福島県 猪苗代町

 沼尻鉄道 DC121
 

保存場所 : 緑の村  ( Map Code : 61893883*23 )
 このディーゼル機関車及び客車は、旧沼尻鉄道で走っていたものである。 沼尻から東へ4km程入ったところに沼尻鉱山があった。 1888年から硫黄の採鉱と精錬が開始され、1907年本格的な事業拡大を図って増資されて日本硫黄(株)が設立。 採鉱精錬した硫黄を磐越西線川桁駅まで運ぶため那麻鉄道(株)が誕生して、軌間609mmの人車軌道が敷設された。 しかし、軌道の勾配、曲線あるいは橋梁等の障害で人の手で押して歩くことがままならなくなり、1912年軌間762mmの馬車軌道として申請免許変更願いを提出し、同年8月27日付けで認可が下り、翌年4月沼尻から川桁までの全線15.6kmの軌道工事が完了し、5月からは貨物及び旅客の輸送が開始され、日本硫黄(株)那麻軌道部によって管理運営されていた。
 1913年7月には動力変更届を申請して翌年1月に認可が下りた。 直ちにドイツのコッペル社から蒸気機関車2両を購入して輸送力の向上を図り、1917年には同型の蒸気機関車1両増設して、更に輸送力を増強して1953年まで蒸気機関車を主力とした輸送業務であった。
 1945年1月付けで那麻鉄道から地方鉄道に昇格、日本硫黄・沼尻鉄道として地元は勿論、多くの湯治客等からは「軽便」あるいは「マッチ箱」と呼ばれて親しまれ利用されたのである。
 そして、1953年8月蒸気機関車に代って12tディーゼル機関車2両が導入されて、大巾なスピードアップと運行本数の増便が計られ、1968年10月13日の最後の運行まで15年間働き続けた。 以降1989年まで地元有志により大切に保存されていたディーゼル機関車(DC121)及び客車(ポサハ12)2両を一部修復してここに展示する。
 1907年から1968年まで、人車軌道から馬車軌道、そして地方鉄道に移り変ったものの、実に61年の長きに亘り地域発展のために寄与したのである。
                            (解説より)
 沼尻鉄道 客車
 

 沼尻鉄道 客車
 

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