長崎県 長崎市
 C57100
 
 保存場所 : 中央公園 (Map Code : 44270194*24 )
  SLと長崎
 慶応元年(1865)トーマス・グラバーが大浦海岸で蒸気機関車を走らせたのが日本で初めてのことであり、SL発祥の地とも言える。
昭和20年8月9日11時02分長崎市浦上の上空でさく裂した原爆は一瞬にしてこの町を廃墟と化し多くの命を奪った。 この時旅客311号列車は長与駅に停車中で危うく直撃を免れた一時間後当地長崎管理部の指令救援列車1号として被爆直後の長崎の町に進入した。
 水と救援を求める被爆者を力づけるかの如く汽笛を鳴らし続けた列車は爆心地から600mまで進み救援列車としての責任を果たし600人収容諫早まで引き返し病院に収容した。
 この311列車を引いたのがC5168である。 残念ながらこの機関車は昭和35年12月解体され、また山陰線を走っていた最後のC51型も昭和40年カマの火を落とし日本の鉄道から同型は姿を消し、長崎での展示は不可能となった。
 現在では展示用として東京青梅の鉄道博物館、新潟市の鉄道学園に残っているのみである。
これらに代るべくSLとして登場したのが今回展示のC57型であり、昭和12年から昭和23年頃まで特急ふじ・さくら・さちかぜをけん引して長崎〜東京間を走った華やかな経歴のあるSLである。
   C57型
 C51・54・55型を経て幹線用の旅客列車けん引機の決定版として昭和12年に誕生した。
 やや細身の女性的美しさのなかにも快走感あふれたスタイルが特徴 このスタイルの良さに加え性能も良く全国の幹線であまねく使われ 昭和22年までの間に201両が量産された。
 戦後の九州では門司港・鳥栖に配属され、昭和28年3月以降は特急「かもめ」をはじめ長崎本線では「さちかぜ」「さくら」などのけん引機もつとめた。 戦前には市民にもなじみの不快特急「ふじ」をけん引し長崎〜東京間を走った。 なおC57型はC571より57210まで製作され本市展示のものは100番目にあたるC57100である。
  型   式  2C1テンダ機関車
  製 造 所  日立製作所笠戸工場
  製造月日  昭和14年3月31日
   (解説より)
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