愛媛県 西条市

 C5744
 
保存場所 : 市民公園  
 「春雷号」設置の経過と経歴
 この蒸気機関車は、西条市が日本国有鉄道から恒久的に借り受けたもので十河信二氏(西条市名誉市民元市長、元国鉄総裁)の雅号にちなみ「春雷号」と名づけました。 この「春雷号」は、C57型の蒸気機関車で、その姿の美しさからSLの「貴婦人」と呼ばれており、昭和13年3月30日に三菱重工神戸造船所でつくられ昭和13年4月5日に東京局高崎機関区に配属されて以来、東京・仙台・札幌・室蘭と東北地方や北海道を走る急行列車の機関車として活躍し、昭和51年3月末に廃車になりました。
 この間に「春雷号」が走った距離は、3,368,516.7キロメートルで、これは、地球の赤道を焼く84回まわったことになります。 この「春雷号」は市民のみなさまのご協力により、この公園に設置されることになったものです。
 みんなで大切に保存しましょう。 (解説より)
     この車両は四国鉄道文化館に移動しました。
  
 C5744
 
保存場所:四国鉄道文化館 MapCode(119 292 088*88)
 C57形蒸気機関車は1937年(昭和12年)から1947年(昭和22年)までの間に201両が量産された高性能な旅客用蒸気気機関車で、美しくスマートな佇まいでファンからは「貴婦人」の愛称で呼ばれています。 1975年(昭和50年)12月14日に国鉄最後の旅客列車を牽引した蒸気機関車(C57135号機)としても知られています。 展示されている車両は1938年(昭和13年)3月30日に三菱重工神戸造船所で製造された1次型で、北海道の岩見沢機関区に於いて、38・57・135・144号機と共に国鉄で最後まで活躍したC57のうちの1両です。 これら5両のうち38号機以外は今も全
国各地で保存されています。 44号機の走行距離は高崎機関区に配属以来、東京、仙台、札幌、室蘭で急行列車などの牽引機として通算3,368,561.1kmに及び、地球を約84周まわったことになります。この蒸気機関車は西条市長や国鉄総裁を歴任された十河信二氏の雅号にちなみ「春雷号」と呼ばれ、長く西条市市民公園で親しまれ保存されていましたが、当館建設を機に移設し、末長く保存されることになりました。   (解説より)
  
 DE101
 
保存場所:四国鉄道文化館 MapCode(119 292 088*88)
DE10形機関車は入替用およびローカル線用に開発され、1966年(昭和41年)から1978年(昭和53年)まで708両が製造されました。 動軸を5軸として機関車全重量が増加しても13tの軸重を実現。 3軸台車と2軸台車を組合せ、3軸台車は横圧を低くするため各軸が独立したA・A・A方式を採用し、各軸を特殊なリンク装置で接続しています。 エンジンはV型12気筒のDML61ZA形1250ps、1000番台はDML61ZB形1350psを搭載し、液体変速機は入替用の低速段と本線走行用の高速段の切換が可能です。 車体はセミセンターキャブタイプで前方の見通しがよく、運転室には左
右に運転台を設けており、進行方向により選択できます。 1966年(昭和41年)に、試作車2両が松山気動車区に配属され試験運用を開始しました。 その後量産され、主にローカル線区における旅客列車・貨物列車けん引のほか、車両基地や駅構内で入替に使用されましたが、気動車・電車化により活躍の場は減少。 現在は臨時列車・工事列車などのけん引用として、高松運転所に2両が在籍するのみです。 1号機は1966年(昭和41年)に先行試作車として製造され松山機関区に配置。 1987年(昭和62年)2月に廃車となるまで、一貫して四国において活躍しました。 廃車後は多度津工場にて保管されました。          (解説より)
 
 DF501
 
保存場所:四国鉄道文化館 MapCode(119 292 147*84)
DF50形  電気式ディーゼル機関車とその1号機(準鉄道記念物)
 鉄道車両の近代化や輸送量の増加に対応するために、蒸気機関車に替わる主力機関車として昭和32年に登場した車両です。
 スイスやドイツの会社からの協力を得て作られたDF50形は、ディーゼルエンジンで発電機を動かし、さらにそれでモーターを回して走るしくみとなっていました。
 登場した年から昭和38年までの間に138両が作られたDF50形は、昭和58年に運用が停止されるまで、予讃本線や土讃本線をはじめ、北海道をの
ぞく全国各地の路線で活躍し、鉄道の無煙化やスピードアップに貢献しました。
 また、DF50形の登場に自信を持った国鉄(現在のJR)は、昭和50年までに鉄道を電化及びディーゼル化することによって、全ての蒸気機関車を廃止する計画を立てました。
 この「DF50形1号機」は、昭和32年に新三菱重工三原製作所で作られて、高松機関区に配置された車両です。 その後、敦賀、長野、米子の各機関区を経て、昭和42年に再び高松機関区に配置されました。
 昭和58年9月25日、「さよならDF50土佐路号」として最後の運転がなされるまで、地球を約67周に相当する260万キロメートルの距離を走りました。 引退後はJR四国多度津工場で大切に保存されていました。
 日本でただ1両、走行可能な状態で保存されているこの「DF50形1号機」は、昭和58年に「準鉄道記念物」に指定された大変貴重な車両です。       (解説より)
  
 21−141
 
保存場所:四国鉄道文化館 MapCode(119 292 147*84)
この車両は、昭和51年(1976年)に製作され、大きな窓が特徴です。 JR博多総合車両所で、平成12年(2000年)10月の引退まで山陽新幹線の「こだま」として活躍していました。 その走行距離は、約1020万kmで地球を約255周したことになります。
 もとは、JR四国がJR西日本から譲り受けたもので、完全な形だと約26mありますが、ほぼ半分に切断され、この車両の長さは約12mです。 平成12年(2000年)12月に多度津工場に運ばれ、保存・展示されていました。
 現役時代は4両編成で走行しており、博多方面の先頭車両でした。 一方東京方面の先頭車両は「22−141」で、その車両は完全な形で、イギリス・ヨークの国立鉄道博物館に展示されています。 なお、0系新幹線車両で海外に展示されているのは、この”相方”だけです。
  
 GCT01−201
 
保存場所:四国鉄道文化館 MapCode(119 292 088*88)
 キハ6534
 
保存場所:四国鉄道文化館 MapCode(119 292 088*88)
キハ65形気動車は、強力な駆動エンジンと冷房電源エンジンを搭載した急行用気動車として1969年(昭和44年)に登場し、1972年(昭和47年)までに104両が製造されました。 昭和40年代より急行形普通車の冷房化が進められましたが、勾配区間を走行する急行列車は2台エンジンのキハ58形を使用しており、1台エンジンに冷房電源エンジン搭載のキハ28形を編成に組み込むことは、編成全体での出力を低下させスピードダウンになります。 そこで大出力エンジンと冷房電源エンジンを搭載した電源車の開発が強く要請され誕生しました。 車体は従来の急行形と同様ですが、客車窓は
2段ユニット窓を出入口ドアは2枚折戸を使用しています。 床下のスペースを生み出すため便所、洗面台の設備をなくし、シートピッチを拡大し、居住性を大幅に改善しました。 大出力エンジンと冷房用の電源を持った本形式の投入が、四国山地越えや法華津峠等の急勾配区間を抱える線区の急行列車の冷房化を可能にしたことからも、四国の急行列車の冷房化は、キハ65形式の新製配置の賜物とも言われています。 四国では高松運転所に集中配置され急行列車に使用されましたが、その後の特急列車増発により急行運用からは外れたものの一部は普通列車用として残存。 新型ローカル車両の導入に伴い徐々に数を減らし、2008年(平成20年)10月をもって定期運転を終了しました。 最後まで運用に就いていた34号は、2005年(平成17年)よりオリジナルの国鉄急行色に塗り戻されており、引退後も多度津工場で保管されていました。     (解説より)
  
 リスボン市電 533
 
 
保存場所:コカ・コーラ小松工場 MapCode(119 189 293*48)
 軌道用自転車
 
保存場所:四国鉄道文化館 MapCode(119 292 147*84)
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