東京都 墨田区

2007年7月10日〜9月9日の学校が夏休みとなる期間中、両国の江戸東京博物館において大鉄道博覧会が開催された。 ここに、実物車両として明治40年に制作された「下工弁慶号」(本HPでは三重県いなべ弁市で紹介。博覧会終了後は広島県柳井市で保存)と国産最後の実用蒸気機関車となる「くろひめ号」(本HPでは新潟県糸魚川市で紹介。博覧会終了後は糸魚川市で保存)の2両が展示された。 
 東武5号機関車
 

保存場所 : 東武博物館  ( Map Code : 803501*25 )
東武鉄道記念物第12号
1899年、北千住・久喜間の開業に先立ち、1898年英国ベヤー・ピーコック社製の機関車を12両輸入しました。
5号機関車はそのうちの1両で、当時としては大型で長距離用の機関車です。 1965年まで伊勢崎線の貨物列車を牽引していました。 展示にあたり輸入当時に、ほぼ復元してあります。 (解説より)
東武6号機関車
 

保存場所 : 東武博物館  ( Map Code : 803320*83 )
東武鉄道記念物第12号
1899年の開業に先立ち、1898年英国ベヤー・ピーコック社から輸入した機関車で、この6号蒸気機関車は、5号機関車とともに1965年まで伊勢崎線で活躍していました。 東武鉄道では1966年7月貨物全線の電化が、完成するまでは、多くの蒸気機関車が在籍。 貨物線の電化が進むに従って蒸気機関車は、次々と姿を消していきました。 (解説より)
 下松弁慶
 
展示場所 : 江戸東京博物館
今から100年前の1907(明治40)年に、下工弁慶号が誕生しました。製造したのは、東京石川島造船所というところで、この会社は現在、IHI石川島播磨重工業株式会社として世界的にも有名な重機メーカーです。この下工弁慶号は、アメリカ・ボールドウィン社という蒸気機関車メーカーの車両を参考に設計されたもので、タイプとしてはB型サドルタンク式蒸気機関車というものにあたります。外観上の特徴としては、水のタンクがボイラーの上にかぶさり、その姿が亀のようなことから、鉄道愛好家には”亀の子”という愛称でも呼ばれています。
重量は5.5トンという蒸気機関車としては小さいものです。活躍の場所は、徳山(山口県)の海軍練炭製造所(後の海軍燃料廠)で、帝国海軍艦艇燃料として使用する石炭の輸送に使われたようです。1934(昭和9)年に、海軍燃料廠から原動機実習教材用として下松工業学校(現・下松工業高校)に提供され、長く同校で静態保存されてきました。
明治・大正・昭和と時代は流れ、長く眠りについていた下工弁慶号が再び動くことになったのは、1981(昭和56)年です。この年、下松工業高校の創立60周年の記念事業のひとつとして先生・生徒の力で動態復元され、約50年ぶりに復活しました。その後、岡山県の下津井電鉄(現在は廃止)や、柳井卸センターなど、各地でイベント走行しました。
下工弁慶号は、1988(昭和63)年に、下松工業高校の同窓会である社団法人下松工業会へ同校から移管された後、1996(平成8)年に下松市へと再び移管され、市役所前の保存展示室にて再び眠りにつきました。
2度目の復活となったきっかけは、北勢線90周年事業です。これは、三重県の桑名(西桑名)駅から阿下喜駅までに至る20.4キロメートルのナローゲージ(幅の狭い線路)のローカル線・”北勢線”が、公共の援助を受けて2003(平成15)年に近畿日本鉄道の路線から、三岐鉄道の路線へと生まれ変わり、翌年には開業90周年となることを記念したものです。2004(平成16)年4月、下工弁慶号は、新しく生まれ変わった”北勢線”の活性化のために下松市から貸し出されました。
下工弁慶号は、北勢線の終点に新しくできた”軽便鉄道博物館”に入り、そこで沿線のサポーター団体となる”ASITA(北勢線とまち育みを考える会)”の会員によるボランティア作業により整備が続けられ、2006(平成18)年3月に阿下喜駅前の軽便博物館、展示線約100メートルにて走行しました。そして今年の4月に故郷の下松市へ返却されましたが、今回、再び貸し出されて展示されることになりました。
純国産であり、また100年前に誕生した蒸気機関車が現代でも”走る”ということは、希有であり、日本の産業文化財としても、大変貴重なことです。世界一厳しいわが国の労働局ボイラーテストに再びパスしたことにより下工弁慶号は走り続けられることになりました。しかし、毎年のボイラー検査や、日々の整備が必要となりますので、今後も末永く動態保存される蒸気機関車であることを願ってやみません。 (展示会場の解説文)

 くろひめ号
 
展示場所 : 江戸東京博物館
「くろひめ」号は、新潟県糸魚川市の西郊にあった、”東洋活性白土”という会社の工場の構内から、国鉄・糸魚川駅の構内のはずれにつくられた貨物積みかえホームまでの約300メートルの区間、および工場内に張りめぐらされていた線路上を、製品や原料を積んだトロッコを牽いて走っていました。
線路の幅は610ミリメートル(2フィート)で、線路幅は762ミリメートル(2フィート6インチ)よりもさらに狭い、まさにトロッコと同規格の鉄道です。同じ線路幅を採用して旅客営業していた鉄道は、戦後では、かつての鉱山鉄道だった三井金属鉱業(通称神岡鉄道)ただ1社のみでした。”東洋活性白土”の線路は工場内専用鉄道で、厳密に言うと形態は鉄道であっても法律的には工場の輸送機械に当たります。
この機関車の製造銘板によると、1956(昭和31)年製。産業用の蒸気機関車ですが、営業用としては日本で最後に作られた機関車として知られていました。しかし、製造自体は1950(昭和25)年頃、出荷されたのが1956年であることがわかってきました。”東洋活性白土”に、この蒸気機関車を訪ねてきた鉄道ファンによって、いつしか「くろひめ」号という愛称が付けられました。「くろひめ」とは、近く間を流れる黒姫川からの命名です。工場は1982(昭和57)年に閉鎖されましたが、「くろひめ」号は、工場近くの糸魚川市立の小学校で保存されています。
    くろひめ号の化粧直し
羅須地人鉄道協会は昭和48年から9年間、くろひめ号が活躍していた糸魚川市の東洋活性白土専用線で活動を行っていたご縁もあり、今回のくろひめ号整備にご協力をいただきました。 わずか9日間という短い期間の整備でしたが、心を込めた整備で現役当時の美しさを取り戻しました。(展示会場の解説文)

 東武ED101
 

保存場所 : 東武博物館  ( Map Code : 803501*25 )
東武鉄道最初の電気機関車。 1928(昭和3)年英国のイングリッシュ・エレクトリック社製で,1930(同5)年2月に就役。 当初は貨物列車の他、客車を引いて団体用にも使用されました。 東武の電気機関車は1944(同19)年3月総武鉄道(現 野田線)と合併するまでは、このED101号1両のみでした。 1955(同30)年6月にED4000形4001号に形式変更。 1972(同47)年まで活躍した後、同年7月近江鉄道に譲渡され、1988(同63)年3月まで働きました。 廃車後も保存、展示されていましたが、2009年(平成21)1月東武鉄道に里帰りしました。 (解説より)
近江鉄道での保存時の写真はこちらに
 東武ED5012
 

保存場所 : 東武博物館  ( Map Code : 803501*25 )
東武各線の貨物電化にともない、1957年から1962年にかけて4期にわたって増備された日立製の電気機関車の1両で、ED5015電気機関車は1959年に造られました。
この電気機関車は東上線に配備され、同線の貨物輸送の近代化に貢献しました。 1986年東上線の貨物輸送は、その役目を終えました。 (解説より)
 東武デハ5
 

保存場所 : 東武博物館  ( Map Code : 803501*25 )
大正13年、浅草(現業平橋)西新井間の電化にともない、東武鉄道最初の電車として8両の木造電車が日本車両の東京支店で製造されました。 デハ5は東武各線(東上線を除く)を走りました。
昭和31年からは、西新井工場の車両入換用として使用されていたため、改造されず原形のまま保存されていました。 (解説より)
 東京都 6086
 
展示場所 : 江戸東京博物館
6086号車は都電の代表格である6000形車両で、発展していく東京とともにはしっていました。 1987(昭和53年)に運転を終えるまでに、実に9回の転属を経験し、都電荒川線でも活躍しました。 この車両は、2008(平成20)年に鉄道博物館学芸員の故・岸由一郎氏にご尽力いただき、30年ぶりに荒川車庫営業所に帰ってきました。東京都交通局は岸氏の意思を受け継ぎ、末永く保存していきたいとかんがえています。
6086号車の歴史
1949(昭和24)年 日本鉄道自動車製造  青山営業所に配属される
             南千住営業所に転属  青山営業所に転属
1951(昭和26)年 三田営業所に転属    巣鴨営業所に転属
1953(昭和28)年 神明町営業所に転属    1955(昭和39)年 大久保営業所に転属
1966(昭和41)年 三ノ輪営業所に転属    1969(昭和44)年 駒込営業所に転属
1970(昭和45)年 荒川営業所に転属     1978(昭和53)年 4月27日付で廃車

おかえりなさい 6086号車
2008(平成20)年6月14日に発生した、岩手・宮城内陸地震で被災された、鉄道博物館学芸員の故・岸由一郎氏は、鉄道資料の保存にも熱心な活動をされていました。 2008(平成20)年3月、廃車後個人宅に保存されていた解体寸前の6086号車について岸氏は、関係箇所に積極的に働きかけるなど助言を頂きました。 このため、6086号車は30年ぶりに荒川電車営業所に戻ってくることができました。

 東武モハ5701
 

保存場所 : 東武博物館  ( Map Code : 803501*25 )
1951(昭和26)年、戦後最初に新造した日光・鬼怒川線特急車。 5700系は1951年および1953(同28)年に2両固定が3編成ずつ計12両が造られ、このうち最初のモハ5700・クハ700形4両は、正面2枚窓の通称"湘南型"の変形ともいえる独特の流線型で登場。 前面の飾り金の形から”ネコひげ”の愛称で親しまれました。 1960(同35)年、貫通扉付き(展示中の5703号と同タイプ)に改造され、急行・快速・団体用に使用された後、1991(平成3)7月に廃車されましたが、当館への展示を機に再びネコひげ形に復元しました。 (解説より)
 東武 日光軌道203 
 


保存場所 : 東武博物館  ( Map Code : 803501*25 )
日光軌道線は1910年、日光精銅所の資材輸送を主目的に敷設されました。 1947年に当社と合併しましたが、その後、観光客の増加にこたえ、開業以来使用していた旧型車を廃し、1953・4年に大型車を導入しました。 この車両は1954年に汽車会社で造られた2車体3台車連接式の珍しい電車です。
日光軌道は、1968年に姿を消しました。 (解説より)

 東武 軌道自転車
 
 
保存場所 : 東武博物館  ( Map Code : 803501*25 )
昭和40年代後半まで、夜間に作業現場に行く時や道具類を運ぶ際に線路上で使用しました。 動力は215ccエンジンで時速40kmが出せました。 またペダルを踏んで走ることもできました。
              (解説より)
 明智平ロープウエイゴンドラ
   
保存場所 : 東武博物館  ( Map Code : 803501*25 )
 日光の明智平ロープウェイは、全長300m、高低差86mの明智平〜展望台間を約3分で結び、華厳の滝や中禅寺湖、男体山を一望できます。1933(昭和8)年、日光登山鉄道により開業しました。 戦時中に一時運行を休止しましたが、戦後東武鉄道と合併し、1950(昭和25)年に運行を再開。 1985(昭和60)年に日光交通に営業が譲渡されました。
このゴンドラは1950(昭和25)年に川崎車両で製造され、2001(平成13)年に現役を退きました。
             (解説より)
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