東京都 青梅市
 110
  


保存場所 : 青梅鉄道公園   ( Map Code : 23737601 )
明治4年(1871年)、イギリスのヨークシャー・エンジン社で制作され、鉄道創業時に「10号機関車」として新橋−横浜間に使われ、のちに「3号機関車」と呼ばれた最も古い機関車の一つです。
明治42年(1909年)に「110号機関車」と名前を改め、その後、各所で活躍した後、大正7年(1918年)まで汐留駅構内入換に使われていました。
大正12年(1923年)じゃら昭和20年まで国鉄大宮工場の鉄道参考品陳列所に展示され、陳列所がなくなったあとも、ずっと工場に保管されていたものです。昭和36年10月14日鉄道記念物(16番目)に指定されました。(解説より)


 2221
 

保存場所 : 青梅鉄道公園   ( Map Code : 23737601 )
この形式は明治時代のタンク機関車としての強力機関車で日露戦争(1904〜5年)当時急にアメリカやイギリス、ドイツなどに注文し一部は満州でも使われました。当時はB6形と呼ばれ両数が多かったので(最も多いとき268両)貨物列車用や勾配線用として至るところで活躍し戦後もしばらくの間入換用として使用されていました。
この機関車は明治38年8月(1905年)英国のノーズブリティッシュ社で製作され昭和30年3月まで使用されました。(解説より)

 5540
 

保存場所 : 青梅鉄道公園   ( Map Code : 23737601 )
この形式は明治時代の後半より大正初期にかけて旅客列車用として愛用された機関車です。 当時60両もありました。
この機関車は明治30年(1897年)英国のバイヤーピーコック社で製作され第一線で活躍した後は入換機として使用された後札幌工事局で、昭和36年まで工事用として活用されていました。(解説より)
 8620
 

保存場所 : 青梅鉄道公園   ( Map Code : 23737601 )
この形式は明治末期に各種の機関車の長所を取入れ、日本で設計製造された非常に優秀な性能をもった機関車です。 全部で670両もつくられ、各地の幹線旅客列車用として使われた大正時代の国鉄を代表する機関車です。
この機関車は大正3年(1914年)汽車会社によってつくられ九州で活躍後、昭和10年四国に移され、昭和33年9月に廃車となったもので多度津工場(香川県)に保存されていました。(解説より)
 9608
 

保存場所 : 青梅鉄道公園   ( Map Code : 23737601 )
この形式は大正時代の代表的な貨物機関車で充分な火室面積を得るため動輪上に火室を置いたのが特徴で、このためボイラ中心線は非常に高いが引張力は強大で、大正12年(1923年)D50形式が出現するまで貨物列車用や勾配線用の標準型として毎年製造され、その両数は784両にもなりました。テレビ映画「旅路」に登場したのもこの形式です。
この機関車は大正2年(1913年)川崎造船所兵庫工場で製作され、昭和37年7月まで関西方面で使用されていました。(解説より)
 C111
 

保存場所 : 青梅鉄道公園   ( Map Code : 23736628 )
この形式は都市近郊で近距離旅客列車用として製作された、昭和初期の代表的タンク機関車です。
この機関車はその第1号機として昭和7年6月(1932年)汽車会社で製作され昭和37年まで関西方面で活躍していました。(解説より)
 C515
 

保存場所 : 青梅鉄道公園   ( Map Code : 23736628 ) → 移動
この形式は第1次大戦(1914〜18年)当時の鉄道の著しい発達に伴い強力かつ高速の機関車が必要となったため製作されたものです。動輪直径は1,750mmで製造当時狭軌鉄道でこれほどの大動輪を持つ機関車は日本以外にはなく海外技術者も驚異の眼をみはったものです。
昭和5年超特急「燕」号をけん引して東京−大阪間8時間20分(現在の御殿場線経由)運転の偉業を成しとげたのもこの形式で、その高性能と優美なスタイルは、わが国の蒸気機関車の歴史に一時代を画したものといえます。 この機関車は大正9年(1920年)国鉄浜松工場で製作され昭和37年2月まで主として関西方面で使われていました。(解説より)

この車両はさいたま市に建設される鉄道博物館で展示されるため、2007年5月で青梅での展示は終了し移動しました。

 D51452
 

保存場所 : 青梅鉄道公園   ( Map Code : 23736628 )
この形式は、D50形式(大正12年から製作)に変わる主要幹線貨物列車用として、昭和11年から製作されました。終戦までに同一形式としては最多数の1,100両以上が製作されて全国に配置され、デゴイチ(D51)の愛称で親しまれています。とくに戦後の貨物輸送を通じて日本の経済復興に大きな役割を果たしました。
この機関車は昭和15年汽車会社で製作され、昭和40年まで東北本線郡山−盛岡間で、その後昭和47年まで関西本線亀山−天王寺間で活躍し、32年間に213万km(地球を60周)を走破して、この地に引退したものです。(解説より)

 E102
 

保存場所 : 青梅鉄道公園   ( Map Code : 23736628 )
急勾配用として製作されたのもで、わが国最大のタンク機関車です。当初はトンネル区間を運転するため煙突を後ろにして後ろむきに運転する構造となっていました。又曲線通過に無理のないよう第3・4動輪タイヤにはフランジがありません。
この機関車は昭和22年(1947年)汽車会社において製作されたもので、最初奥羽線の庭坂−米沢間に、その後は肥薩線人吉−吉松間や北陸線金沢−石動間の勾配線に使われ、昭和32年から北陸線米原−田村間を運転していたものです。(解説より)

 ED161
 

保存場所 : 青梅鉄道公園   ( Map Code : 23736628 )
ED16形式は昭和6年に開発され、18両製作されました。現役の電気機関車としては国鉄最古の形式で、当初は中央線八王子−甲府間、上越線水上−石打間などで、活躍しましたが、昭和40年以降全機が立川機関区に集結し、南部線・青梅線を主体に貨物輸送の主力となって、半世紀の永きにわたり活躍しました。
このED161号は昭和55年9月まで使用されましたが、10月の時刻改正により現役を退き、昭和55年10月14日準鉄道記念物に指定されました。(解説より)

 22−75
 

保存場所 : 青梅鉄道公園   ( Map Code : 23736628 )
 鉄道公園の新幹線は、東海道で活躍をしていましたが、長い仕事を終え昭和60年3月に浜松工場より運搬され、当公園に設置されました。
 開業当初は、東海道新幹線だけでしたが、現在では山陽新幹線、東北新幹線、上越新幹線が開業し、日本の主要都市を高速で、しかも性格・安全に運転され、私たちの生活に欠かせない交通機関です。
 公園に展示されている新幹線の車両は東海道新幹線を走っていた22形式です。(解説より)

 クモハ40054
 

保存場所 : 青梅鉄道公園   ( Map Code : 23736628 )
 国鉄が東京・大阪地区の通勤輸送用として、1932年(昭和7)から製造をはじめた電車です。 1両あたりの定員を増やすため、車両の長さを従来の通勤電車より約3m延ばして20メートルにしています。 また、運転席が車両の前と後ろに1つずつあるのが特徴です。
 クモハ40054号は1935年(昭和10)に田中車輌工場(今の近畿車輛)で「モハ40134号」として新製され、当初は総武線で使われました。 山手線を経て戦後は中央線を中心に走り、1962年(昭和37)に日光線に転じました。 昭和20年代半ばに青梅線へ配属されたこともあり、青梅〜氷川(現奥多摩)間を1両編成で往復しました。 なお、青梅線ではその後もクモハ40形電車が活躍していましたが、1978年(昭和53)3月を最後に前車引退しています。
(この電車は、引退当時の姿で展示しています)
                                    (解説より)
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