薩摩久木野駅跡
  
碑の背景
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国道270号線を加世田から枕崎に向かって走行中に薩摩久木野駅の跡地を示すこの看板と出会った。 この案内板は平成28年度(2016年)の鹿児島県地域振興推進事業により設置されたものです。 薩摩串久木野駅に関する記述は碑文で十分に説明されているのでここで特に触れることは無い。
   
写  真
基本情報


所 在 地 : 鹿児島県南さつま市加世田津貫
MapCode : 198 273 512*41
建 立 日 : 2016年
建 立 者 : ―――
種   別  : 跡地碑
撮 影 日 : 2022年11月18日


碑  文 薩摩久木野停車場は昭和6(1931)年3月10日の伊集院〜枕崎の全通と同時に開業した。 当初、この場所には駅の設置計画はなかったが、加世田以南の駅間がおおむね2km間隔であるのに対し、この周辺での貨客が比較的多く見こまれるにもかかわらず、上津貫〜金山の駅間は4.0kmもあって、上津貫寄りに位置するものの、鉄道を利用しにくいことは明らかであった。 そこで久木野集落や中山集落などの住民の勤労奉仕により駅の建設が行われ、南薩鉄道の枕崎延伸に合わせて完成させた。 駅は曲線部分に設けられており、加世田以南では内山田や千河とともに最も小規模なものであったが、加世田側から田園側に分岐する行き止まりの貨物側線を持つ停車場であり、加世田以北で見られた側線を持たない停留場よりも格上であった。 開業当時の貨車は積重10トン程度の小型の木製車ばかりで、人力により入れ替えを行うのが基本であった。 駅本屋・旅客ホーム・貨物積み下し場が備わっており、駅本屋は線路の西側に設置され、国道に隣接していた。 のちに枕崎側から国道側に分岐する行き止まりの側線と上屋付きの貨物ホームが設けられ、こちらが使われるようになった。 また職員宿舎もこの付近に建てられていたことがあった。
昭和28(1953)年6月、鉄道全盛期でありながら、新たに南薩鉄道の経営権を掌握した岩崎與八郎による最初の合理化策が試みられ、加世田以南では内山田・千河とともに、貨物取扱の廃止と無人化がいち早く実施された。 駅本屋は鉄道廃止まで存続し、ホームに隣接した線路を開業以来使用し続けた。 駅跡にはホームが残るが、盛土の中に埋もれており確認は困難である。 駅の上津貫側には国道に沿う形で線路跡が残っており、金山側は花渡川沿いの線路跡を途中まで辿ることができる。
  

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