神奈川県 横浜市
 110
 
 保存場所 : CIAL桜木町ANNEX (Map Code : 8 706 515*24)
  110形蒸気機関車
 1871(明治4)年、英国のヨークシャー・エンジン社の製造で、1872(明治5)年の鉄道創業時に「10号機関車」として新橋~横浜間で使用され、後に「3号機関車」と呼ばれた日本でも最も古い機関車の一つです。
 1909(明治42)年、「110号」に名を改められ、1918(大正7)年まで各所で活躍し、廃車後は車体の一部を切開ののち、大宮工場内にあった「鉄道参考品陳列所」で技術者育成の教材として展示されました。 1961(昭和36)年には「鉄道記念物」に指定され、翌年から2019(令和元)年まで青梅鉄道公園で保存展示されました。
 その後、大宮工場にて溶接を使用しない工法で切開箇所を閉腹し、錆の除去や破損箇所の修復を行い、本機の晩年頃の姿を再現しました。(形状が不明な箇所は資料が残る明治初期の形状を参考としました。)そして、2020(令和2)年、旧横浜停車場であるこの地へ戻りました。 (解説より)
  
 C56139
 

 保存場所 : 本牧駅 (Map Code :8 620 479*46 )

 D51516
 

 保存場所 : 本牧市民公園 (Map Code : 8589259*56 )
 機関車の周囲には解説は無かった。
 機関車の後ろ側には旧横浜機関区に有ったターンテーブルが移設されている

 日本セメント 上磯工場 2
 
 保存場所 : 東洋電機 (Map Code : 8318746*41 )
          東洋電機創業当時の電気機関車
  -- 日本セメント(株)上磯工場 第2号電気機関車 --
 この機関車は、当社が創業して間もない大正11年(1922年)、横浜市保土ヶ谷の旧横浜工場でうぶ声をあげました。 車体は汽車製造(株)で作られ、国産の電気機関車としては最古の部類に属します。 誕生以来63年間、北海道の日本セメント(株)(旧称浅野セメント(株))上磯工場で、セメントの原料となる石灰石や粘土の輸送に活躍しました。
 自重16トンのこの機関車には、45キロワットの主電動機が2台装架され、路面電車と同じ直接制御器で運転されます。 鉱山で石灰石を貨車に満載し、工場に向けて急勾配を下るため、前後の車輪の間に電磁吸着ブレーキを装備しているのが特徴です。 のちに集電装置をポールからパンタグラフに変更するなど、若干の改造が施されました。 
 ボンネットの鐘を鳴らしながら、北海道のしばれる山野で働き続けた日々は、決して平坦なものではありませんでした。 しかし、上磯のみなさんにあたたかく見守られ、現役で還暦を迎えることができたこの機関車は、どんな華やかな機関車よりも幸せであったに違いありません。
 昭和60年(1985年)、日本セメント(株)のご厚意により、生まれ故郷の横浜に帰ることが出来ました。 当社では横浜工場の移転を機に、先人の英知と努力の結晶であるこの機関車を新製当時の姿に復元し、この福浦の地に永久保存することにいたしました。 (解説より)
  
 横浜市交通局 1011
 
  
 保存場所 : 横浜市交通局新羽車両基地(Map Code : 2389006*72 )
   
 横浜市交通局 1012
 
  
 保存場所 : 横浜市交通局新羽車両基地(Map Code : 2389006*72 )
   
 横浜市交通局 1016
 
  
 保存場所 : 横浜市交通局新羽車両基地(Map Code : 2389006*72 )
   
 横浜市交通局 1041
 

 保存場所 : 横浜市資源環境局金沢工場 (Map Code : 8408129*80 )
   
 京浜急行 236
 
 保存場所 : 京急本社ビル (Map Code : 8 765 076*38 )
この車両は、1929(昭和4)に湘南電気鉄道デ1形として製造、1930(昭和5年)4月から運行を開始した車両です。 走行性能に優れた軸受、軽量で丈夫な車体構造などの採用により、良好な走行性能を誇り、電車高速化の草分け的存在でした。 また、大きな窓による眺望の良さも特徴で「関東の名車」とも呼ばれていました。 戦後、京浜急行電鉄発足時にデハ230形に改番され、その後も京急線で活躍しましたが、1978(昭和58)年に惜しまれつつ引退しました。
 廃車後、1979年から埼玉県の川口市児童文化センターで保存展示されていましたが、2017(平成29)年5月、38年ぶりに里帰りし、同車両の活躍を知るOBや多くの人々の知見や力を結集して、約2年にわたる修復作業を完了、当館に保存展示されることとなりました。
       2020年1月  京浜急行電鉄株式会社           (解説より)

  
 横浜市 10
 

 保存場所 : 横浜市電保存館 (Map Code : 8615039*33 )
横浜電鉄時代の大正2年にキリンビールを運ぶため、初めて有蓋2両を製造、翌年無害1両を新造した。 市営後、関東大震災、戦災等の復興に客車を改造し、多い時は15両前後を保有した。 戦前は復興の完了、戦後はトラック輸送の普及などで車両は減少した。 昭和38年有蓋貨車は全廃され、47年電車全廃時には無害貨車1両残すだけとなった。 無害貨車は車体中央に設けた支柱にアームを取付け、これに2トンの手動チェーンブロック(戦後は電動)を装備し、レール、敷石などの補修資材を運搬した。(解説より)

  
 横浜市 523
 
  
 保存場所 : 横浜市電保存館 (Map Code : 8615039*33 )
昭和3年(1928年)に大量60両を購入した500型の1台。 屋根はスッキリした曲面を採用。 社内の大天井もアーチ形とし、内幕板の押縁、スタンションポールの木座等は手彫り模様にする等、震災復興の完成期らしい華やかな電車といわれた。戦後15両を600形に改造昭和44年(1969年)廃車となった。 (解説より)
 横浜市 1007
 
 保存場所 : 横浜市電保存館 (Map Code : 8615039*33 )
初のボギー車。昭和3年、震災復興事業により20両購入した。屋根は曲面アーチを採用し、中部に出入り口(入口専用)を設けた。昭和9年、入口の幅をつめて出入口に改造し中部車掌を配置した。 昭和26年に中部車掌を廃止して再び入口専用とし、自動ドアーに改造した。 昭和44年全廃。 (車号1000~1019)(解説より)
 横浜市 1104
 

 保存場所 : 横浜市電保存館 (Map Code : 8615039*33 )
昭和11年に新式中型ボギー車として5両購入した。バンパー面から流線型となっている車両は当局唯一のもの。当初ロマンスシートを片面にそれぞれ3脚を設け、その他をロングシートとし、鋼製振止式のつり皮を採用するなどモダンな車両。「ロマンスカー」とも呼ばれた。42年ワンマン車に改造され市電全廃まで活躍した。(解説より)
 横浜市 1156

 保存場所 : 久良岐公園 (Map Code : 8553280*43 )
 横浜市 1311
 
 保存場所 : 横浜市電保存館 (Map Code : 8615039*33 )
昭和22年 終戦直後の混乱した時代に輸送力を増強するため大量30両を製造。 当初3000型としたが翌年1300型に改めた。 運転台側出入口は2枚折度 中央出入口は両開引戸。車掌側は1枚引戸と独特なドアーを装備した。 車体は軽く機能も良くツーマン車としては最後の車両で、昭和46年③系統廃止に伴い廃車となった。 (車号1301~1330)(解説より)
 横浜市 1508
 
 保存場所 : 中田小学校 (Map Code : 8541761*16 )
 横浜市 1510
 

 保存場所 : 横浜市電保存館 (Map Code : 8615039*33 )
戦後の市電復興も一応落着き、昭和23年から乗客サービスの改善と性能を高める研究を始め、昭和26年に老巧化した300型の代替として20両購入した間接制御方式の電車。 前面の窓の下から流線型とし、運転台の窓もバスなみに大きく外形を近代化した。 一番の工夫は、台車に防震ゴムを使い振動や騒音を少なく市従来の電車と比べ静かで乗心地もずっと良くしかも電気ブレーキと空気ブレーキを併用する等、数多くの新方式を採用し、路面電車としては画期的なものよなり、”ちんちん電車の決定版”といわれた。(解説より)
 横浜市 1518
 
 保存場所 : 野毛山動物園  (Map Code : 8705211*32 ) 
 横浜市 1601
 

 保存場所 : 横浜市電保存館  (Map Code : 8615039*33 )
800型代替として32年、当工場で製作した最後の新造中型ボギー車。 後部乗降口を中央よりに移したバス型配置で,出入口を大きくとり、4枚折戸を採用した。 室内灯は蛍光灯でラインライト方式、床板には明るい緑色の軟質ビニール張り、ビューゲルは自動昇降式。 台枠の中梁には5インチの鋼管を使用しこれをレザーバータンクに利用した。(解説より)
 横浜新都市交通 1161
 
 
 保存場所 : 横浜新都市交通 車両基地
 横浜新都市交通 1162
 
 
 保存場所 : 横浜新都市交通 車両基地
 緩速沪過池用鍋トロ
 
 保存場所 : 横浜水道記念館 水道技術資料館
                      MapCode(2174422*02)
 西谷浄水場の緩速沪過池は、大正4年第2回拡張工事で8池作られた。この沪過池の汚砂の削り取り作業、洗砂作業及び砂の補給作業等にトロッコが使われた。 汚砂の削り取り作業は、30日~40日周期で行われた。
                     (解説より)
   
 トロッコ
 
 保存場所 : 横浜水道記念館 水道技術資料館
          MapCode(2174422*02)
       22インチ鋳鉄管・トロッコ
 この管は、第1回拡張工事で使用した管で、明治32年に輸入されたベルギー、リェージュ市水道鉄管会社製のものである。(展示の管は、長さ12フィート(3.65m)の一部)
 トロッコは、イギリスから輸入した軽便軌条を利用して、鉄管・鉛塊・レンガ等の運搬に使われたもので、運搬路は、長住町出張所(今の日本丸のあるところ)から、荒川渡船場(城山ダムあたり)に至っていた。
                         (解説より)
   
 創業当時の中等客車
 
 保存場所 : CIAL桜木町ANNEX (Map Code : 8 706 515*24)
日本に輸入された客車は、上等車10両、中等車(40両)、緩急車8両の計58両で、全て英国製でした。 外観や社内の構造は上等車、中等車ともにほぼ同じで、両端に出入口を兼ねたオープンデッキがあり、車内は中央通路式になっています。
展示の客車は、鉄道開業期にM.モーザーが撮影した、横浜停車場に留置中の車両写真、英国製古典客車図面、車両形式図等の記載寸法を参考に、中等客車として再現しました。
木造の客車部、車輪脇の板バネは新造し、本来は金属製である緩衝器は、木地をろくろ挽きで制作。 他の国内で入手困難な金属部品は英国から輸入した古物を使用しています。 車輪の外観は、創業期に用いられ乗り心地に優れているとされる、木製の「マンセルホイール」をイメージし、その造形を施しました。 室内照明(オイルランプ)は、古文献や英国製のものを参考に電気式で再現しています。 色彩は、当時の浮世絵、M.モーザー撮影のコントラスト、そして昔の英国車両を参考に配色しました。   (解説より) 
  トップページに   場所リストに  車両リストに      
  更新記録に     撮影メモに   リンク集に       


inserted by FC2 system