山津波記念石
  
碑の背景
コメント
1972年7月3日から6日にかけて、黄海から日本海北部に進んだ前線を伴った低気圧に向かって暖湿気流が流れ込み、九州と四国に雷を伴った局地的な大雨が降った。 霧島山周辺も集中豪雨に見舞われ、総雨量は500mm以上を観測している。
7月6日、真幸駅の裏山が8合目付近(海抜500〜600m)で地すべり性崩壊を起こし、山津波が発生した。 この山津波は5回に分かれて発生し、高さ350m、幅280mに渡って山地が崩壊した。 これにより30万立方メートルの土砂が肥薩線を切断し、白川(川内川の支流)沿いに1.5kmにわたり流出し、住家28戸、非住家29戸が流出し、4名の方が亡くなった。
この碑は災害後、ホームに残された岩石を駅長が「災害記念」として説明文を設置したが、真幸駅の無人化により、管理されない状態となったことから、えびの市が維持管理を行っている。
   
写  真
基本情報


所 在 地 : えびの市内堅  真幸駅ホーム
MapCode : 195 252 504*25
建 立 日 : 1972年 8月
建 立 者 : 真幸駅長
種   別  : 災害碑
撮 影 日 : 2017年 4月19日


碑  文 昭和47年7月6日午後1時45分頃山津波が発生、約30万立方メートルの土砂が流出した。
この石塊は当時の山津波で流れ出たものを現地でそのまま山津波記念石として保存するものである。
尚、この石塊は重さ約8トンである。
    昭和47年8月 真幸駅長

 戻る

inserted by FC2 system