鳥取県 米子市 |
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D51195 |
保存場所 : 湊山公園 (Map Code : 109353024*64 ) 明治33年3月米子―境港間の鉄道の建設に着手されたのが、山陰地方の鉄道の歴史の始まりです。境線は明治35年11月に開通しましたが、明治34年から米子を中心として東西に山陰線が延びてゆき、大正5年には南へ伯備線の建設が進められました。米子市は、山陰鉄道の発祥の地であり、鉄道との結びつきも非常に深く、鉄道の発達と共に発展してきました。陸蒸気と呼ばれたその昔から、日夜走りつづけた蒸気機関車が、昭和49年11月30日を最後に、この地方から姿を消しました。このたび、米子鉄道管理局の好意により、市民のみなさんに最も親しまれてきたD51蒸気機関車を借り受け、保存展示することにしました。 (解説より) |
日の丸自動車 フ50 |
保存場所 : 元町商店街 (Map Code : XX ) この二軸木造客車の当初の座席は進行(または線路の)方向に対して直角に置かれた「区分席型」とよばれるもので、明治期の日本の三等(最初は並等)客車の典型的なものでした。 各座席区分ごとに外開式扉が有り、乗客はここから出入りしました。 側面に5枚ずつあった扉は中ほどの3枚がそのまま閉鎖され、この客車に見られるように、当初の扉が今でも残されています。 屋根は外から見るとシングルルーフですが、室内にはモニタルーフの原型構造が残っています。 また原型は妻面に窓はありませんでしたが、後に妻面中央に窓が一つつくられ、さらにつくり変えられて大きな三枚窓になりました。 台わくも改造がなされていますが、明治期の標準的な二軸木造客車の台わく形態を残しています。 |
こうした車体構造を持つ二軸木造三等客車は日本では米子市だけしかなく、大変貴重なものといえます。
法勝寺鉄道株式会社は、大正13年に米子町駅(道笑町)と法勝寺駅をむすぶ延長12.4kmで営業を開始しました。 後に経営主体が伯陽電鉄→山陰中央鉄道→日の丸自動車と替わったものの法勝寺電車と愛着をもってよばれ、昭和42年まで米子と会見町、西伯町を結ぶこの地域の重要な交通機関としての役目をはたしました。 日本に現存する最古の客車 原型は、明治20年バーミンガムで製作された両面に各5枚の扉があり、進行方向に直行する5区画の区分座席という型式で、当時の三等車の標準的な座席配置。 外観は大きく改変されてはいるが、「明治期の客車では現存最古」。 明治20年(1887) 英国バーミンガムの工場で製造 明治22年(1889) 関西鉄道(現JR関西本線ほか)開業時に輸入→ 明治40年(1907)10月 関西鉄道国有化国鉄(当時は鉄道院)ハフ3237〜45のうちの一両→ハフ4734(昭和初期) 昭和 7年(1932) 12月 出雲鉄道(一畑電気鉄道旧立久恵線)に譲渡 ハフ21→ 昭和16年(1941) 11月 伯陽電鉄に入線(→山陰中央鉄道→日ノ丸自動車)附50→フ50 昭和42年(1967) 5月14日 日の丸法勝寺線廃線 この間 鳥取県に譲渡 昭和49年(1974) 米子市に移管 (解説より) |
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