北海道 美瑛町
 49600
 
 保存場所 : 中町公園 (Map Code : 389011470*15 )
 四九六○○型蒸気機関車のおいたち
製造年月日  大正九年三月二十三日
廃車年月日  昭和五十年六月十二日
製  造  所  川崎造船所
運 転 距 離  二七一万一、八七二キロメートル
保 存 場 所  美瑛町中町公園
由緒
 大正九年三月二十三日川崎造船所で製造され、昭和二十二年十月十八日まで本州で活躍し、その後北海道函館機関区に配属となり、次いで昭和二十三年十月二十八日深川機関区に転属して、道内各線の旅客、貨物輸送に務め、最後に遠軽機関区に転じ遠軽駅構内で列車の入換機関車として活躍した。
保存の経過
 昭和五十年七月に老人クラブを主体とした、美瑛町蒸気機関車誘致期成会が結成され、町ならびに国鉄当局に要請するとともに、費用は町民有志各位の五五七万六千円に及ぶ、寄付を仰ぎ、一部を町が負担して、昭和五十年九月十五日敬老の日に設置した。
         美瑛町

   私の一生
  私、愛称「キュウロク」は、大正九年三月川崎造船所で産声をあげました。
  大正二年に初の国産SL第一号が生まれ、大正十五年までに七七○台も誕生した古いテンダ型蒸気機関車で、私はその四○一番目です。 からだは機関車と炭水車に分かれていて、体重は約七○トンで水と石炭を積むと約九○トンにもなります、 長さは約一六、八メートル、幅二、六メートル、高さは一番高いところで約三、八メートル、力は八七○馬力で客車は一○輌、貨車では三○輌貨物七○○トンも乗せて引っぱる力持ちです。
 私の型はD五一、C五七などにくらべるとスマートではありませんが、蒸気機関車の原型と言われ、力強く、運転しやすく雪に強い優秀な性能で、仲間達は国産車として最初から最後まで全国の鉄道を走りまくつた。
  私は世に出ていらい五五年と三月の間に地球を六八周、また月と地球の間を四、五往復もできるくらい走り続け、まだまだ働きたいのだが、新進気鋭のDL,EL、に後を譲り昭和五十年六月に名誉ある引退をした。
  私はあやうく廃車解体となるところであったが、美瑛町の要請により昭和五十年九月からこの公園に安置され、大雪の秀峰に見護られ平和で健康で毎日を送っている。
  私はしみじみ感謝をしている。
 老人クラブが主体となつた期成会の県命な働きに対して。
 惜しみなく費用を拠せられた町民各位の厚情にたいして。
 そしてすべての町民が注いで下さる暖かいまなざしに対して。

(解説より)
  
 スヤ522
 
 保存場所 : 美瑛神社付近 (Map Code : 389012168*56 )
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