慰霊碑

碑の背景
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第二次大戦の終末期となる1945年に鹿児島市には8回の空襲が行われたが、7月27日には6回目の空襲が鹿児島駅周辺に対して行われた。 この日の空襲は車町、恵美須町、柳町、和泉屋町など鹿児島駅周辺に対して行われ、死者420名、負傷者650名の被害が出た。 この空襲の19日後の8月15日に終戦となった。 
駅の関係者は碑文にもある様に12名の方が亡くなったが、亡くなった方の名前と年齢を見ると十代の女性が大半となっている。 

写  真
基本情報


所 在 地 : 鹿児島市浜町
MapCode : 42 037 749*81
建 立 日 : 1977年12月25日
建 立 者 : 殉職者遺族一同
        被爆当時の鹿児島駅関係者一同
        鹿児島駅職員一同
種   別  : 慰霊碑
撮 影 日 : 2022年11月18日


碑 文 第二次世界大戦の末期、昭和二十年七月二十七日十二時四十五分 敵機の大空襲によって鹿児島駅は壊滅した。 このとき職場を護り尊い犠牲となられた十二名の霊を慰めるため 三十三回忌にあたって関係者一同相計り被爆の地にこれを建立する。
 殉 職 者
改札掛 枝元猛志 五十三才
 〃 北原テル子 十九才
 〃 平原サク 十九才
 〃 下荒磯トミ 十七才
小荷物掛 市来スミ 十八才
貨物掛 尾本長子 二十才
車号掛 的場哲子 十九才
連結手 末吉豊彦 十九才
駅 手 福里信雄 十六才
 〃 高野チカ 二十一才
 〃 栫 ナミ子 十八才
 〃 福田トヨ 三十八才
昭和五十二年十二月二十五日
  殉 職 者 遺 族 一 同
  被爆当時の鹿児島駅関係者一同
  鹿 児 島 駅 職 員 一 同

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