東京都豊島区 |
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C58407 |
保存場所 : 大塚台公園 ( Map Code : 822194*28 ) 僕の歩んだ道 1946年12月29日 汽車製造株式会社大阪工場で誕生して、北海道五稜郭機関区に配属されて戦後の混乱した激動期の中で松前線と江差線の旅客貨物輸送に活躍しました。 1973年8月12日函館機関区に移り、おもに構内の貨車のいれかえ用として使用されましたが、動力近代化のために1973年12月1日で永年のお勤めをおわりました。 その間の走行距離は約932,800キロで地球を約23周したことになります。 1974年5月5日 豊島区のおねがいで大塚台公園に保存されることになりました。 今後みなさんのお友だちとしてかわいがって下さい。 (解説より) |
この保管場所の周囲は金網で囲まれており、機関車の近くには立ち寄れない。 金網越しにしか機関車を見ることが出来なかった。 |
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西武3号機 |
保存場所 : 昭和鉄道高校 ( Map Code : 850405*17 ) 1B1型蒸気機関車 製 造 年 明治24年(1891) 製 造 所 英国 ダブス社 使用開始 明治25年 関西鉄道 大正6年より多摩鉄道(現西武多摩線) 重 量 25.14トン (解説より) |
東京メトロ 685 |
保存場所 : 昭和鉄道高校 ( Map Code : 850405*17 ) 帝都高速度交通営団モハ500形電動客車は、丸ノ内線向け車両として1957年(昭和32年)に初年製造され、以降234両の車両を日本車輌、近畿車輛、東急車輛等の鉄道車両製造メーカー7社にて製造されました。 モハ500形 685号車両は、1960(昭和35年)12月 中野検車区に搬入され、翌年2月営業運転を開始いたしました。 1992年(平成4年)4月 31年間に2,988,569.6Kmを走行し現役を退いた車両であります。 同年7月 帝都高速度交通営団創立五十周年記念車両として豊昭学園に寄贈された車両であります。 (解説より) |
都12−001 |
保存場所 : 千早フラワー公園 (Map Code : 818348*00 ) |
都12−002 |
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都6162 |
保存場所 : 大塚南公園 ( Map Code : 793843*07 ) 都電の兄弟たち 都電は、東京都交通局が走らせています。交通局には、都電荒川線のほかに都営地下鉄線があります。 浅草線・三田線・新宿線の三路線です。 また、道を行く都バスも仲間です。 皆さんも乗ったことがあるでしょう。 荒川線の歴史を見てみましょう 東京でただ一カ所となった都電荒川線は、現在一日延6万5千人の都民の皆様が利用しております。 荒川線が誕生したのは、明治44年です。 この年、王子(飛鳥山上)−大塚間が開業しました。 当時は、私鉄の王子電気軌道という会社で運行されており、長い間「王電」の呼び名で親しまれていました。 |
この「王電」は、昭和17年に東京市に移管され「市電」と名前が変わり、昭和18年の東京都政施行により「都電」と呼ばれるようになりました。 その後、自家用車の増加や地下鉄の開通により、都電の多くの路線が廃止されました。 三ノ輪橋−赤羽間および荒川車庫−早稲田間も廃止予定でしたが、路線の大部分が専用軌道であること、地域住民の強い要望などにより王子駅前−赤羽間のみ廃止し、他は残すこととなりました。 そして昭和48年には、二つの路線をつなぎ、三ノ輪橋−早稲田間として12.2kmを一本化し名前を「都電荒川線」と改め、現在にいたっています。 この電車の大きさと生い立ち 6000形の車両は、現在荒川車庫で応急用として残されている6152号車以外は昭和53年4月27日付ですべて廃車となりました。 製造年月 昭和24年7月21日 配属車庫 昭和25.10.16 青山車庫 昭和42.12.10 大久保車庫 昭和43.05.26 荒川車庫 昭和45.03.27 錦糸町車庫 廃 車 昭和45年3月20日 公園設置 昭和46年5月01日 (解説より) |
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