静岡県 静岡市 |
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D51146 |
保存場所 : 静岡市児童会館 (2004年3月まで) 私たちD51形蒸気機関車は、D50形の改良型として昭和11年(1936年)から20年(1945年)にかけて、全部で1115両が造られました。 日本の代表的な機関車で、通称「デゴイチ」と親しまれました。 私は、その中で146番めに名古屋の日本車輌株式会社で生まれました。 北海道で働くことになった私は、岩見沢機関区や追分機関区に籍をおき、室蘭本線や函館本線などで37年間もの長い間雪の日も風の日もいっしょうけんめい働きました。 この間走った距離は、地球を67週に相当する2,675,000キロあまりになります。 そんな私も、昭和50年(1975年)12月14日、室蘭本線を最後に引退いたしました。 静岡には、昭和51年2月4日に来ました。 みなさん、いつまでも大切にして下さいね。(解説より) 2004年3月に城北公園( Map Code : 25555324*13 )に移転 上:静岡市児童会館でのもの 下:城北公園移転後 |
静岡鉄道 モハ20 |
保存場所 : 長沼車庫 2007年3月解体 |
静岡鉄道 デワ1 |
保存場所 : 長沼車庫 型 式 デワ(1号) 製造年月 大正15年10月 製造会社 日本車輛 荷 重 2.03t 長x巾x高 7.722x2.172x3.447 自 重 8.08t (解説より) |
静岡鉄道 65 |
保存場所:フェルケール博物館屋外展示場( Map Code :25569508*52 ) 昭和 2年 今はない東京都杉並線の前身である西武鉄道新宿線の木造ボ ギー車38号として生まれた。 昭和11年 静岡鉄道に譲渡され80号車の名で活躍した。 昭和31年 長沼工場(静岡)で鋼体化改造され現在の姿モハ65型65号車 となる。 昭和50年 長い間、清水市民の足として働き続けましたが、3月31日惜し まれながら廃線の日を迎えました。 ここに静岡鉄道(株)と鈴 与(株)のご協力により保存することになりました。 2010年6月に富山県伏木に移転しました |
清水運送 No.18 |
保存場所:フェルケール博物館屋外展示場( Map Code :25569508*52 ) 貨物車両の牽引、入れ換え用として清水運送(株)が使用していたものです。 カトウ8トンディーゼル機関車 加藤製作所 昭和37年製造 この解説はDB152の所に有ったもの |
清水運送 DB152 |
保存場所 : 三保ふれあい公園 ( Map Code : 800302135*03 ) 貨物車両の牽引、入れ換え用として清水運送(株)が使用していたものです。 15トンB形ディーゼル機関車 日本車両製造(株) 昭和45年製造 この |
スハフ422105 |
保存場所:フェルケール博物館屋外展示場( Map Code :25569508*52 ) 昭和27年に製造され、九州、北陸地方等の各線を走り、昭和50年3月から清水港線に配属されて1日朝夕各1本の貨客混合編成で通学、通勤の足として活躍しました。 (解説より) 2010年6月に解体 |
タキ8453 |
保存場所 : 三保ふれあい公園 ( Map Code : 800302135*03 ) 清水港線を走り続けたアルミナタンク車 清水港線三保駅が昭和19年7月に開業され、この線で日本軽金属(株)清水工場から蒲原工場へアルミナを輸送し始め戦後は新潟工場にも輸送をしました。アルミナは別名参加アルミニウムと言い、白色の粉末で色々な輸送荷姿の変遷を経て来ました。 この車輌は、シャーシ・タンクとも高張力アルミニウム合金製のアルミナ輸送用タンク車で、昭和34年から昭和42年にかけて製造された33輌の内の一輌で、日本軽金属(株)と日本車両製造(株)が共同開発したものです。 初期のものは20有余年使用して来ましたが、その間殆ど無修理で清水港線や本線を走り続けました。 |
昭和59年3月31日、清水港線が廃止され、そのために廃車の運命となりました。 (寄贈 日本軽金属(株)清水工場) 特徴 (1)日本で最初のエアースライド(空気式排出装置)を搭載した粉末タンク車で、人手を用いず40トンのアルミナ を約20分で排出することが出来た。 (2)アルミニウム合金製であるので、軽くて強く、荷物が多く運べる。 (鉄製タンク車のアルミナ積載量30トンに 対し、アルミニウム製は40トン) (3)塗装が不要である。 (解説より) |
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