山梨県 山梨市
 三塩軌道 トロッコ
 
 保存場所 : 西沢渓谷 (Map Code : 664703407*44 )
   トロッコの由来
 このトロッコ軌道跡は、三富村と塩山駅を結ぶ三塩軌道と称し、昭和八年〜昭和四三年まで、主に西沢・東沢一帯の県有林の木材搬出に活躍したものです。
 全長は三六キロメートルで、自然勾配をせび(ブレーキ)だけで塩山駅まで下り、登りは馬で二台づつ引き上げていましたが、昭和二〇年頃からはディーゼル機関車で六〜八台を広瀬ダムの対岸にあった中土場(なかどば)まで運び、そこから奥一六キロメートルは、馬に頼っていました。
 木材搬出の行程は、伐採を専門とする者と、積子(つみこ)といって丸太をトロッコに積む者、及び、運材夫といって中土場まで運び、これを塩山駅まで運ぶ業務をそれぞれ分業で行っていました。 県有林からの木材運搬の合間に、民間の者も炭・薪・繭(まゆ)等の搬出、米を始め、あらゆる生活物資の搬入に、このトロッコを利用していました。
 これらは、軌道使用料条例によって、塩山林務事務所が発行する切符により、その荷重と距離により使用料が定まっていました。 三塩軌道は、戦後の食糧難等、幾多の危機を乗り越えて、昭和三七年頃まで全盛を続けていましたが、やがて国道が整備され自動車輸送に変わり、いつした衰退し、昭和四一年、中土場〜塩山駅間の軌道は撤去されました。
 かつては、戦前黒金山の銅鉱採掘による鉱石運搬・また鶏冠山から採掘された硅石(けいせき)の運搬は最後まで行われていましたが、昭和四三年その歴史を閉じました。
                      山梨市
 三塩軌道 トロッコ
 
 保存場所 : 広瀬湖 (Map Code : 534002751*85 )
   トロッコの由来
 このトロッコ軌道跡は、三富村と塩山駅を結ぶ三塩軌道と称し、昭和八年〜昭和四三年まで、主に西沢・東沢一帯の県有林の木材搬出に活躍したものです。
 全長は三六キロメートルで、自然勾配をせび(ブレーキ)だけで塩山駅まで下り、登りは馬で二台づつ引き上げていましたが、昭和二〇年頃からはディーゼル機関車で六〜八台を現在地の対岸にあった中土場(なかどば)まで運び、そこから奥一六キロメートルは、馬に頼っていました。
 木材搬出の行程は、伐採を専門とする者と、積子(つみこ)といって丸太をトロッコに積む者、及び、運材夫といって中土場まで運び、これを塩山駅まで運ぶ業務をそれぞれ分業で行っていました。 県有林からの木材運搬の合間に、民間の者も炭・薪・繭(まゆ)等の搬出、米を始め、あらゆる生活物資の搬入に、このトロッコを利用していました。
 これらは、軌道使用料条例によって、塩山林務事務所が発行する切符により、その荷重と距離により使用料が定まっていました。 三塩軌道は、戦後の食糧難等、幾多の危機を乗り越えて、昭和三七年頃まで全盛を続けていましたが、やがて国道が整備され自動車輸送に変わり、いつした衰退し、昭和四一年、中土場〜塩山駅間の軌道は撤去されました。
 かつては、戦前黒金山の銅鉱採掘による鉱石運搬・また鶏冠山から採掘された硅石(けいせき)の運搬は最後まで行われていましたが、昭和四三年その歴史を閉じました。
                      山梨市

  トップページに   場所リストに  車両リストに  更新記録に   撮影メモに  リンク集に


inserted by FC2 system