加世田駅跡
  
碑の背景
コメント
加世田駅は碑文にもある様に南薩鉄道の駅として1914年に開業した。 南薩鉄道は最盛期には本線(伊集院〜枕崎)49.6Km、万世線(加世田〜薩摩万世)2.5km、知覧線(阿多〜知覧)16.3km、総延長68.4kmの路線となった。 この碑がある加世田駅には車両基地が置かれ、南薩鉄道の中心であった。 1983年にい加世田豪雨により路線が寸断され、甚大な被害を受け、翌年に路線が廃止となったことにより、駅も廃止となった。 駅の跡はバスセンターとなり、当時使用されていた蒸気機関車、ディーゼル機関車が保存展示されている。
写  真
基本情報 

 
所 在 地 :  鹿児島県南さつま市加世田本町10
MapCode : 198 608 019*11
建 立 日 : 2016年 3月
建 立 者 : 南さつま市教育委員会
種   別  : 跡地碑
撮 影 日 : 2022年11月18日 
碑  文   「南薩鉄道」が加世田まで開通したのは開業からまもない大正3(1914)年5月10日であった。 当時の川辺郡加世田村は田園に囲まれたところで、当時は未知であった鉄道そのものが敬遠される傾向にあり、「加世田停車場」は町はずれに設けられた。 大正5(1916)年10月に大崎線(のちの万世線)が開通すると伊集院からの列車は加世田で折れ、薩摩大崎町(のちの薩摩万世)まで直通した。 近隣の村から南薩鉄道を経由して、朝の鹿児島発門司行きの急行列車に乗り継ぐためには加世田に宿泊しなければならず、駅周辺は徐々に賑わいを見せて、大正年間には現在の本町商店街が形成されていった。 南薩鉄道の本社は大正5(1916)年から昭和33(1943)年に支社となるまで加世田に置かれ、また駅構内には車庫や運転設備もあり、加世田は南薩鉄道の本拠地でもあった。 昭和18(1943)年の薩南中央鉄道との合併後は、万世線のみならず知覧線の一部の列車も加世田発着となり、終戦直後から昭和30年代にかけて、駅は常に乗客であふれかえり、構内にはいつも何台もの蒸気機関車が煙を上げていた。 その後は万世・知覧両線の廃止や、駅の無人化、貨物列車の廃止などを経ながら鉄道が維持されていたが、昭和58(1983)年6月の加世田豪雨による線路の被害は甚大なものとなり、昭和59(1984)年3月17日の終焉の時を迎えた。 まだ寒さの残る春の宵であったが、多くの住民が駅構内で見守るなか、18時55分発の日置行き最終列車が五色のテープで沿線住民と結ばれながら旅立っていった。 駅跡には「南薩鉄道記念館」による車輛や資料の展示が行われ、当時を偲ぶことができる。
 

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