岡山県 津山市

 C1180
 
保存場所 : 南小学校 ( Map Code : 153494173*14 ) 
  C11−80機関車の概要
製造月日  昭和10年3月30日
廃車月日  昭和50年1月24日
製造場所  日立製作所笠戸工場
運転線区  昭和10年 4月19日予讃本線(松山機関区)
        昭和19年 4月 3日芸備線 (三次機関区)
        昭和23年 7月 8日津山線 (津山機関区)
        昭和48年 4月11日 只見線,会津線,日中線(会津若松機関区)
運転キロ  1,751,397.8キロメートル
  由  緒
 本機は、ディーゼル車両が多様化されるまで、支線の短区間旅客列車用に造られた、代表的なタンク機関車で、昭和23年7月から津山機関区に配属され、24年間県北部において、戦後復興の担い手として客貨輸送のために走り続けてきた。 その間、昭和37年10月岡山国体においては、お召し列車を、昭和46年3月津山線ディーゼル化の際は”サヨナラSL”の牽引機として、地域住民に親しまれた機関車である。
 しかし、動力近代化の波におされて、陸奥の会津若松にてその生涯を終える。
(解説より)
 DD1530
 
保存場所 : 津山扇状庫 ( Map Code : 153495038*83 ) 
 DD15形ディーゼル機関車は、除雪用機関車で昭和36年(1961年)から昭和47年(1972年)にかけて製造されました。
 大型のプラウ形ラッセル装置を機関車本体の前後に装備する構造で、1両での除雪作業が可能となり、折り返し地点での方向転換作業を不要にしました。 またラッセル装置を外せば入換機関車として使用可能となり、通年使用が可能な除雪車として車両運用効率の向上に貢献しました。
 現在、ほとんどのDD15形機関車は、軸重が重く除雪作業中の脱線防止には有利なため、除雪専用車両として運用されています。
 なお、このDD51−30は、平成22年度までJR西日本金沢支社福井地方鉄道部で除雪用機関車として活躍していました。
(解説より)

 DD511187
 
保存場所 : 津山扇状庫 ( Map Code : 153495038*83 ) 
DD51形ディーゼル機関車は、幹線から蒸気機関車を廃する「無煙化」および「動力近代化」を推進するため、国鉄が昭和37年(1962年)から昭和53年(1978年)までの16年間に649両を製造した機関車です。
先行して導入されたものの幹線用としてはやや非力であった電気式DF型に代わる、本格的な幹線用主力機として開発されたもので、高速面では旅客列車用大型蒸気機関車C61形に、牽引力では貨物列車用大型蒸気機関車D51形を上回る性能を持つように設計されています。 大型機関車として
は世界でも一般的とは言い難い中央部に運転室を持つ凸型車体を採用、これはエンジン周りの整備性と機器配置の容易さなど実利性・コスト面を重視したことによるものです。 その後、電化の進展と客車・貨物列車の減少により、昭和62年(1987年)のJR移行までに約3/5が余剰廃車され、JR各社には593号機以降の完全重連タイプのみの259両が継承されました。
(解説より)

 DE501
 
保存場所 : 津山扇状庫 ( Map Code : 153495038*83 ) 
DE501とは、国産最大最強のエンジンを積んだDE50形の1号機のことで、1台のことで、製造されました。 
昭和30年代末には総数500両にも満たなかった国鉄ディーゼル機関車は、動力の近代化に伴い、急速に増産されました。 蒸気機関車が消滅した直後の昭和52年(1977年)には実に2,207両に達し、一時は電気機関車の総数を抜いて動力車の頂点を極めました。 こうした中、幹線用ディーゼル機関車として、昭和45年(1970年)にDE50形が誕生します。 当時の最新鋭機として関係者の期待を集めましたが、電化の進展などで量産計画は
中止され、唯一製造された1号機は、運用中の故障をきっかけに休車扱いとなり、岡山機関区構内に長期にわたり留置されていました。
16年間の休車の末、JRになる直前の昭和61年(1986年)に廃車となり、分割民営化に伴い、JR西日本が継承し、岡山駅東側の岡山気動車区に移されました。 平成14年(2002年)には、ここ津山の扇状機関車庫に移動し、現在まで保管されています。
(解説より)

 入換動車(10t)
 
保存場所 : 津山扇状庫 ( Map Code : 153495038*83 ) 
 入換動車とは、駅構内の貨物側線などで貨車の入換作業をするための"機械"のことで、別名"貨車移動機"とも呼ばれています。 車籍のない"機械"という扱いなので正式な鉄道車両の扱いにはなっていません。
 この入換動車は、機関車を使用しないで人力などで行われていた小規模な入換作業を機械化するため、1950年代に主要駅に登場しました。
 これまで、貨物鉄道会社などで貨車の入換を中心に使用されていました。 JR西日本でも車両工場内での車両の入換に活用していました。
(解説より)

 キハ282329
 
保存場所 : 津山扇状庫 ( Map Code : 153495038*83 ) 
キハ28・キハ58は、キハ58系と総称される急行用ディーゼルカーで、昭和36年(1961年)に登場しました。 2扉、デッキ付の急行形として設計された車両であり、急行用にふさわしい設備として、車体幅を約100mm広げてゆったりとした座席を実現、床を二重構造にして騒音や保温に対応しました。 キハ58系は昭和44年(1969年)までに、1823両が製造されましたが、これはディーゼルカーとして最多の製造両数です。 また、車内設備は異なるものの、北九州〜関西間の修学旅行用専用車両もこのグループです。
 エンジンは標準設計のDMH17Hを使用しています。 キハ58は駆動用エンジンを2機搭載しているのに対し、キハ28は駆動用エンジン1機の他、冷房専用のエンジン(4VK)を搭載し、3両分の冷房電源を供給しています。 
 みまさかスローライフ列車に充当されているキハ28とキハ58は共に、昭和39年(1964年)に製造されております。
(解説より)

 キハ331001
 
保存場所 : 津山扇状庫 ( Map Code : 153495038*83 ) 
キハ33形ディーゼルカーは、米子市にある、後藤総合車両所で昭和63年(1988年)に客車をもとに改造された車両です。 改造のベースとなった50系客車は、昭和52年(1977年)から昭和57年(1982年)にかけて製造された通勤通学輸送を主目的とした車両です。 2両がキハ33に改造されております。 改造するに当たり、車体については50系客車を極力活用し、前頭部は半室運転台の構造となっています。 客室内の座席はセミクロスシートですが、この車両はロングシートの割合が高くなっています。
 客車を気動車化する工事は、国鉄時代の昭和35年(1960年)から昭和38年(1963年にかけて施行されていましたが、その後は新型気動車との設備差などから量産には至りませんでした。 キハ33は25年ぶりに登場した客車改造ディーゼルカーですが、2両が改造された後同形式の増備はなされていません。 なお、客車改造のディーゼルカーはJR北海道でも誕生しています。 平成22年3月(2010年3月)まで、米子支社の境線で活躍していました。
(解説より)

 キハ52115
 
保存場所 : 津山扇状庫 ( Map Code : 153495038*83 ) 
キハ52形ディーゼルカーは、勾配区間用としてディーゼル機関を2台搭載した車輛で、キハ20系と総称される一般型のディーゼルカーです。 車体長はそれまでの車両より少し長く21,300mmです。 昭和33年(1958年)から昭和41年(1966年)にかけて新潟鐵工、帝国車輛で製造されました。
 このキハ52形はエンジンによって2タイプに分けられます。 このキハ52115を含む100番台以降の特徴は、一般型の気動車として初めて横型のディーゼル機関を装備した他、室内灯の蛍光灯化、温水式暖房器の採用、床面点検蓋の廃止・車体中央部の排気管を車端部へ併設する等、以前
の気動車に比べ改良がなされた車両です。 後に、ワンマン化改造や冷房改造を実施し、平成22年3月(2010年3月)まで、金沢支社の大糸線(糸魚川〜南小谷間)で営業列車として使用されていました。
(解説より)

 キハ58563
 
保存場所 : 津山扇状庫 ( Map Code : 153495038*83 ) 
キハ28・キハ58は、キハ58系と総称される急行用ディーゼルカーで、昭和36年(1961年)に登場しました。 2扉、デッキ付の急行形として設計された車両であり、急行用にふさわしい設備として、車体幅を約100mm広げてゆったりとした座席を実現、床を二重構造にして騒音や保温に対応しました。 キハ58系は昭和44年(1969年)までに、1823両が製造されましたが、これはディーゼルカーとして最多の製造両数です。 また、車内設備は異なるものの、北九州〜関西間の修学旅行用専用車両もこのグループです。
 エンジンは標準設計のDMH17Hを使用しています。 キハ58は駆動用エンジンを2機搭載しているのに対し、キハ28は駆動用エンジン1機の他、冷房専用のエンジン(4VK)を搭載し、3両分の冷房電源を供給しています。 
 みまさかスローライフ列車に充当されているキハ28とキハ58は共に、昭和39年(1964年)に製造されております。
(解説より)

 キハ181−12
 

保存場所 : 津山扇状庫 ( Map Code : 153495038*83 ) 
181系特急気動車は、急勾配を含む非電化区間のスピードアップのために開発された特急用気動車で、昭和43年(1968年)10月1日のダイヤ改正で中央西線の「しなの」としてデビューしました。 従来と比べて高出力のDML30系エンジンを搭載し、最高120Km/hでの走行が可能であることから山岳路線のエースとしての活躍がきたいされ、昭和47年(1972年)までに158両が製造されました。 奥羽本線特急「つばさ」、伯備線特急「やくも」、土讃線特急「南風」などとして、北海道を除く全国各地で活躍しましたが、電化区間の拡大とJR発足による新型車両の開発により、徐々に活躍の場を失い、大阪と山陰地方を結ぶ特急「はまかぜ」を最後に引退しました。
(解説より)

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