愛知県 名古屋市 |
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2412 |
保存場所 : 市立科学館 ( Map Code : 4288369*15 ) この機関車は通称B6と呼ばれ、明治37年ドイツのハーノーバー社で製造され、日露戦争の軍需品輸送のため74両の仲間とはるばる海を渡って来ました。明治38年4月からは鉄道作業局(旧国鉄−現在のJR)の所属となり、大正時代には中央線、昭和になって名古屋鉄道管理局の武豊線、高山線などの小運転、入換用として活躍しました。昭和23年1月29日名古屋鉄道管理局の高山機関区で廃車となり、昭和23年2月石原産業(株)四日市工場に貸与、昭和23年3月10日から同工場の専用線で貨物輸送、行員の通勤輸送に使用されました。その後、昭和25年2月24日国鉄から払い下げられ、昭和43年7月31日まで通算63年の長い間元気に働いてきましたが、動力車近代化のため、用途廃止となり、石原産業(株)四日市工場より、名古屋市が寄贈を受けました。あまり大きな改造もされず、製造当時の原型に近い貴重な機関車です。(解説より) |
ケ90 |
保存場所 : JR東海 研修センター ( Map Code : 4322227*46 ) この機関車は、大正7年(1918年)大日本軌道製造株式会社で造られ、東海道線の丹那トンネル建設の工事資材輸送に活躍しましたが丹那トンネルが完成した後に東海道線を引退し、昭和10年3月ここに教材用として送られてきました。 昔土木用軽便機関車としてみんなから親しまれ愛されてきましたが、その後老巧がひどくなったので、昭和38年12月稲沢第二機関区の協力で修理復元しました。 そのとき、一般見学者のために、ボイラーやピストンを切り開き、なかの構造がよくわかるようにしたものです。(解説より) この車両はリニア・鉄道館に移動しました。 |
ケ90 |
保存場所 : リニア・鉄道館 ( Map Code : 152 477 492*66 ) 762mm軌間の軽便鉄道用小型蒸気機関車 1918(大正7)年に新多治見〜広見間で営業を開始した東濃鉄道で使用された蒸気機関車。 線路幅は通常よりも狭い762mmの軽便鉄道と呼ばれていた路線で使用されていた。 新多治見〜広見間は1926(大正15)年に鉄道省に買収されて、ケ90形式も鉄道省所属の機関車として。1928(昭和2)年に太多線が1067mmに改軌されるまで使用された。 (解説より) |
C57139 |
保存場所 : JR東海 研修センター ( Map Code : 4322227*32 ) 準鉄道記念物第一号 C57139号蒸気機関車 C57型蒸気機関車は、幹線旅客用として作られた標準的機関車で、特にその端麗な容姿と、優雅な風格は、別名「貴婦人」とも呼ばれ、蒸気機関車の中でも最もスマートな機関車といわれています。 この機関車は、昭和15年9月三菱重工業株式会社神戸造船所で製造されたもので、現在の山陽線、北陸線及び関西線などで活躍し、第一線を引退するまでの全走行キロは、2,131,000KMに及び実に地球を52周した距離に達しました。 昭和21年5月名古屋機関区に配属されて以来、東 |
海地方の産業・経済・文化の発展に寄与し、特にお召し列車けん引の栄誉を担うこと三たびにおよび、名実ともに国鉄名古屋鉄道管理局の代表的機関車として活躍しましたが、昭和44年9月関西線無煙化の際サヨナラ蒸気列車けん引を最後に引退しました。 この機関車の偉大な功績と雄姿を永遠に偲び、かつ、鉄道100年の歴史をつくり、永久に国鉄線上から消える蒸気機関車の姿を職員の学びの庭であるここに保存して、後輩に伝えたいという、名古屋第一機関区や中部鉄道学園を始めとする職員の熱意が、名古屋鉄道管理局管内のみならず、長野・静岡・金沢各鉄道管理局内及び工場等の23000人におよぶ職員の募金により実を結び、昭和46年6月2日この地に名古屋鉄道管理局準鉄道記念物として永久保存されることになり、昭和62年4月1日から東海旅客鉄道株式会社に引き継がれたものであります。 昭和62年4月1日 東海旅客鉄道株式会社 (解説より) この車両はリニア・鉄道館に移動しました。 |
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C57139 |
保存場所 : リニア・鉄道館 ( Map Code : 152 477 492*66 ) 近代型蒸気機関車のスタイルを決定づけた機関車 主要路線で運転される旅客列車を牽引することを目的に、1937(昭和12)年から総計201両が制作された蒸気機関車。 ボイラー、動輪などの改良によって、中型の機関車でありながら高い性能を誇る。 扱いやすい機関車としてその足跡は全国に及んだ。 直径1750mmという大きな動輪と細身のボイラーは、バランスのとれた美しさでも評価が高い。 (解説より) |
C6217 |
保存場所 : 東山動植物公園 ( Map Code : 4268383*36 ) C62型蒸気機関車は、昭和23年から24年にかけて約50両製作され、東海道本線、山陽本線、常磐線、東北本線などの長距離特急用として活躍した機関車で、狭軌鉄道用のものとしては日本最高最大の蒸気機関車です。 ここに展示してあるC6217号蒸気機関車は、昭和25年8月28日名古屋機関区に配属されてから昭和30年7月17日梅小路機関区に転出するまで東海道本線のつばめ、はと、さくらなどの特急列車に使用され、名古屋の皆さんになじみ深い機関車です。 |
なお、昭和29年12月15日に行われた東海道本線木曽川橋りょう上での速度試験で、時速129Kmという狭軌鉄道蒸気機関車の世界記録を樹立しました。製造当初より背負うわ45年9月糸崎機関区で使用停止となるまでの運転キロ数は約257万Kmを記録し、これはC62型蒸気機関車の最高記録となっています。(解説より) この車両はリニア・鉄道館に移動しました。 |
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C6217 |
保存場所 : リニア・鉄道館 ( Map Code : 152 477 492*66 ) 世界最高速度を記録した最大・最速の大型蒸気機関車 急行・特急用として制作された日本で最大・最速の旅客用大型蒸気機関車。 既存のD52形式蒸気機関車のボイラーを流用して1948(昭和23)年から総計49両が誕生。 東海道本線の特急「つばめ」「はと」」などの牽引に使用した。 この展示車両(17号機)は1954(昭和29)年の木曽川橋梁の強度試験にて129km/hを記録。 これは狭軌における蒸気機関車の世界記録となっている。 (解説より) |
ED112 |
保存場所 : リニア・鉄道館 ( Map Code : 152 477 492*66 ) 東海道本線電化のための輸入機 東海道本線の東京〜国府津間電化と、横須賀線の電化に備えて、1923(大正12)年にアメリカのゼネラル・エレクトリック社から輸入した小型電気機関車のうちの1両。 まだ電気機関車を国産することができなかった鉄道省が、さまざまな形式を試験的に輸入したうちの1形式で、晩年は横浜工場で構内入換用として使用した。 (解説より) |
ED182 |
保存場所 : リニア・鉄道館 ( Map Code : 152 477 492*66 ) 東海道本線で活躍の後、飯田線に転出 東海道本線電化に備えて、1923(大正12)年にイギリスから輸入された1040形を、飯田線で使用するために改造して誕生した2両のうちの1両。 台車の中央に遊輪を1軸追加し、それぞれの車軸にかかる重量を軽減。 飯田線などの支線での使用を可能にした。 1970年代に廃車となった後、1992(平成4)年にJR東海が2号機を整備して復活。 2005(平成17)年までイベント列車などで使用した。 (解説より) |
EF58157 |
保存場所 : リニア・鉄道館 ( Map Code : 152 477 492*66 ) 戦後の代表的な旅客用電気機関車 1946(昭和21)年から172両が制作された旅客用電気機関車。 1952(昭和27)年製造の戦後形から流線形車体を採用。 のちに前期形も流線形車体に改良された。 特急列車の牽引にも使用され、戦後の花形として活躍。 東海道本線の全線電化完成時には特急「つばめ」「はと」を牽引し、その後はブルートレインから荷物列車まで幅広く活躍した。 (解説より) |
モハ1035 |
保存場所 : リニア・鉄道館 ( Map Code : 152 477 492*66 ) 電車の始祖 大正時代に制作された木造電車 鉄道省が1921(大正10)年から制作した木造車体の電車。 それまでの木造電車と違い運転質が仕切り壁にて独立。 京浜線、中央線などで運転され、通勤電車の標準となった。 1938(昭和13)年に三信鉄道(現飯田線)、1953(昭和28)年には大井川鉄道へ払い下げられ、その後1994(平成6)年にJR東海が譲り受け、鉄道省時代の姿に復元した。 (解説より) |
クモハ12041 |
保存場所 : リニア・鉄道館 ( Map Code : 152 477 492*66 ) 鉄道省初の鋼製電車 鉄道省が製造した最初の鋼製電車モハ30形式を改造し、1両でも運転が可能なように車体の両端に運転台を取り付けた形式。 クモハ12041は幾度かの改造を経た車両で、主に京浜線で使用された後、国鉄浜松工場で入換牽引に使用されていたクモヤ22112を1987(昭和62)年に旅客用に再改造。 2002(平成14)年まで使用していた。 (解説より) |
モハ52004 |
保存場所 : リニア・鉄道館 ( Map Code : 152 477 492*66 ) 流線形デザインで一世を風靡 京阪神間の急行用として、1936(昭和11)年から1937(昭和12)年にかけて12両製造された電車の先頭車。 車体は当時の世界的な流行となっていた流線形デザインを採用し「流電」の愛称でも親しまれた。 明るいツートンカラー、固定編成での運転も、それまでの国鉄(当時鉄道省)電車の常識をくつがえすものとして大きな話題となった。 晩年は、飯田線で使用していた。 (解説より) |
モハ63638 |
保存場所 : リニア・鉄道館 ( Map Code : 152 477 492*66 ) 都市圏輸送に貢献した戦時設計の通勤形電車 戦時下における通勤形電車で、戦時中・戦後の輸送に大きく貢献した。 戦争による資材と熟練工の不足を補うために、車体は徹底的に簡素化された構造に設計されていた。 1951(昭和26)年に桜木町駅構内で発生した同形式の列車火災事故では106名の尊い命が失われた。 これ以降、列車の火災対策が本格的に進められた。 (解説より) |
クハ111−1 |
保存場所 : リニア・鉄道館 ( Map Code : 152 477 492*66 ) クハ111形式電車 東海道線で最初の新性能近郊形電車 走行音が静かなカルダン駆動など、斬新なシステムをいくつも採用した「新性能電車」と総称された電車群の中で、国鉄が東海道本線などの中距離輸送用として開発した111系電車の先頭車。 1962(昭和37)年に運転を開始し、電動車は後に出力が増強されて113系へと発展。 近年まで輸送の一線で活躍した。(解説より) |
クモハ165−108 |
保存場所 : リニア・鉄道館 ( Map Code : 152 477 492*66 ) 勾配路線を中心に活躍した165系急行形電車の先頭車 1963(昭和38)年から営業運転を開始した165系急行形電車の先頭車。 東海道本線等の平坦な区間で活躍していた153系電車をベースに勾配線区・寒冷地向けに開発され、信越本線、上越線、中央本線などで使用された。 急行「アルプス」などの山岳夜行列車としても活躍し、当時のブームを背景に、多くの登山者を運んだ。 (解説より) |
サロ165−106 |
保存場所 : リニア・鉄道館 ( Map Code : 152 477 492*66 ) 勾配路線を中心に活躍した165系急行電車の1等車 1963(昭和38)年から運転が開始された165系電車の1等車(現在のグリーン車)。 室内にはリクライニングシートを配置して、優れた乗り心地を提供。 大きな側窓も特徴となった。 片側の車端部には構内入換用の運転台が設けられ、屋根上にはヘッドライトが取り付けられている。 (解説より) |
クハ116−209 |
保存場所 : リニア・鉄道館 ( Map Code : 152 477 492*66 ) 117系電車 名古屋都市圏の輸送を刷新した「東海ライナー」用近郊形電車 117系は1980(昭和55)年1月に、関西圏の新快速電車として運転を開始。 従来の近郊形電車とは別格の居住性を提供し、「シティライナー」の愛称で親しまれた。 1982(昭和57)年には名古屋地区でも運転を開始し、「東海ライナー」の愛称がつけられた。(解説より) |
クハ117−30 |
保存場所 : リニア・鉄道館 ( Map Code : 152 477 492*66 ) |
モハ117−59 |
保存場所 : リニア・鉄道館 ( Map Code : 152 477 492*66 ) |
クハ381−1 |
保存場所 : リニア・鉄道館 ( Map Code : 152 477 492*66 ) 曲線の通過速度を向上させる「振子式」を初めて採用 曲線区間を通過する際に車体を内側に傾けることで、より高速の運転を可能とした「振子式」システムを初めて採用した特急形電車。 381系は1973(昭和48)年の中央本線・篠ノ井線電化時に名古屋〜長野間の特急「しうなの」としてデビュー。 曲線通過速度を25km/h向上させる優れた性能を発揮。 「振子式車両」の実力を示した。 (解説より) |
クロ381−11 |
保存場所 : リニア・鉄道館 ( Map Code : 152 477 492*66 ) 抜群の展望が好評だったパノラマ車 中央本線の中央線の特急「しなの」の魅力をアップさせるために、1988(昭和63)年にサロ381形式電車を改造して生まれたパノラマ車。 車両の先頭寄り3分の1を展望室風のグリーン車として、大型リクライニングシートを設置。 前面窓、側面窓とも大型化されて、よりワイドな展望を楽しめるようになった。 特急「しなの」の長野寄り先頭に連結されて使用された。 (解説より) |
16−2034 |
保存場所 : リニア・鉄道館 ( Map Code : 152 477 492*66 ) 東海道新幹線0系のグリーン車 0系新幹線電車のグリーン車。 0系新幹線では、普通車は1列に5人分のシートが並んでいたが、グリーン車はフットレスト付きの大型リクライニングシートを1列に4人分配置し、普通車とは別格の乗り心地を提供した。 インテリアは落ち着いた配色でまとめられ、絨毯が敷かれた床も、普通車には無い豪華な設備として乗客の憧れの的となった。 (解説より) |
21−86 |
保存場所 : リニア・鉄道館 ( Map Code : 152 477 492*66 ) 世界で初めての200km/h運転を実現した初代新幹線電車 1964(昭和39)年に開業した東海道新幹線で、開業時から使用した0系新幹線電車と同型の先頭車(1号車)。 東海道新幹線は世界で初めて最高速度210km/hでの営業運転を行い(その後220km/hで運転)、東京都、東京と新大阪の間を3時間10分で結んだ。 0系新幹線電車はその後20年以上の間に3216両が制作され、2008(平成20)年まで活躍を続けた。 東海道新幹線では1999(平成11)まで使用した。 (解説より) |
36−84 |
保存場所 : リニア・鉄道館 ( Map Code : 152 477 492*66 ) 博多開業に合わせて営業が始まった食堂車 1975(昭和50)年の新幹線博多開業に合わせて制作された食堂車。 それまで、新幹線にはビュフェ(簡易食堂)しかなかったが、路線が博多まで延伸し、乗客が車内で過ごす時間が長くなったことから、初めて本格的な食堂車が制作された。 36形式は99両が制作され、編成に組み込まれて1999(平成11)年まで使用したあと、2000(平成12)年に廃車となった。 (解説より) |
37−2523 |
保存場所 : リニア・鉄道館 ( Map Code : 152 477 492*66 ) より機能的に変貌した0系新幹線のビュフェ車 0系新幹線の2代目ビュフェ車。 当初、新幹線は東京〜新大阪間を3〜4時間の乗車時間で運行していたため、ビュフェ車による供食サービスを行っていたが、1975(昭和50)年の博多延伸で7時間となるのに伴い食堂車(36形式)を導入した。 そこで1976(昭和51)年製以降の本形式では、従来のビュフェ車の椅子を廃止し立食方式とし、あわせて多目的室や車椅子対応トイレを設置しサービス向上を図った。 (解説より) |
922−26 |
保存場所 : リニア・鉄道館 ( Map Code : 152 477 492*66 ) 新幹線の線路、架線、信号をチェックする「ドクターイエロー」 新幹線の安全運航を保つために、走行しながら架線、信号、軌道の検査・測定を行う事業用の新幹線電車。 通常の営業列車と同じ速度での走行が可能なように0系新幹線をベースに制作され、車内には各種の測定機器が搭載されている。 車体の色から「ドクターイエロー」の愛称がつけられた。 展示の車両は7両編成中の7号車として運転された。 (解説より) |
123−1 |
保存場所 : リニア・鉄道館 ( Map Code : 152 477 492*66 ) 世界トップクラスの居住性を誇った100系新幹線電車の先頭車 0系新幹線の後継車として、東海道新幹線の開業から21年後の1985(昭和60)年から営業運転を開始した100系新幹線電車の先頭車。 100系は0系をベースとしながらも、居住性の大幅な改善が図られた車両で、1992(平成4)年までに1056両が誕生。 優れた居住性は世界でもトップクラスのものとなり、編成には2階建て車両が2両組み込まれていた。 (解説より) |
168−9001 |
保存場所 : リニア・鉄道館 ( Map Code : 152 477 492*66 ) 抜群の展望を楽しめた2階建て食堂車 100系新幹線の編成中央部、8号車に連結した2階建て食堂車。 2階が客車、1階がキッチンという構成で、大きな窓からの見晴らしを楽しみながらの食事は、メニューがグレードアップされたこともあって、順番待ちができるほど好評であった。 食事を楽しむためにこの車両が連結された列車に乗車する人も多かった。 (解説より) |
322−9001 |
保存場所 : リニア・鉄道館 ( Map Code : 152 477 492*66 ) 270km/h運転を実現した初代「のぞみ」試作車 1964(昭和39)年の開業時から使用した0系、その後継車100系に続く3代目となる東海道新幹線電車として1990(平成2)年に誕生した300系量産先行試作車。 270km/h運転を実現するために開発し、アルミ合金製車体やコンパクトな交流モーターの採用などによって徹底した軽量化を追求。 高速走行、省エネルギーなどの性能が、それまでの新幹線の比べて大きく向上した。 (解説より) |
323−20 |
保存場所 : リニア・鉄道館 ( Map Code : 152 477 492*66 ) 「のぞみ」運転のために制作された300系新幹線電車 1992(平成2)年から運転を開始した300系量産先行試作車による走行試験けるかをふまえ、細部の車体デザインや、社内設備を変更。 JR東海所属の300系量産車は960両が制作された。 (解説より) |
955−6 |
保存場所 : リニア・鉄道館 ( Map Code : 152 477 492*66 ) 最新・最良の高速鉄道システムを追求するための試験電車 新幹線電車のあるべき姿を追求するために、1994(平成6)年にJR東海が制作した6両編成の6号車。 7年間にわたり約600回の試験運転を実施し、高速化のためのさまざまな課題を克服するためのデータが収集された。 この展示車両は1996(平成8)年には電車方式では当時の世界最速となる443.0km/hを記録した。 (解説より) |
MLX01−1 |
保存場所 : リニア・鉄道館 ( Map Code : 152 477 492*66 ) 世界最高速度を記録した超電導リニア 車両に搭載した超電導磁石と地上に設置したコイルとの間に生じる磁力で車体を浮上させて走る超電導リニア。 車輪とレールとの摩擦力(粘着力)に頼らないため、従来の鉄道よりも高速運転が可能である。 この展示車両は2003(平成15)年には581km/hという鉄道による世界最高速度を記録した。 (解説より) |
名古屋市 179 |
保存場所 : 上前津東公園 ( Map Code : 4259280*55 ) |
名古屋市 1401 |
保存場所 : 市立科学館 ( Map Code : 4288369*15 ) 名古屋市電1401号車は1400型の1号車とし、昭和11年12月製造以来、昭和49年3月名古屋市電前面廃止まで30余年にわたって活躍し、その後に、名古屋市交通局のご厚意並びに名古屋鉄道、東海銀行、松坂屋、中部電力、東邦ガスのご強力により展示されました。 1400型ボギー車は昭和11年、名古屋市電気局の技師を始め、日本車輌製造(株)の技術関係者の衆知を集め設計された優秀車です。 当時、先に製作された1200型、1300型半鋼製ボギー車は重量が大で電力消費が多く不経済であるため、軽量で使いやすい低床ボギー車を目標 |
として計画されました。昭和11年12月全重量14トン、45馬力電動機2個付、定員70人乗りの1400型半鋼製ボギー車として、車体は日本車輌製造、台車は住友金属工業、電動機は日立製作所で20両製造されました。各所に新機軸の設備をもった全国にも誇りうる苦心の作で車体各部に曲線を使用した美しい外観をもち性能もすぐれていたため、非常に好評をはくし、昭和49年3月の市電全面廃止まで最も多く活躍しました。 名古屋市電では、この1400型が標準となり、同型車が75両製造されたほか、戦後も1500型、1550型、1900型、2000型等同種の車両が数多く製造され、市民に親しまれた市電です。(解説より) |
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名古屋市 1651 |
保存場所 : 上飯田北町公園 ( Map Code : 4442040*02 ) |
ホジ6005 |
保存場所 : リニア・鉄道館 ( Map Code : 152 477 492*66 ) 1両だけで走れる、現代の気動車の始祖 蒸気動車とは、車体の片側に蒸気機関車と同様の走行装置を備え、蒸気機関車と客車の機能を1両に集約して1両運転を可能にした車両。 明治末期からローカル線で使用され、当時は「自働車」と呼ばれていたが、のちに「汽動車」と名称が改められた。 ホジ6014は1913(大正2)年製。 「工藤式」と呼ばれる機関走行部の脱着機構を備えた車両で、1943(昭和18)年まで関西本線などで運転された。 (解説より) |
キハ48036 |
保存場所 : リニア・鉄道館 ( Map Code : 152 477 492*66 ) 総括制御で地方線区の輸送の近代化を実現した気動車 複数の車両を1つの運転台で総括制御を可能にしたきは45000形式(後のキハ17形式)のグループの一つで両運転台・トイレ付のタイプ・1953(昭和28)年から制作されたこのグループは、単車運転が常識であった気動車の複数車両による運転を可能にして地方線区の輸送力を著しく向上させた。 (解説より) |
キハ8273 |
保存場所 : リニア・鉄道館 ( Map Code : 152 477 492*66 ) 全国に特急網を形成した立役者 1961(昭和36)年から運転を開始した特急形気動車のキハ82系の先頭車。 特急車両にふさわしい高い信頼性と優れた居住性を備え、またたく間に全国の非電化幹線に進出し、特急網を構築した。 洗練された先頭部のデザインは、その後に登場するさまざまな車両にも大きな影響を与えた。 (解説より) |
キハ181−1 |
保存場所 : リニア・鉄道館 ( Map Code : 152 477 492*66 ) 高出力エンジンを搭載し、山岳路線でも高速運転 1968(昭和43)年から158両が制作されたキハ181系特急形気動車の先頭車。 従来型車両から大幅にパワーアップした500馬力のエンジンを搭載し、こう配区間の高速運転を実現。 山岳路線を走る気動車特急のイメージを一新した。 名古屋〜長野間運転の特急「しなの」でデビュー。 北海道を除く全国で活躍し、特急のスピードアップに貢献した。 (解説より) |
オハ35206 |
保存場所 : リニア・鉄道館 ( Map Code : 152 477 492*66 ) 国鉄鋼製客車のスタイルを確立した3等客車 戦前・戦後に製作された3等客車で、国鉄鋼製客車の標準スタイルを確立した車両。 1939(昭和14)年から1949(昭和24)年までの間に1308両が制作された。ガラスの製造技術の進歩によって1000mm幅の大窓を安価に3等客車で使用可能となった。 明るい室内は評判となった。 (解説より) |
オヤ3112 |
保存場所 : リニア・鉄道館 ( Map Code : 152 477 492*66 ) 線路付近の支障物の有無を走行しながら確認できる測定車 「建築限界測定車」は、車体の周囲に接触式のセンサーを搭載し、走行しながら建築物の支障確認ができる構造となっている。 新たに線路を敷設したとき等に使用した。 この車両は、1959(昭和34)年にスハ32形式客車からの改造によって誕生した。 (解説より) |
スニ3095 |
保存場所 : リニア・鉄道館 ( Map Code : 152 477 492*66 ) 鉄道省初の鋼製荷物車 鉄道省が初の鋼製客車として1927(昭和2)年から製作したオハ31系客車グループに属する車両で、貨車ではなく客車の一種とされている。 鋼製になったことで車体強度が増した。 (解説より) |
スハ43321 |
保存場所 : リニア・鉄道館 ( Map Code : 152 477 492*66 ) 戦後新設計された標準形の3等客車 戦後に新設計され、従来車両に比べ著しく居住性が改善された3等客車。 従来客車よりもシート間隔を15mm拡大。 天井灯は従来方式の1列から2列として車内が明るくなった。 このほか窓側座席への肘掛けの新設や通路側座席への頭もたれの新設など居住性を重視した。 新製直後は特急「つばめ」にも使用された。 (解説より) |
マイネ407 |
保存場所 : リニア・鉄道館 ( Map Code : 152 477 492*66 ) 戦後初の1等寝台車 戦後に初めて製造された1等寝台車。 寝台をレールと平行に配置した「プルマン式」と呼ばれるものと、2人用個室4室を備えた豪華な設備。 1948(昭和23)年に21両が製造され、東京〜九州間に運転された急行などに使用した。 1955(昭和30)年に1等寝台が廃止されてからは、マロネ40形式2等寝台車となった。 (解説より) |
オロネ1027 |
保存場所 : リニア・鉄道館 ( Map Code : 152 477 492*66 ) 10系客車グループの1等寝台車(現在のA寝台車) 1955(昭和30)年から製作された10系客車グループの1等寝台車(現在のA寝台車)。 この客車はヨーロッパの客車を参考にした設計により徹底した軽量化を達成。 機関車などへの負担軽減、輸送力増強が実現した。 ヨーロッパ調の車体デザインや客車で初めて採用した空気バネ付き台車の快適な乗り心地も好評だった。 (解説より) |
名古屋市 1 |
保存場所 : 東山動植物公園 ( Map Code : 4268030*87 ) |
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