北海道 遠軽町 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
D51859 |
保存場所 : 遠軽町総合体育館 (Map Code : 404182402*45 ) D51859号履歴抜粋 形式称号 D51 車 種 八輪連結過熱テンダー機関車 製造所名 国鉄鷹取工機部 製造年月 昭和18年11月19日 配属機関区 広島機関区 自S18.11.27 至S23.5.6 遠軽機関区 自23.10.9 至S47.7.7 運転線区及走行キロ 山陽本線 253,000.6km 石北本線 2,116,372.0km 廃車年月日 昭和47年7月7日 (国鉄北海道総局通達第442号により用途廃止に伴い遠軽町に貸渡し) |
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由 緒 この機関車は通称「D51」といい昭和10年第1号機が完成. 半流線形の最新鋭機として製作中止するまでに約1000両程造られ全国で国鉄輸送の中心機関車として活躍したうちの1両です。 昭和18年に造られたこの機関車は第2次世界大戦の最中であり、鉄材不足の当時の典型的な戦時型で、石炭庫や運転室、ボイラーサイドデッキ等木材で代用できる所はすべて鉄材を節約し、不格好な姿で戦時輸送や、終戦後の復員兵と引揚者の輸送に活躍したものです。 石北本線の輸送についても終戦後の混乱する社会にあって、木材製材の発送や農産物、海産物の輸送需要が多く、一方では機関車修理資材の不足に加え、石炭の質量両面で確保に苦労した時で貨物ホームにはどこの沿線や駅でも滞貨の山であり、旅客輸送についても厳しい乗車制限をされる時代となり、輸送力増強の必要性が強く叫ばれ、その声は日ましに強くなり、打開策として「大型機関車の導入」を実現する為、遠軽町議会を先頭に全町一丸となって運動が展開され遂に国鉄に陳情主旨を認めさせ、昭和23年春から秋にかけて6両が配置、石北線の輸送力増強、滞貨一掃が実現することとなりました。 その後国鉄の動力近代化のなかで昭和50年3月を以てSLは全廃されジーゼル機関車に交替されました。 思えばこの機関車も昭和47年7月用途廃止に伴い遠軽町の現在地に展示されましたが山陽、石北の2線で237万粁に及ぶ走行は推計108万屯の輸送実績を肩にこの場から遠軽町の発展と鉄道輸送の状況を見守っていくものです。 (解説より) |
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西武 532 |
保存場所 : 丸瀬布いこいの森 (Map Code : 617040714*70 ) |
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住友金属鉱山鴻ノ舞鉱業所 3005 |
保存場所 : 丸瀬布いこいの森 (Map Code : 617040714*70 ) |
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DL |
保存場所 : 丸瀬布いこいの森 (Map Code : 617040714*70 ) |
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スハ43703 |
保存場所 : 丸瀬布いこいの森 (Map Code : 617040592*51 ) |
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西武35 |
保存場所 : 丸瀬布いこいの森 (Map Code : 617040714*70 ) 岡山県井笠鉄道で活躍した木造客車 この客車は1925年/大正14年に日本車輌製造(株)で製作され、1969年/昭和44年まで45年間岡山県笠岡市と井原市を結ぶ井笠鉄道で住民の足として活躍し、用途廃止後の1973年/昭和48年から1984年/昭和59年の間、埼玉県所沢市の西武山口線で活躍. その後1993年/平成5年に西武鉄道のご協力で本町に譲渡され、そして翌年には、東京交通博物館のご指導で修復整備し、森林公園いこいの森の保存車輌として仲間入りしました。現在では全国でも数少ない明治調木造客車で、オープンデッキ、木製の外板、屋内灯、座席など、明治中期から末期の雰囲気を持つ貴重なものです。
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西武36 |
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西武37 |
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客車 |
保存場所 : 丸瀬布いこいの森 (Map Code : 617040714*70 ) |
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緩急車(森林鉄道附属車) |
保存場所 : 丸瀬布いこいの森 (Map Code : 617040714*70 ) 林鉄制動の乗務、機関車の薪積載用車輌であるが、作業員が上、下山の際、その乗車にも当てられていた。 各機関車に1台づつ連結していたが、現存するものはおそらく全国でこの1台だけと認められる。昭和32年蒸気機関車が内燃機関車に代わったあと昭和58年9月1日丸瀬布郷土史研究会が払い下げを受け、街に寄贈されたものです。 (解説より) |
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キ282 |
保存場所 : 遠軽町総合体育館 (Map Code : 404182402*45 ) 雪カキ車 キ100形式 (282) 我が国の雪カキ車は明治44年アメリカのラッセル・アンドスノウプロウ会社より購入し、翌年北海道で使用されたのが最初である。 当時は木製の雪カキ車であったが、その後、我が国において鉄製で製作されるようになり、キ100形式は昭和3年から昭和31年迄に191両製作され、全国の降雪地帯で活躍した。 この車両は昭和29年京都の飯野車両に於いて鉄製の、雪カキ車として製作されたものであり、同年当時の国鉄旭川鉄道管理局に配属され、機関車(蒸気機関車・ディーゼル機関車)の前部に連結し推進運転の状態で、旭川局管内各線の除雪の主力を担っていたが、昭和48年頃から除雪車両の近代化によりDL(ディーゼル機関車)化去れ、昭和61年11月旭川局管内に於ける使命を終えた。 (解説より) |
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