山梨県 富士吉田市
 スハネフ1420
 
 保存場所 : 下吉田駅 (Map Code : 161 276 325*82 )
    スハネフ14形式 寝台客車 (スハネフ14−20)
「20系」に代わる特急用寝台車として新製されたもので、分割併合に対応して分散電源方式を採用し、B寝台の幅を従来の52cmから70cmに拡大して、居住性が改善された。 もっとも大きな特徴は、人手に頼っていた寝台のセット・収納作業を機械化したことで、A寝台の上段、B寝台の中段を電動機によって昇降させることができる。 足回りは「12系客車」と共通で、応加重付きのCL空気ブレーキを採用し、機関車側に特殊な装置が無くても110km/h運転が可能となっている。
 なお、本形式は上記の点などが評価され、1972(昭和47)年、「ブルーリボン賞」を受賞している。
     本車両(スハネフ14−20)の来歴
本車両は、1972(昭和47)年に旧国鉄の品川客車区(当時)に新製配置され、「さくら」「みずほ」「あさかぜ」など、九州方面の寝台特急として活躍し、1983(昭和58)年に尾久客車区(当時)に異動、寝台特急「北陸」や急行「能登」(客車時代)などの列車に使用され、活躍しました。1985(昭和60)年には、大宮工場(当時)で3段から2段寝台へ改造されました。
 2010(平成22)年3月12日、上野発金沢行き、最後の「北陸」の最後尾を務めたのは本車両であり、多くの歓声に見送られながら旅立っていったことは、当車両の忘れられないエピソードであります。
※本車両自体は寝台特急「富士」として走行しておりませんが、同一形式の車両が、2009(平成21)年3月まで「富士」として活躍しておりました。  (解説より)

 ワフ1
 
 保存場所 : 下吉田駅 (Map Code : 161 276 325*82 )
               貨物輸送の記憶
    〜富士北麓と全国を結ぶ、物流の大動脈として〜
富士急行線における「貨物輸送」は、1929(昭和4)年の、大月〜富士吉田間開業と同時に開始されました。
電車が貨車をけん引し、新聞や雑誌に加え、瓶詰めの飲料(ビールなど)や醤油などの食料品、石油などさまざまな生活必需品を運んでいました。
また、珍しいものとして、沿線の映画館で上映される映画フィルム、北富士演習場で使用される戦車、庭石用の「富士山の溶岩」等も輸送されていました。
特に、地元特産の「甲斐絹」や、富士山の裾野より切り出された木材の輸送は、まさに地域経済を支えたといっても過言では無く、富士北麓と全国各地を結ぶ、物流の大動脈としての役割も鉄道は果たしてきました。
鉄道による貨物輸送は、終戦直後の1950(昭和25)年頃にピークを迎えるものの、昭和40年代から徐々にトラック輸送へのシフトが進み、富士急行線に並行する高速道路が整備されると、年間輸送量が100トンまで減少し、貨物列車は細々と運転されていました。
1978(昭和53)年3月31日をもって、富士急行線における貨物輸送は廃止となり、最終日には、貨物列車の名残を惜しむファンが、沿線に多数詰め掛けました。

  ト104
創業時に制作された、わが社の生き字引
  ワフ1,2
1974(昭和49)年南海電気鉄道から譲受(もとワブ513・517)
 ワフ2 
 
 ト104
 

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