和歌山県 田辺市
 C577
 
保存場所 : 会津児童公園  (Map Code : 184225679*27 )
     わたしは蒸気機関車(SL)C577です
 わたしは昭和12年7月8日に川崎車輌株式会社でうまれました。その年に広島鉄道管理局の小郡機関区に配属されたのをふりだしに14年広島機関区、16年岡山機関区、19年門司機関区、31年東京の尾久機関区、32年天王寺鉄道管理局の山田機関区、38年亀山機関区、そして昭和45年田辺機関区にきました。 それから紀勢本線沿線の皆様にかわいがられて走り続けてきましたが、昭和47年3月わたしの役目はおわりました。
生まれてからわたしは2695259km走りましたがこれは地球の赤道上を約68周したことになります。
この間わたしの最大の思い出は、日本の鉄道発祥の地、新橋−横浜間を鉄道100年記念祭の昭和47年10月14日特別列車を引いて走行したことです。 
このたび国鉄と田辺市のはからいで田辺機関区からトレーラーにのせられてこの会津児童公園に定住の地をいただきました。みなさんどうかいつまでもわたしをかわいがって下さい。

                     紀勢本線と蒸気機関車
蒸気機関車が和歌山県下ではじめて走ったのは、明治31年4月のことです。(紀和鉄道、大和二見〜橋本) 紀勢線では、明治45年12月に蒸気機関車が、はじめて走りました。(新宮〜勝浦間) 国有鉄道としては、大正13年2月に開通した和歌山〜箕島間を起点に私鉄を合併しつつ線路は南へ延びて昭和34年7月15日全線開通、現在の紀勢本線に発展したのです。(和歌山〜亀山間)
蒸気機関車は陸の孤島といわれた紀伊半島の美しい海岸を、客車や貨物列車を引っぱり山やトンネルの多い海岸にそって傾斜のきつい線路を、白い蒸気、黒い煙を吐き、壮快な汽笛を鳴らしながらがんばりました。
全盛時代の昭和30年、田辺機関区では、28両の機関車が雄姿をほこり県民の足となって大活躍「8620」「C52」「C51」「C57」「C58」「D51」など機種もまたにぎやかでした。
それが交通近代化とともに、昭和30年をピークにして、一台また一台と消え40年には、17両 47年には、6両になりました。 47年3月いっぱいで普通列車一往復(田辺−和歌山間)を走っていたC57も定期列車から引退 D51のみが、その後も、貨物列車一往復(同区間)を引っぱっていましたが、これも48年8月3日を最後に第一線から退き、ついに紀勢本線から蒸気機関車は姿を消しました。  昭和48年9月9日紀勢本線最後の蒸気機関車としてC57が「臨時急行SL南紀号」のヘッドマークをつけ田辺〜和歌山間を県民に「さよなら」の汽笛を鳴らしながら走りました。
その臨時急行SL南紀号がここに設置されているC577蒸気機関車です。
    昭和49年3月30日    田辺市    田辺市教育委員会
                                                    (解説より)

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