静岡県 浜松市
佐久間レールパークは2009年9月末で閉園しました

 ケ91
 

保存場所 : 掘留ポッポ道  ( Map Code : 26101299*23 )
  このケ91は大正7年(1918)に国産初期の軽便機関車で大日本軌道会社が製造し東濃鉄道(岐阜県美濃太田−多治見間)を走っていた。 その後廃車となり国鉄浜松工場に静態保存されていた物です。(解説より)

 C58389
 

保存場所 : 蒸気機関車公園  ( Map Code : 26683742*64 )
 

 D5186

 

保存場所 : 浜松フラワーパーク ( Map Code : 26331294*83 )
   展示機関車について
これは国鉄が自分の工場で素材から作った第1号の蒸気機関車で国鉄浜松工場(JR東海浜松工場)の製作したものです。
名 ま え   D5186
生れた日 昭和12年(1937年)12月18日
生れた所 日本国有鉄道浜松工場
 (長さ・幅など仕様に関する部分は略)
走行距離 2,767,727キロメートル
   略    歴
昭和12年12月18日 浜松工場にて新製竣工
  12.12.27  浜松機関区に配置され東海道本線で活躍
  15.10.02  稲沢機関区(愛知県)へ配置替、戦時中爆撃を受けながら活躍
  24.09.30  富山機関区(富山県)へ配置替、北陸本線で活躍
  40.10.16  旭川機関区(北海道)へ配置替、函館本線で活躍
  44.10.01  深川機関区(北海道)へ配置替、留萌本線および羽幌線で活躍
  48.08.10  現役を退く
  49.08.26  国鉄浜松工場へ帰還
  51.10.24  浜松城公園へ展示、昭和56年8月15日現地へ

 ED112
 
保存場所 : 佐久間レールパーク  ( Map Code : 386576830*61 )
大正14年(1925年)の東海道(東京〜国府津間)・横須賀両線の電化完成による電気機関車運転開始の為、大正12年(1923年)にサンプルとしてアメリカから輸入された貨物用電気機関車1010形2両のうちの1両。電気部分はゼネラル・エレクトリック(General Electric)社製、機械部分はアメリカン・ロコモティブ(Alco.)社製で、箱形の車体、「田」の字型の窓に特徴がある。 出力は975kwであった。
 新製当時は、1010型(1011号)と称していたが、昭和3年(1928年)に形式称号を変更し、ED11型(ED112号)となった。
 中央東線、伊東線で使用された後、昭和35年(1960年)から浜松工場で入換用として使用されていたが、昭和54年(1979年)にはその業務もED182号に譲り、平成3年(1991年)まで浜松工場で保管されていた。 (解説より)
この車両はリニア・鉄道館に移動しました。

 ED6214
 

保存場所 : 佐久間レールパーク  ( Map Code : 386576830*61 )
昭和33〜34年(1958〜59年)に支線区の客貨両用電気機関車として18両制作された。 制作当時の形式はED61形(ED6116)と称していた。 このED61形及びED60形は当時の交流機関車の設計技術を反映して設計された直流機関車で、小さいが力だあることから「アトム機関車」との俗称もあった。 駆動装置はクイル式を採用し、ED61形は電気回生ブレーキも備えており、中央線の25%区間で重連800tけん引を実現した。
その後、線路規格の低い飯田線のED18,19の老巧化に伴い、昭和49〜53年(1964〜68年)に代替機として軽軸重化改造され、車両形式も
ED62形(ED6214形)となった。 改造は車内にある回生ブレーキ装置を撤去し、空気圧縮機・電動発電機を移設し、台車間の床下にあった、元空気だめを室内に移すことにより床下をあけ、1軸の中間台車を新設している。 これにより車体重量を分担させた。
このED6214号は、昭和34年(1959年)に製作され、昭和53年(1977年)に国鉄長野工場で軽量化改造された。 昭和59年(1984年)現役を退き、浜松工場で平成3年(1991年)まで保管されていた。(解説より)

 須山建設 DL
 

保存場所 : 須山建設 ( Map Code : 26191008*04 )

この機関車は1940年(昭和15年)、創業期の当社にとって飛躍の礎となった工事、日本軽金属蒲原工場の造成工事で最初に活用されました。
この工事は国策としての工事建設で、その規模は敷地面積約46万mと桁外れに大きく、請負った土木工事だけでも当時静岡XX浜松地域で行う土木工事XXに匹敵する額であったと言われています。
ダンプカーはまだ一般的ではない時代でした。 しかし、当時現場に

おいて陣頭指揮をしていた創業者須山暢吉はこれだけ大規模な現場で土砂を運搬するためには機械化は欠かせないと判断し、この機関車を導入しました。
その後、この機関車は静岡県小鹿の三菱重工工場の現場などで活躍をした後、倉庫に大切に保管されてきました。
本社屋建替えにあたり、創業の志を忘れず、新技術に取り組む当社の姿勢を新しい時代に引き継ぐために、ここにあらためて展示をいたしました。
                2002
(解説より XXは原文の字が薄く判読不明)

 西武鉄道 バッテリー機関車A
 

保存場所:ハレルヤ・コミュニティ・チャーチ(Map Code:26398022*70)

この教会にある車両は大井川鉄道から入手したものである。西武鉄道から大井川鉄道には山口線で使用されていたバッテリー機関車が2両(B13,B15)、客車が4両(22,24,25,26)移動しており、それらが全てこの教会にいることになる。 機関車・客車ともに現在は黒く塗装されており、各車両には番号が付与されて居らず、西武時代の番号を読むことも出来ないため、ここでは機関車A,B,客車A,B,C,Dとする。 

 西武鉄道 バッテリー機関車B
 

 クモハ12054
  

保存場所 : 佐久間レールパーク  ( Map Code : 386576830*61 )
首都圏の中央・東北両線の電車運転区間の拡大に伴い、昭和6年(1931年)モハ31形3等電動車(31074号)として日本車輌で新製された車両で、最初の鋼鉄電車モハ30の改良形である。 車体は全長17mの丸屋根構造であり、5年製のモハ31形の車体はリベットによる組立であったが、6年製は初めて一部に溶接が採用され、リベットの数が少なくなっている。 出力は400kwである。
昭和28年(1953年)に、形式をモハ11形(11246号)に変更した。
昭和34年(1959年)には、大井工場で、車体後部にも運転台を新設し、両運転台となったため形式をモハ12形(12054)に改めた。
昭和35年に、運転台の有無によって電動車を区分することになり、運転台付きの電動車を制御電動車と呼称することとなった。 これにより、形式をクモハ12形(クモハ12054号)と改めた。
その後、南武線で使用されていたが、昭和38年(1963年)静岡運転所に転じ,入換用として使用された。
昭和62年(1987年)に廃車となり、平成3年(1991年)まで静岡運転所で保管されていた。(解説より)

 モハ52004
  

保存場所 : 佐久間レールパーク  ( Map Code : 386576830*61 )
昭和11年(1936年)大阪・神戸間に急行電車(のちの快速電車)として、さっそうと東上した流線形電車がモハ52形(昭和35年にクモハ52形に形式を変更)3等電動車である。 サロハ46形2・3等付随車、サハ48形3等付随車との4両編成であった。
52004号は、翌年京都・大阪間電化に際し、増備されたうちの1両(製造は川崎車輌)で11年製車両に比較して、窓の大型化、クリームとマルーンのツートンカラーなど一段とスマートな姿となっていた。性能的にも、京都・大阪間を36分、大阪・神戸間を28分で走破し、戦前の代表的な高速電車であった。
戦後は阪和線を経て、昭和32年(1957年)飯田線に入線し、長い間同線の名物であったが、昭和53年(1978年)惜しまれながら引退した。 その後は当時の国鉄から豊川市に貸し出され、豊川市の日本車両株式会社豊川蕨製作所構内に保存されていたが、平成3年(1991年)豊川市より返還を受け、展示されることとなった。(解説より)
この車両はリニア・鉄道館に移動しました。

 クハ111−1
 

保存場所 : 佐久間レールパーク  ( Map Code : 386576830*61 )
湘南地区の通勤用電車として80系と153系電車が使用されていたが、ラッシュ時の混雑緩和のため、新しい近郊形電車として111系がしょうわ37年に登場した。 この車両はその第1編成車である。 なお、このオレンジとグリーン塗色は湘南ローカル用で、この外に青とクリーム塗色は横須賀線用であった。
運転室は貫通構造であり、中間車となった場合を考量して助手側は仕切全体を大きく開いて、乗客に開放できるようになっている。
現在、東海道線等で使用されている113系は、111系の改良形で、主電動機出力を100kwから120kwに変更したものである。 また、御殿場線、身延線等で使用している115系は、113系を勾配線区用に改良したもので、勾配抑速ブレーキを装備している。(解説より)
この車両はリニア・鉄道館に移動しました。

 クヤ165−1
 

保存場所 : 佐久間レールパーク  ( Map Code : 386576830*61 )
サハシ153形直流普通食堂付随車を昭和49年(1974年)に、浜松工場で直流教習制御車に改造した車両で、クヤ165形はこの1両しかない。
教習車とは、運転士の教育用車両で、室内に主制御器、段路器等の電車の主要機器を配置し、機器の動作状態が理解しやすいようになっている。
改造前のサハシ153形(サハシ153−15号)は昭和36年(1961年)に近畿車輛で製造された急行用のビュフェ付きの車両で、窓の形状にそのなごりを残している。 昭和39年(1964年)の新幹線開業までの東海道線の急行なにわ等で活躍し、ビュフェ内の寿司カウンターは好評を博した。
教習車に改造の後は、大垣電車区に配置されていたが、昭和62年(1987年)廃車され、引続き大垣電車区で保管されていた。(解説より)

 キハ181−1
 

保存場所 : 佐久間レールパーク  ( Map Code : 386576830*61 )
キハ80系に代わる新しい特急ディーゼル車として、大形機関(500PS)を搭載し、国鉄初の120km/h運転と、制作費・保守費の低減、付随車牽引による経済性向上等を目的として製造された。 基本構想・設計は昭和41年に製作されたキハ90、91急行形気動車として改良を加えたもので正面の形状はキハ82系に準じている。
昭和43年10月ダイヤ改正時に、中央西線「名古屋−長野」間を結ぶ、こう配線区間に初の気動車特急として運転され、昭和48年7月中央西線の電化開業により「381系電車」に置き換えられた後、四国地区の特急「しおかぜ」「南風」として平成5年6月まで活躍していた。
この車両はJR四国において廃車予定となっていたものを、平成6年2月に譲り受け、外観は国鉄当時の塗装としてあるが、室内はアコモデーションの改良がなされている。(解説より)
この車両はリニア・鉄道館に移動しました。

 キハ48036
 

保存場所 : 佐久間レールパーク  ( Map Code : 386576830*61 )
昭和30年から製造された液体式2等ディーゼル動車で、その後ディーゼル動車の標準形として位置付けられているキハ17(旧45000)形式を両運転台化したものである。 主に閑散線区での単行運用を使命として活躍していた。
主な特徴としては、運転台を半室とし、前後部とも貫通形となり、排気管を客室中央の両側を通して排気を屋根上に吹き出しており、また、液体変速機を用いた総括制御や自動戸ジメ機械、密着式小形自動連結器などを初めて採用した。
昭和31年(1956年)東急車輌で、キハ48000形(キハ48036号)と称していた。 昭和32年(1957年)に、形式称号を変更してキハ11形(キハ1126号)とした。 新製時より昭和55年(1980年)の廃車となるまで真岡機関区にて使用されていたが、その後、茨城交通株式会社に売却されて平成7年10月まで活躍していた。
室内は、便所の撤去や室内灯の変更など、一部の変化があるものの新製当時の姿をとどめている。(解説より)
この車両はリニア・鉄道館に移動しました。

 キハ20443
 


保存場所 : 天竜二俣駅構内  ( Map Code : 26683680*88 )
 

 マイネ407
 

保存場所 : 佐久間レールパーク  ( Map Code : 386576830*61 )
昭和23年(1948年)日本車輌で新製された1等寝台車(当初進駐軍用として計画されたが、落成時には一般旅客用に変更)である。室内は、区分室(2人用個室)とわが国初のプルマン式寝台に分かれており、現在のA寝台車の源流とも言える車両である。 当初から冷房装置付きであり、蛍光灯の使用も本形式が最初である。 台車も新製後まもなくして、乗り心地の良いウイングバネ式台車に変更している。
もともと1答車は窓下に白帯を付けていたが、当時は進駐軍用の車両に白帯を使用Hしていたため、帯の色を薄いクリーム色とした。 また、一般旅客
用であることを明示するため、JGR(Japanese Goverment Railway)の表記をしていた。 これは国鉄が公共企業体となった昭和24年(1949年)には、JNRに変更されたが進駐軍用車両がなくなるとともに表記されなくなった。
東海道線等の夜行列車に使用されていたが、昭和30年(1955年)2等寝台車に格下げされ、あわせて大船工場で片側の出入り口を廃止して、喫煙室と給仕室を設ける改造を行い、マロネ40形(マロネ407形)となった。 これは、1等寝台車の利用客が減少したため、1等寝台車の営業を廃止したことによるものである。 のちに等級制度の改正により、再び1等寝台車、さらにA寝台車と呼称は変わったが、形式はマロネ40形のままであった。
昭和43年(1987年)大船工場で工事車(工事関係職員用宿泊車)に改造され、オヤ41形(オヤ412号)となった。
昭和62年(1987年)に廃車され、その後は沼津運輸区に保管されていた。
なお、展示車両は、塗装や表記関係のみマイネ40形当時の形としており、室内の設備等は工事車時代のままとなっているが、外観はおおむねマロネ40形当時の面影をとどめている。(解説より)
この車両はリニア・鉄道館に移動しました。

 オロネ1027
 

保存場所 : 佐久間レールパーク  ( Map Code : 386576830*61 )
昭和30年(195R5年)から製造された10系軽量客車のグループで、急行用の2等寝台車(現在のA寝台車)である。 急行用客車としては初めて空気バネを採用した。 10系軽量客車は、旅客用車両の車体構造に一大革新をもたらし、新幹線も含めその後の車両軽量化の基礎を築いた車両である。
オロネ10形は、昭和34年(1959年)から2等寝台車として製造を開始したが、昭和35年(1960年)に等級制度が改正され、1等寝台車となった。 この改正は、1等展望車を連結していた東京・大阪間の客車特急つばめ・はとが電車化され、1等車の営業がなくなったため、従来の2等を1等に、3等を
2等に変更したものである。 新しい1等車は窓下に青帯をつけているが、昭和36年(1961年)には薄いみどり色の帯に変更された。 さらに昭和44年(1969年)の等級制度廃止により、従来の1等車がグリーン車に、2等車が普通車に、1等寝台車がA寝台に、2等寝台車がB寝台車になって、現在に至っている。
オロネ1027号は昭和35年(1960年)に製造(日立製作所)されたため、当初から1等寝台車であったが、展示に際しては表示等を2等寝台車の形としている。
昭和50年(1975年)寝台列車はいわゆるブルートレインの寝台特急が主力となり、急行用のA寝台車が余剰となったため、オロネ1027号は名古屋工場で工事車オヤ10形(オヤ102号)に改造された。 工事車とは長期間にわたる線路工事等での工事関係職員の宿泊用車両である。
昭和62年(1987年)に廃車され、その後、沼津運輸区に保管されていたものである。
なお、展示車両は塗装や表記関係のみ2等寝台車の形としており、室内の設備等は工事車時代のままとなっている。
(解説より)
この車両はリニア・鉄道館に移動しました。

 ナハネ20347
 


保存場所 : 天竜二俣駅構内  ( Map Code : 26683680*88 )
 

 オハ35206
 

保存場所 : 佐久間レールパーク  ( Map Code : 386576830*61 )
昭和14年(1939年)から製造された代表的な戦前製3等客車のオハ35形である。
オハ35から、初めて窓の幅が1000mmと広くなり、明るい室内が評判となった。戦後も昭和24年(1949年)まで製造され、新製両数は1302両にのぼった。製造年代が長期にわたっているため外観的にはいくつかのバリエーションがある。
オハ35206号は昭和16年(1941年)日本車輌の製造で、扇風機の取り付け電灯の蛍光灯化等一部を除けば、原型をとどめている。
当初、形式をスハ33650形(33855号)と称していたが昭和17年(1942年)形式をオハ35(オハ35206号)と改めた。
昭和37年(1962年)それまで蒸気暖房のみであったが、松任工場で電気暖房の取り付け改造を行い、番号をオハ352206号に変更した。
昭和35年(1960年)までは3等車と呼称されたが、等級制の改正で2等車となり(この時に窓下のIIIの表示がなくなった)さらに、昭和44年(1969年)には普通車となったが、形式はオハ35形のままである。
昭和62年(1987年)廃車となった。(解説より)
この車両はリニア・鉄道館に移動しました。

 スハフ34834
 

保存場所 : 佐久間レールパーク  ( Map Code : 386576830*61 )
昭和14年(1939年)から製造された代表的な戦前製3等客車オハ35形に車掌室を取り付けた形の車両である。
この車両は、スハフ34834号(34720形)として、昭和14年(1939年)川崎車輌で製造され、当時は窓下に3等車を表す赤帯(1等車は白、2等車は青)を付けていたが、昭和15年(1940年)に3等車のみ帯の表示を廃止した。
昭和17年(1942年)には、形式をオハフ33形(オハフ33115号)に変更している。
昭和62年(1987年)廃車となった。
車内設備等は昭和38年(1963年)に改良を加えた後の姿(内張りを木製から化粧板に変更、電灯の蛍光灯化、扇風機の取り付け等)であるが、車両番号も含め車体塗装、標記等は製造当時のものとしている。(解説より)

 スニ3095
  

保存場所 : 佐久間レールパーク  ( Map Code : 386576830*61 )
昭和2年から7年にかけて製造された最初の鋼製客車オハ31のグループの荷物車である。 車体長は17mで、屋根も二重屋根構造になっている。
昭和4年(1929年)大阪鉄工製で、当初はスニ36500形と称していた。
昭和16年(1941年)に、スニ30形(スニ3095号)に形式を変更した。
昭和36年(1961年)に、名古屋工場で救援車(事故復旧用の資材運搬車)に改造され、スエ30形(スエ308号)となった。
廃車は昭和62年(1987年)である。
室内は救援車に改造後のままであり、屋根も明かり採り窓をふさぐなど変化はあるが、比較的スニ30形当時の姿をとどめている。(解説より)
この車両はリニア・鉄道館に移動しました。

 オヤ31−12
 

保存場所 : 佐久間レールパーク  ( Map Code : 386576830*61 )
昭和34年に、スハ32形(昭和12年製造)を改造して作られた建築限界測定車である。
新線等で、設計通りに建築物が完成しているかどうかを測定する試験車で、建造物が、車両に接近しすぎていると周囲に張り出した測定用腕木が接触して折れまがり、測定室に表示するようになっている。
改造前のスハ32形は、昭和初期の代表的な三等車であった。(解説より)
この車両はリニア・鉄道館に移動しました。

 西武鉄道 客車A
 

保存場所:ハレルヤ・コミュニティ・チャーチ(Map Code:26398022*70)

この教会にある車両は大井川鉄道から入手したものである。西武鉄道から大井川鉄道には山口線で使用されていたバッテリー機関車が2両(B13,B15)、客車が4両(22,24,25,26)移動しており、それらが全てこの教会にいることになる。 機関車・客車ともに現在は黒く塗装されており、各車両には番号が付与されて居らず、西武時代の番号を読むことも出来ないため、ここでは機関車A,B,客車A,B,C,Dとする。 



 西武鉄道 客車B
 

 西武鉄道 客車C           西武鉄道 客車D
    
 

 ソ80−180
 

保存場所 : 佐久間レールパーク  ( Map Code : 386576830*61 )
事故等が発生した際に、現場に急行して事故復旧にあたる操重車。
本機は、昭和46年製で65tまで扱えるクレーンを装備した操重車の代表形式である。(解説より)

 チキ6132
 

保存場所 : 佐久間レールパーク  ( Map Code : 386576830*61 )
操重車には、長いアームがあるため、移動等の際にこれを支えるための控車として使用された車両(解説より)


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