群馬県 安中市 | |
松井田町の旧信越本線横川機関区跡に碓氷峠鉄道文化むらが整備され碓氷峠で活躍したアプト式機関車であるED42や粘着式に変更後に活躍したEF62、EF63をはじめとして様々な車両が展示されている。 |
|
D5196 |
保存場所 : 碓氷峠鉄道文化むら 従来のD50形に変わって軸重を軽減し、誕生した蒸気機関車である。 当初貨物用として製造されたが、旅客列車も牽引し、実に1,115両が造られ戦中、戦後を駆け抜けたベストセラー機である。 重油併燃装置を付加無煙装置の改良を重ね、本機のように煙突後ろのドーム(砂箱と蒸気溜めが入っている)を長く伸ばしたタイプは特に「ナメクジ」と呼ばれ、日本全国を「デゴイチ」の愛称で走り廻った。 夜汽車を引く蒸気機関車の遠い汽笛は今も望郷とロマンを彷彿させる。 現在、JR高崎支社でD51498がイベント列車として復活し往年の雄姿をうかがうことができる。(解説より) |
DD511 |
保存場所 : 碓氷峠鉄道文化むら 蒸気機関車の後継機として誕生し、大出力エンジンを搭載、旅客列車用には暖房に使用するための蒸気発生装置を積み、重連運転も総括制御できるなど、様々な用途に使用されている。 1号機と2号機以降では運転室の庇や前部の形状が違い、イメージが異なる特異の1号機である。 現在も日本各地の非電化区間で活躍中であり寝台特急から貨物列車まで牽引しているが老巧化も進み、近年次世代の機関車に置き換えられつつある。(解説より) |
DD531 |
保存場所 : 碓氷峠鉄道文化むら 除雪速度が10km/hしか出ないDD14形に変わってDD51形の動力ユニットを使用した大出力除雪用ディーゼル機関車である。 DD20形の後押しにより全出力を除雪用として使用することもでき、この1号機は北海道で活躍した。 3機造られたが、各機毎にロータリー部分の形状が異なっていた。 大出力ゆえ投雪で民家や電柱などに被害を出し、皮肉にも里雪にはDD14形の方が良いということになり山岳地区に追いやられることとなった残りの2機は長岡、直江津に配備され、この1号機は昭和51年山形県の新庄に転属となり最後の使命を終わった。(解説より) |
ED421 |
保存場所 : 碓氷峠鉄道文化むら アプト式鉄道は、線路の中央にラックレールという歯形の軌条をおき、機関車の車体の下に取り付けた歯車をこれとかみ合わせて走らせる登山用の鉄道で、ドイツ人のローマンアプト(Roman.Abt)氏が発明したものです。 わが国のアプト式鉄道としては、明治26年4月信越本線の標高386.6mの横川と939.1mの軽井沢との間、勾配1000分の66.7を上り下りする11.2kmが開通しました。 当初は、アプト式蒸気機関車を使用しましたが、明治45年同区間が電化されたことによって、現在軽井沢駅前に展示されてあるEC40(10000形)アプト式電気機関車におき換えられました。 |
従来の電気機関車は、輸入に頼っていましたが、このED421号アプト式電気機関車は昭和9年純国産の第1号機として製造されたもので、横川機関区に配属され、横川・軽井沢間に使用され、昭和38年9月アプト式線路が撤去されることによって廃車となりましたが、大宮工場で保管していたのを昭和42年9月同工場で復元し同年10月アプト式線路とともに準鉄道記念物に指定されました。 性能 重量 63.36t(運転整備) 全長 12810mm 電気方式 直流600V 電動機 3個 1時間定格出力 510kw 最大運転速度 粘着区間 25km/h ラック区間 18km/h 特徴 1.この機関車には、電動機が3個あって前後の2個は動輪を回転させ、中央の1個はラックモータと呼ばれ、こ れを使って歯車を回転させ、これがラックレールにかみ合って急勾配を上り下りするようになっています。 2.ラック区間では車体の両側にコレクターシュー(集電靴)を取り付け、線路のわきの第三 て走り、駅構内などは架線からパンタグラフを通じて電気をとって走るようになっています。 3.列車を運転するときは、3両を横川寄りに、1両を軽井沢寄りにつけ、列車をはさんで合計4両で運転をして いました。 昭和42年10月14日 準鉄道記念物指定 (解説より) |
|
EF15165 |
保存場所 : 碓氷峠鉄道文化むら 旅客列車用に造られたEF58形と客貨の双璧となる貨物用の電気機関車で、202両と大量に作られ勾配区間の多い上越、奥羽線に配備され、その後全国の直流電化区間で活躍した。 晩年は工事用車輌、イベント列車を牽引し吾妻線などで使用された。 (解説より) |
EF3020 |
保存場所 : 碓氷峠鉄道文化むら 関門トンネル専用機関車として造られ、本州及びトンネル内は直流、九州側は交流のため交直切替が車上でできる構造であり、海水による塩害腐食を防ぐため、ステンレス車体が採用されている。 本州と九州の掛橋役であったEF30形も現在はEF81形に置き換えられ、全機廃車となった。 (解説より) |
EF532 |
保存場所 : 碓氷峠鉄道文化むら EF52形電気機関車を基本に改良を重ね、旅客列車用として誕生した。 当初は東海道本線で活躍していたが、晩年は高崎線に配備され、後に山陽本線瀬野〜八本松間の勾配用補助機関車EF59に改造された。 本機はEF5911より復元したものである。 (解説より) |
EF58172 |
保存場所 : 碓氷峠鉄道文化むら 旅客用電気機関車として暖房装置(蒸気、電気)を持ち、東海道、山陽、東北、上越、高崎線などで旅客列車を牽引した。 完成直後はデッキ付きの古めかしい機関車として誕生したが、後に当時はやりの流線形に変更された。 本機は特急「はと」「つばめ」を牽引し、また日光線などでお召し列車を牽引するなど時代の先端で活躍したが、晩年は荷物列車の先頭に立ち現役を退いた。 現在は数両がイベント用として残されている。 SL,EF57に続くEF58ブームを巻き起こした名機である。 (解説より) |
EF591 |
保存場所 : 碓氷峠鉄道文化むら 山陽本線、瀬野〜八本松間(通称セノハチ 22.5パーミル)の峠越え専用補助機関車として昭和37年12月、EF538から改造され山岳機関車用に歯車比を変更し、さらに重連運転や走行中に連結を開放できるように連結器も改造された。 しかし、老巧化に伴い、EF61形200番台,EF67形機関車に置き換えられ、本機種は全機、瀬野機関区を去っ関区は横川機関区のように一区間のみの運行を担当する数少ない機関区でもある。 (解説より) |
EF60501 |
保存場所 : 碓氷峠鉄道文化むら 昭和35年にF形初の高性能電気機関車としてEF60形が誕生し、以後この500番台が特急列車牽引用として製造され当時の花形、九インの先頭に立ち活躍した。 形状の面では一般型とほとんど区別がつかないが、クリーム色の特急帯が特徴となっている。 EF65形の出現により、特急運用から外され、晩年は貨物列車を牽引した。 現在はEF6019がJR高崎支社に残るのみで、全車廃車となっている。 (解説より) |
EF621 |
保存場所 : 碓氷峠鉄道文化むら 碓氷峠のアプト廃止に伴い造られた本線運転用の電気機関車である。 横川〜軽井沢間の碓氷峠では補助機関車EF63形と協調運転ができ、旅客、貨物列車を牽引した。 急勾配を越えるため、動力が効率よく線路に伝わる装置や空転防発電ブレーキ等を備えている。 また高性能電気機関車の中では唯一のC−C台車である。 (解説より) |
EF6254 |
保存場所 : 碓氷峠鉄道文化むら |
EF631 |
保存場所 : 碓氷峠鉄道文化むら 碓氷峠専用の補助機関車で昭和37年に先行試作車として本機が造られた。 走行性能は本線用機関車EF62形と同一であるが、急勾配(66.7パーミル)を走行する上で数々の保安装置として勾配抑速用の発電ブレーキをはじめ、列車暴走を防ぐための過速度検出装置、非常用の電磁吸着ブレーキ、勾配上で長時間停留した時にブレーキの空気圧が低下してもブレーキが緩まないためのロックシリンダ等の安全装置が多数搭載されている。 またEF62形電気機関車や169系、189系、489系電車と協調運転ができ、軽井沢側には多数の電気連結器(ジャンパー線)を備えている。 量産2号機以降は運転席窓上に庇が付き、またスカートの形状も多少イメージが異なる。 総数25両が造られ、全機が横川機関区に配備され、平成9年9月まで峠のシェルパとして活躍しましたが、長野行新幹線の開業により碓氷峠と共にその任を終わった。 (解説より) |
EF6310 |
保存場所 : 碓氷峠鉄道文化むら |
EF6311 |
保存場所 : 碓氷峠鉄道文化むら |
EF6312 |
保存場所 : 碓氷峠鉄道文化むら |
EF6322 |
保存場所 : 峠の湯 |
EF6324 |
保存場所 : 碓氷峠鉄道文化むら |
EF6325 |
保存場所 : 碓氷峠鉄道文化むら |
EF65520 |
保存場所 : 碓氷峠鉄道文化むら EF65形は安定した性能と高い汎用性を持ち、我国の標準機関車として1965〜1979年の間に308両が製造されました。 その中でも500番代機はブルートレイン用と特急貨物用と2種類のタイプが登場し、当時の高速列車を一手にけん引する花形機関車でした。 この520号機は貨物初の100キロ運転を実現し、高速貨物輸送の基礎を築いた「特急貨物用」で、重厚な連結器廻りを特徴とする往年の名機であります。 なお、本機の修復にあたり、EF65−520保存会をはじめ、JR貨物高崎機関区の方々に絶大なご協力とご尽力を頂きました。(解説より) |
EF701001 |
保存場所 : 碓氷峠鉄道文化むら 北陸トンネル開通に伴い、トンネル内の湿度と勾配対策機として、レールとの粘着力を強化するため従来のD形機から高性能なF形機が誕生した。 初期形は前照灯が1灯式であったが、本機は増備形で2灯式となり正面マスクのデザインが少し変更された。 現在、この形式は全機廃車となっている。 (解説より) |
EF8063 |
保存場所 : 碓氷峠鉄道文化むら 上野〜水戸間の電化により、常磐線用に造られた交直流電気機関車で、電気暖房装置を搭載し、特急「ゆうづる」をはじめ、旅客、貨物列車を牽引した。 車体の軽量化を図るため1台車1主電動機方式が採用されている。 本機には列車暖房装置に静止型インバーターが試験的に搭載されている。 (解説より) |
マイネ4011 |
保存場所 : 碓氷峠鉄道文化むら 第二次大戦後の進駐軍用で、当時の国鉄客車としては超豪華な1等寝台車として誕生した。 車内は半分がコンパートメント(個室)式、他はプルマン(開放)式となっており昼間はクロスシートとして使用され、また当時稀な空調装置も付いている。 その後、昭和30年7月の称号改正でマロネ4011となる。 老巧化のため昭和43年3月、工事用宿泊車オヤ412に改造された。 本車両はオヤ412から復元したものである。 S23.7製造(解説より) |
ナハフ111 |
保存場所 : 碓氷峠鉄道文化むら 増大する旅客需要に対応するため、徹底した車両の軽量化を図り、誕生したのがこの10系軽量客車で、従来の客車に比べ、約10tも軽くなり、軽量客車の基本型である。 台車も真道に強く、また乗り心地も改善されたTR50Aを採用し、車内も軽量化のためプラスチックやビニール合板を多用して明るいイメージとなっている。 このナハフ11はナハフ10の室内灯を蛍光灯に変えて、出入口の扉を折戸から開戸に改造したタイプである。 多くの優等列車に使用されたが、高度成長の先駆けとなった就職列車にも使用され、郷愁を誘う客車であるが、全車廃車となった。 S32.5製造(解説より) |
オハネ1229 |
保存場所 : 碓氷峠鉄道文化むら 10系軽量客車を基本とした寝台車である。車体の横裾を絞って、車幅を拡大し、居住性を高めた車内となり、3段式寝台で54のベットがある。 昼間は座席車として使用するため開放感を持たせるため仕切板を跳ね上げることができる。 昭和42年には冷房化改造により自重が増えたため、ナハネ1229からオハネ1229と名称が変更された。 特急、急行列車として活躍したが晩年は普通列車の寝台車として紀勢、山陰本線等で使用された。 S33.9製造(解説より) |
オハユニ61107 |
保存場所 : 碓氷峠鉄道文化むら 大正10年に誕生した木造客車ナハ24644を昭和30年11月、鋼体に改造してオハユニ61107となった。 車内は半分が3等客車で、他は郵便室、荷物室に分けられている。 郵便室には車内で郵便仕分けのため、郵便棚が設けられている。 一時代前に日本各地のローカル線で活躍した木製の床や椅子、ニス塗りの室内で当時をしのばせる車両である。 T10製造(解説より) |
オロ12841 |
保存場所 : 碓氷峠鉄道文化むら |
オロ12854 |
保存場所 : とねりこ ( MapCode : 94122685*35 ) |
オシ172055 |
保存場所 : 碓氷峠鉄道文化むら 第二次大戦後、進駐軍より返還された車両台枠を改造した特急用食堂車である。 軽量客車ナハ10系の車体構造を生かし、冷房装置、4人掛けテーブルなど以後造られた食堂車の基本となった。 本車両は昭和初期の2等寝台マロネ37に始まり、マハ47・マハネ37・マハネ29・マハ29等と実に7回も名称を変えている。 食堂車として活躍した後、昭和49年に電気機関車用教習者として改造されたオヤ171から復元され、その時の計器類が現在も車内に残っている。 (解説より) |
スニ308 |
保存場所 : 碓氷峠鉄道文化むら 昭和2年、鋼製荷物車スニ47807として誕生し、翌年、称号改正によりスニ36507、昭和16年の改造でスニ308となった。 荷物輸送に活躍し、同形式では当時の進駐軍用車両として、Baggage Car(荷物車)、P.X Car(販売車)、Mail Car(郵便車)として使用されたものである。 2重屋根にリベット(鋲)、TR13台車に魚腹形台枠と当時をうかがえる車体となっている。 老巧化のため昭和36年、スエ309に改造され故障列車の救援車として最後の活躍をした。 本車両はスエ309より復元したものである。 (解説より) |
スロ12822 |
保存場所 : 碓氷峠鉄道文化むら |
クハ189−5 |
保存場所 : 碓氷峠鉄道文化むら |
クハ189−506 |
保存場所 : 碓氷峠鉄道文化むら 昭和38年、日本経済の発展に伴い輸送力増強が叫ばれ、信越本線の中で近代化のネックであった横川〜軽井沢間のアプト式を粘着式に変更し、輸送力の増強とスピードアップが図られた。 昭和43年更に改善を図るため、それまでEF63形電気機関車の後押しのみに頼っていた電車の動力を駆動させ、スピードアップを図り,EF63で一括制御する協調運転方式に改良された、特急(あさま号)の189系車両である。 長野行新幹線の開通により信越本線では、全車廃車となったが、同系車両は、中央線で特急「あずさ号」として今も活躍している電車である。(解説より) |
モハ189−5 |
保存場所 : 碓氷峠鉄道文化むら |
キハ20467 |
保存場所 : 碓氷峠鉄道文化むら 昭和32年からキハ17系気動車の後続車として造られた一般型気動車である。 従来の気動車に比べ車体が大きく、乗り心地、居住性などが改善された。 同形式で1,126両が造られ、両側運転台、片側運転台、旅客郵便荷物合造車、北海道向けや2機エンジン搭載タイプなど様々なバリエーションがあった。 全国各地で活躍したこのキハ20系も電化が進み現在は数両を残すのみとなっている。 (解説より) |
キハ35901 |
保存場所 : 碓氷峠鉄道文化むら 大都市近郊のラッシュ輸送緩和のための気動車で、初めてオールロングシート、両開き扉等を採用した国電イメージ車で、関西本線天王寺口を皮切りに各地の都市近郊の非電化区間で活躍した。 本車両は房総地方での潮風による塩害対策としてステンレス車体を使った試作型であり好評であったが、電化により八高線、川越線に転用された。(解説より) |
キニ581 |
保存場所 : 碓氷峠鉄道文化むら 昭和53年7月、キロ58から非電化区間の荷物用気動車として、キハ47スタイルに改造し常磐線(隅田川〜平)で使用され、昭和60年10月荷物輸送廃止まで活躍した。 荷物ターミナル間の輸送を目的としたため、車中は広々としたパレット(方面別の集荷コンテナ)輸送に適した荷物室となっている。(解説より) |
軌道確認車GA−100 |
保存場所 : 碓氷峠鉄道文化むら |
ソ300 |
保存場所 : 碓氷峠鉄道文化むら 線路工事等のため従来のソ200を改良し開発された操重車(クレーン)である。 走行用ディーゼルエンジンを持ち、自走が可能であり、また35tまで持ち上げることができ作業効率が高く、各地の橋桁等の架け替え工事に威力を発揮したが、老巧化により廃車となった。 (解説より) |
ヨ3961 |
保存場所 : 碓氷峠鉄道文化むら |
ヨ8841 |
保存場所 : 碓氷峠鉄道文化むら |
トップページに 場所リストに 車両リストに 更新記録に 撮影メモに |