慰霊の碑
碑の背景
コメント
1945年8月5日午前10時10分、ED167が牽引する長野行き419列車は新宿を発車した。 途中、空襲などの影響により遅れた列車は浅川駅(現高尾駅)を0時15分に発車した。 いのはなトンネルの手前で、進行方向左手より米軍機に捕捉され、機銃掃射を受けた。 列車は8両編成で有ったが、先頭の機関車から2両目中程までがいのはなトンネルに入って停車した。 そこに米軍機が繰り返し機銃掃射を加え、氏名が判別した方52名が犠牲となり、多くの方々が重軽傷を負われた。 
1945年の米軍機による列車襲撃はこの湯の花トンネルの他に、8月5日の大山口列車襲撃、8月8日の西鉄筑紫駅における空襲がある。 

写  真
基本情報


所 在 地 : 八王子市西浅川町
MapCode : 23196308*22
建 立 日 : 1992年 8月 5日
建 立 者 : いのはなトンネル
     列車銃撃遭難者慰霊の会
種   別  : 慰霊碑
撮 影 日 : 2010年 3月31日


碑 文
(表面)
 終戦間近の昭和二十年(一九四五)八月五日 真夏の太陽が照りつける午後十二時二十
分頃 満員の新宿発長野行四一九列車がいのはなトンネル東側入口に差しかかったとき
 米軍戦闘機P51二機または三機の銃撃を受け、五十二名以上の方々が死没し 百三十三
名の方々が重軽傷を負いました。 この空襲は日本最大の列車銃撃といわれています
 私どもは この戦争の惨禍を決して忘れることが出来ません
 ここに 確認された犠牲者のお名前を書きとどめ ご遺族とともに心からご冥福をお祈
り申し上げ 現在の平和の日々をかみしめ 戦争を知らない世代へこのことを語り伝えます
    平成四年八月五日    いのはなトンネル列車銃撃遭難者慰霊の会

   (以下44名の方々の氏名と年齢が刻まれています)
碑 文
(裏面)
             誌
 戦災死者供養塔は 昭和二十五年八月 当時の上長房(現 裏高尾町 西浅川町)青年団が 亡くなった方々を供養するため 団員協力のもとに建立したものです
 供養塔には 亡くなった方々を荼毘に付した日影沢の石が用いら れました

 地元に住む人々は 尊い犠牲者のお名前も人数も知ることなく供養塔の前に手を合わせて冥福をお祈りしていました  昭和五十六年から八王子市教育委員会が八王子の空襲調査を行い その後あらゆる手だてを尽くした結果 この事件の犠牲者は六十名以上と推定いたしました
 そのうち 四十名のお名前と遺族が判った昭和五十九年 遺族関係者 地元の有志により七月二十一日に「いのはなトンネル列車銃撃遭難者慰霊の会」が発足いたしました
 会では この年八月五日を「供養の日」と定め 毎年供養の集いを行い 現在に至っています。
 供養塔は はじめ唐沢踏切の北側にありましたが 地主のご好意で南側の土地を無償で提供していたき 昭和六十一年七月二十八日現在地に安置されました。

 かねてから 会では蓄積した浄財で 亡くなった方々のお名前を刻んだ慰霊の碑の建立を計画していましたところ 平成四年三月東京八王子南ロータリークラブからも協力の申し出があり ここに念願でありました慰霊の碑が完成いたしました
  平成四年六月十日
           いのはなトンネル列車襲撃遭難者慰霊の会
                  会   長  細 川 武 雄
                  遺族会長  黒 柳 ますえ
 

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