ったことは有るが)のは最西端(平戸口)のみとなった(最南端は沖縄モノレール)。
浜中町のふるさと公園はHP等を調べても場所が判らなかった所である。 茶内迄行き駅前の洋品店でふるさと公園のDLについて聞いたが判らない(知らない)。 この為、あきらめかけたが、たまたま表で煙草を吸っている方が居られたので伺ったところ、正確な場所を教えて頂けた。
釧路市内には釧路製作所と幸町公園にSLが保存されている。 釧路製作所の8722は正門を入った左側に有った。 近くに居られた社員の方に断って写してきた。 
津別町の北見相生駅跡にはDCとPCが保存されているとの事で出向いたが、現地には除雪車(キ703)も保存されていた。 今回の撮影行では名寄のキマロキの様に予定していた除雪車もあるが、予定外の(私の保存車両リストに無かった)除雪車を何両も写すことが出来た。
6/22
上士幌町
新得町
帯広市
大樹町
当初予定では津別・陸別は今日写す予定であったが、昨日回れたため、宿泊地の阿寒湖から上士幌経由で、2004年9月に紅葉を見るため来道した際に立ち寄れなかった新得のSLを目指した。 D5195は駅から600m位の線路と国道の間、スキー場への入口に有った。 9600は国道を狩勝峠に向かって登り、途中でサホロCCへの道を左折した旧新内駅跡にある。 旧新内駅付近に「苦闘之碑」が有るとのことで探したが見つからなかった。 
帯広市には広尾線の愛国駅跡にSL、幸福駅跡にDCが保存されている。 この2個所は現在でも観光名所?であり、今回の撮影行の中で最も人の出が有った場所である。 
大樹町からは襟裳岬経由で静内町のトレイン公園に行った。トレイン公園にはキハ80等が居る予定であったが、もぬけの空で空振りとなった。
6/23
むかわ町
平取町
千歳市
札幌市
苫小牧市
今回、第4土曜日まで在道した理由は苗穂工場に保存されているC623などを写すことである。 今朝は6時過ぎに静内の宿を出て、鵡川・二風谷・振内に居るサハリン帰りのD51を写した。 二風谷の機関車は詳細な場所が判らず現地で2回ほど聞いてたどりついた。 国道脇に居たが、テンダーは無く、機関車も赤錆であった。
千歳市の竹田牧場にはキハ592があるとの事で探したが牧場が見つからず断念し、キリンビール千歳工場経由で苗穂に向かった。 苗穂は2004年7月に仕事で来た際に立ち寄ったが、平日で門前払いとなり、外から写した経緯がある。 今回は中に入って近くから撮影が出来た。
札幌からは高速で苫小牧に移動し、市内に入ったが至るところに警備の警官が立っている。 沿道の所々には日の丸の旗を持った人も多くいる。 アカシア公園の近くでは一方通行の道では警官がやってきて、明日ある植樹祭の為に天皇・皇后の両陛下が来道し、あと10分ほどすると通過するので一寸待って欲しいとの事。 幸い、両陛下が通られる前に移動をさせて貰い、アカシア公園での撮影は無事に終わった。 そのころには両陛下も通過され、それまで多数居た警官も潮が引くように居なくなってしまった。 科学センターのC11を写し終わって横を見ると「ミール」公開とある。 科学センターに入るとソ連の宇宙船「ミール」の予備機が保存されていた。 宇宙船の寝台やトイレなど船内も見ることが出来大変に興味深かった。
苫小牧からはフェリーで新潟に向かい、帰宅の途についた。
2007/5/31 甲州市
甲府市
笛吹市
富士河口湖町
前日までの天気予報では終日数%の降雨確率であったが、朝起きると非常に良い天気で急遽、山梨県内の未撮影車両を撮りに行く事にした。 途中、笹子にある笹子トンネルの記念碑も撮影するため、先ずは20号線で笹子に向かった。 笹子駅には大きな石碑が3つ有るが笹子トンネルのものが一番立派だった。
笹子の次は勝沼ぶどうの郷駅前行き、EF64を撮影した。 この機関車は昨年11月にこの場所に設置されたもので大変にきれいな状態である。 機関車の周辺はまだ公園の整備中でる。
甲府には長田組土木(株)本社にある中央線の工事に使用された機関車が置かれている。 この機関車は変速機部分のカバーが外され中が見えるようになっている。 この説明については風雅松本亭のHP http://www.g-gauge.jp/osada.html で解説されている。
笛吹市には富士急で廃車となった5707,5708の2輌が日本システムウエア山梨工場の敷地内に保存されている。 場所は一宮御坂ICから御坂トンネルに向かう途中の左側である。 現地に到着し工場の周囲を回ったが門は全て閉じられており、門の近辺に人が居らず敷地外からの撮影となった。 
富士急創業時に新製された車両であるモ1が河口湖駅前に保存されている。 この車両もこの場所に展示されてから日が浅いため塗装もきれいである。 
河口湖駅前で写し終わった頃から雨が降り始め、同志道で戻ったが神奈川県内ではひどい土砂降りとなった。  
2007/5/27 京急
ファインテック
京浜急行の久里浜車庫に保存されているデ1、デ51は工場の一般公開時だけしか撮影のチャンスがない。 公開は10時からであるが現地には9時45分頃到着した。 入口前には既に大勢の人が集まっている。 定刻10時に開場。 先ずは保存車両を目指した。 皆同じ方に行くが、多くの人のお目当ては現役車両の撮影。 保存車両の所には立ち止まる人も多くない。 あまり人が入らずに2輌の撮影を終わり、その後は工場内の見学、鉄道部品の販売個所の冷やかし等を行い、1時間強で会場を後にした。
2007/5/11 箱根町 近場で未撮影であった箱根のD51を写しに出かけた。 場所は箱根駅伝博物館から徒歩で5分ほどの所の函嶺・ふる里収蔵館である。 函嶺・ふる里収蔵館ではD51947の為に建物を建て、開館時以外はシャッターを卸して保管をされていた。 館の方からは”北海道から持ってきて整備を行った際、錆びた金属が2トン車に2台分位出た。 この車両が北海道の七飯町に保存されていた頃をご存じの三重在住の方が箱根に移動したことを知り面会に来られ、半日位懐かしそうに見て居られた。”との話しを伺った。  このD51は、現在は錆びもなく綺麗に補修されており、大切に保存されて居られる様である。。 
2007/4/6 川越市
熊谷市
今日になって急に1日、時間が空いた。 この為、1月1日に写し残した川越のモ522と妻沼のキハ2002を写しに出かけた。 10時に家を出て先ずは川越のオールドスパゲティファクトリー川越店に置いてある名鉄522を目指した。 国道16号線を使い、現地には11時50分着。 お目当ての522は店内に置かれている為、先ずはスパゲッティを注文してから撮影をした。 店内に置いてある為、流石に台車は履いて居らず、車体のみだが、屋根の上にはパンタグラフが載っている。
昼食後正月に時間切れとなった妻沼中央公民館を目指した。 現地には15時頃到着した。 車両は妻沼中央公民館の隣にある郷土資料展示館と言う建物の横に立派なホームが設けられて保存されていた。 なお、この展示館では2月6日〜9月2日まで妻沼線と熊谷空襲展を行っていた。
2007/3/15 静岡市
富士市
HPを見ていると、静岡鉄道に保存されているモハ20が3月末に解体されることになったとの情報に行き当たった。 静岡市にはフェルケール博物館に清水市内線の電車や清水港線の客車が保存されているため、青春18切符の残りも有るため、急遽、清水に向かった。  静岡市では三保ふれあい公園→フェルケール博物館屋外展示場→長沼工場→城北公園の順に回り静岡駅に戻ったのは14時で有った。 まだ十分に時間の余裕があるため、帰り道に富士市内に保存されている新幹線車両も写してきた。 富士市内では本吉原小学校にC57と都電が建物の中で保存されて居り、この2両についてはまだ、きちんと写していないため再度訪問しなければいけない場所である。 しかしながら、今回の清水行きは急遽決めた事であり、近年、学校における安全問題が多発している事から本吉原小学校についてはあきらめた。
2007/3
5〜7
 今年の青春18切符は例年よりも安くなったため、一寸遠くで、1箇所だけ残っている保存蒸気3箇所を写しに行くことを計画した。 当初は自宅から往復する予定であったが、3月から時間が自由になったこともあり、4日のムーンライト越後で出発し、柏崎→飯田→松阪を回り7日夜に帰宅する事とした。
3月 5日
柏崎市
十日町市
長野市
 5日は新潟から越後線経由で定刻に柏崎に到着し、サハリン帰りのDD51−1を撮影した。 この後、犀潟経由でほくほく線まつだいに行きほくほく線の工事用DLを写したが、犀潟辺りから雲行きがおかしくなってきた。 犀潟では湯沢行きが5分ほど遅れて到着。 まつだいでは犀潟行きが15分遅れ。 犀潟で10:29の直江津行きを待っていると6分遅れの放送が入り、その後10分毎に遅れが10分ずつ増えて行く状況となった。 このままでは直江津11:54の長野行きに乗れなくなるため、駅事務所に行くと、同様な方が何人も居られ、JR持ちで犀潟から直江津駅までタクシーで移動し、無事、長野行きに乗車出来、長野営林署のDL撮影も行えた。 長野からはみすずで駒ヶ根に移動し初日は完了。 夜TVを見ると、春の嵐で日本海側は大変な事になっていた事が判り、良く予定をこなせたと安堵した。
3月 6日
飯島町
飯田市
 今日は駒ヶ根から飯島に行き、与田切公園のDL、飯田のD51を写した後は松阪までの移動である。 与田切公園・飯田共に予定通りに終わったが、飯田線は移動に時間がかかる。 D51の撮影が終わり、飯田駅に戻ると名古屋行きの高速バスが入ってきた。 このバスの乗れば2時間強で名古屋バスセンターに到着する。 飯田線で移動すると豊橋まで3時間半強、更に名古屋まで1時間。 今回は青春18切符の為、当然、飯田線経由。 この様な余裕のある?移動をせかされない旅は久しぶりである。  移動中にニッポンレンタカーから電話が架かってきた。 明日東愛知付近を回るためのレンタカー予約を今日の日付でやっていたとの事。 改めて、明日の日付にして貰う。 ニッポンレンタカーさんすみません。
3月 7日
松阪市
半田市
武豊町
岡崎市
幡豆町
 朝、6時半にホテルのレンタサイクルを借り、中部台運動公園に向かう。 この場所は昨年10月にレンタカーで三重県を写し回った際、津から松阪への移動が夕方のラッシュ時になり、レンタカーを返却する時間に間に合わなくなるためにあきらめた場所である。 ホテルから約20分で現着し、撮影後ホテルに戻り朝食。 この後8時の列車で刈谷に移動し、昨日予約したレンタカーを借りる。 先ず、刈谷交通公園に行くと水曜日は休みでお目当ての名古屋市電は撮影できず。 ここから半田市のC11265を写し武豊町に向かう。 武豊町の歴史民俗資料館でダイナマイト運搬用トロッコを写した後、レンタカーのエンジンをかけるも、スターターが回らず、走行不能。 借りた営業所に連絡をとり代車を持って見に来て貰う。 バッテリーNGとのこと。 ここでのロスは1時間。 この後西尾のC12、岡崎のD51、幡豆町のC11などを写す。 二川のD51も写したかったが閉園時間に間に合わず、次回繰越となる。 
18時に豊橋でレンタカーを返却し、各停を乗り継いで帰宅。 当初は川崎から登戸に出て小田急にする予定が、小田原で急遽、小田急に乗り換え。 22時発に間に合い、川崎経由よりも1時間以上早く帰宅出来るつもりが、鶴川駅を通過した直後に急ブレーキ。 踏切でバイクを引っかけたとのこと。 バイクの運転手救出などで小一時間停車。
結局は川崎経由と対して変わらず。
今回の撮影行は毎日、日替わりで出来事が続き、大変に変化に富む3日間であった。
2007/2/12 横浜市
逗子市
今年最初の3連休だが毎週土曜日は出社しなければならず、日・月が稼ぎ時であるはずが、結局は神奈川県内での撮影となってしまった。 朝10時前に家を出て先ずは野毛山動物園にある市電を撮りに出かけた。 この電車は動物園の中に有るためか、小さい子供たちが出入りしており、人を入れずに写すのに一苦労。
野毛山動物園からは磯子の加藤組本社にあるガソリン機関車を写すべく車を走らせていたところ、滝頭の横浜市電保存館の横を通ることになったので、一寸立ち寄った。ここは2003年5月に来ているが、狭いために全ての車両を写すことが出来なかった。今回は以前より多少広角のカメラ持っているので再挑戦といったところ。 幸い、今回は全ての車両が撮影できた。(35mm換算で28mmで撮影)
次は根岸の(株)加藤組本社であるが、見つからない。当該住所には新しいマンションが出来ており、購入者へのお披露目の最中。この為、あきらめて最後の逗子市第一運動公園に移動。 
第一運動公園では京急の601が公園の中でもJRに最も近い側に保存されていた。しかしながら車両の周囲には金網があり、鍵が掛かっている。たまたま、造園作業者が居て鍵を開けてくれ、無事、撮影完了。
今年は空振りが多いようである。
2007/ 1/ 1 毛呂山町
鳩山町
昨年11月に鳥取・島根に撮影に出かけたから2ヶ月近く間が空いてしまった。 
元旦には久しぶりで出かけることにし、近郊の未撮影リストをチェックしていると、埼玉県の川越市・毛呂山町・鳩山町が候補としてあがった。 さらにリストを眺めていると妻沼の東武キハ2002、蓮田のペコペコにあるLDT57等も候補になった。 LDT57については次のHPで2005年9月30日のところに122号線と武蔵野線の交わるところ近くで撮影したとの記録を見つけた。
   http://2.suk2.tok2.com/user/tadayusaku-protok2/?c=026
この為、元旦の経路はさいたま市→川越市(スパゲッティレストラン)→新しき村→トロッコ公園→妻沼公民館と言う経路で11時頃自宅を出発した。 
さいたま市の122号線と武蔵野線の交わる当たりに来たがLDT57はいない。 HPで機関車の後ろに写っていたホテルは見つけたが、機関車はいない。 SLが置いてあったと思われる場所には新しいビルが建てられていた。 機関車はどうなったのか不明。 この為川越のスパゲッティレストランの中に置かれている名鉄のモ522目指して移動を開始。 川越市内では初詣の渋滞に巻き込まれイライラしながら現地についたところ、1日は休業。 あきらめて新しき村・トロッコ公園と回ったところで16時過ぎとなり、妻沼に到着する頃には日没となりそうな時間帯となった。
今日はトロッコ公園で終了とした。 今年の撮影行は前途多難を予想されるようなスタートとなってしまった。


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