山梨県 増穂町
 江ノ電 801
 
 保存場所 : 利根川公園 (Map Code : 312851361*82 )
 甲府盆地を県民に親しまれ走り続けた山梨交通株式会社(旧峡西電鉄)の電車は、明治から大正時代にかけて隆盛を誇った鉄道馬車にかわり、昭和5年、当時の山梨電気鉄道株式会社によって甲府〜青柳間の運行が開始された。
 この電車の開通により、峡西、南地方の人にとっては甲府を結ぶ重要な輸送機関として利用され、又、終点の甲斐青柳駅と身延線鰍沢口駅をバスで連絡し、甲府と静岡を連結される旅客輸送の一幹線となるなど、峡西、南のローカル交通とした果たした役割は大きいものがあった。
 甲府から甲斐青柳までの間、26の駅があり、本町には終点の甲斐青柳駅と長沢、長沢新町駅が設けられていた。甲府〜甲斐青柳間20.3キロメートルを所要時間約55分で運行し、上、下線とも30分ごとに発車されていた。 
戦後、この利用状況は、年間2〜3百万人の利用客があったが、自動車交通の著しい発展により利用客がしだいに遠のき、昭和37年6月3日の運行を最後に廃線となった。
 ここに展示する電車は、昭和23年に製造された車両で、昭和37年に甲府盆地でその勤めを終えたのち、長野県の上田丸子電鉄で走り、昭和46年から神奈川県の江の島電鉄へ移り、藤沢〜鎌倉間を観光客や通勤客を乗せて走り続け、神奈川県の人たちにも「チョコ電」の愛称で親しまれてきた。 しかし、老巧化が進み、昭和61年4月27日の運行を最後に配車されたが、「思い出の電車を思い出の電車を増穂町に」との町民の熱望により、長い旅客輸送の使命を終えた電車は、24年ぶりに増穂町に里帰りした。
 山梨交通株式会社の電車は、昭和5年から昭和37年まで、わずか32年間の運行であったが、太平洋戦争を挟み、幾多の変遷を経ながら山梨県民の足として地域の発展に役立ち、交通輸送歴史の1ページを刻んだ。
 数々の思い出を乗せ、愛され親しまれたこの電車を、増穂町、また、山梨県の交通輸送歴史の記念として永久に保存していくため、旧軌道沿いのここ、利根川公園に設置したものである。(解説より)

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