長谷場純孝先生像
  
碑の背景
コメント
長谷場純孝は串木野村(現在はいちき串木野市)で1854年(安政元年)に生まれ、17才で東京にでるが、廃藩置県後警視庁の邏卒になる。 その後、鹿児島に戻り、西南戦争では西郷軍に加わり捕虜となるも、1880年には出獄し、国会開設運動に参加した。 1890年の第1回衆議院総選挙で当選し、以降連続当選し、政党政治の有力者として活躍した。 碑文には「鉄道国有化と鹿児島本線敷設の恩人」と書かれているが、ネットで長谷川純孝を検索しても鉄道との係りに関する記載は見られなかった。
写  真
基本情報


所 在 地 : いちき串木野市曙町11760
MapCode : 147 483 093*18
建 立 日 : 1960年 4月
建 立 者 : 長谷場純孝先生顕彰会
種   別  : 顕彰碑
撮 影 日 : 2022年11月17日


碑  文 先生はつとに自由民権を唱え、国会開設以来衆議院議員に当選、議長・文相を勤め、大正3年病を押して議長に再任、ついに殉職される。 年61才。 鉄道国有化と鹿児島本線敷設の恩人である。 ここに芸大山本教授に委嘱し、これをゆかりの駅頭に建立する。 願わくは後世その偉徳を仰ぎ、先生に続く幾多人材の輩出するを切に祈る。
     1960年4月   長谷場純孝先生顕彰会

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