神奈川県 開成町
 小田急 3181
 
 保存場所 : 開成駅前第2公園 (Map Code : 57556741*33 )
  3100形車(NSE)について
 3100形車製作については、昭和30年代後半になると戦後の復興も一段落し、経済発展と共にレジャーも盛んとなり利用する旅客も増加してきたため、先代の3000形車(SE)4編成では不足気味となったため列車定員の増加が要望されるようになってきた。
 昭和35年から開始された新宿駅の改良工事と小田原、箱根湯本駅のホーム延伸工事完了により、昭和38年3月に3121x11編成が使用開始となり、翌年の昭和39年の東京オリンピック開催に併せ東海道新幹線が開業しました。
   3100形車の基本設計思想としては、
 1.連接車とする
 2.軽量高性能とする
 3.低重心構造とする
 4.冷房装置の取り付けによる側窓の開閉を無くし、側窓を大きくし客室からの展望性を良くする
 5.前面の展望性を良くする
 6.室内をデラックスにする
 7.編成全長を140mにする
 特急車の形式は先代の3000形車(SE)に対し、3100形車は新しいSEという意味でNSEと命名された。
 前面展望室については子供たちの興味の的でもありました。 運転室は展望室の上部に設置し、運転士は梯子で昇降し昇降が終わったら梯子の一部を運転室に引上げ蓋をし展望の妨げとならないように工夫されている。
 前面展望室についてはイタリアのセッテベロ特急電車は2階運転席で前面展望室となっていました。 日本でも同様の車両を開発しようと小田急電鉄と名古屋鉄道でも同様な研究をしており竣功は僅かの差で名古屋鉄道に一歩先を越されたが、運転室への昇降は車両外部からの昇降方式であった。
 前面展望方式については初めての試みであったため各種の問題点が発生し、2階の狭いスペースで運転姿勢に無理は無いか、展望室は良いが運転室の後方の見通しを良くするには、入換信号機や停止目標は見えるか等、中でも問題となったことは、運転席が車両前面より後退したことにより、構内通路歩行者が運転席より見えないのではないか。 当時は現在のように各駅のホームへの通路が立体化されていなかったため、線路を通行する歩行者が見えるように先頭部屋根を設計図より低くして対応するとともに、信号機の見通しが良くなるように立木や建屋等を移動、改築、順次対応策を実施し3100形車は完成し就役した。
 当時は現在と違い飛行機の利用は極一部の人達であり、ロマンスカーに乗車しウエートレスによるサービスで飲食し、ステータスシンボルと感じていた時代であったように思われました。
 車内でのイベントも小田急百貨店との協賛により水着ショーやビール電車等の催しも行われ好評であった。
 ロマンスカーは小田急線随所でピンポンパンポンと警報音を鳴らしながら走行しており沿線でロマンスカーの通過を知らせていましたが、時代の流れにより沿線住民より騒音の苦情が出始めたため警報音を鳴らすのは中止せざるを得なくなりました。 
(車内に掲示の解説より)


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