松浦鉄道全通記念碑
  
碑の背景
コメント
松浦線の佐世保側は軌間が762mmの軽便鉄道で開業したが、国鉄が買収後1067mmに改軌をした。 その際、軽便時代の山寄りの経路から海沿いの経路に変更された。 この碑のある真申駅付近が完成したのが1945年でこれにより松浦線が他の路線と車両の行き来ができるようになった。 この碑は佐世保側の経路変更による改軌工事が完了した事を松浦線の全通としている。

写  真
基本情報


所 在 地 : 佐世保市光町1  真申駅前
MapCode :  89138343*31
建 立 日 : 2002年10月吉日
建 立 者 : 株式会社堀内組
       代表取締役会長 山下秀男
       代表取締役社長 山下功三
種   別  : 開通・開駅碑
撮 影 日 : 2008年 3月20日

碑  文 松浦線の歴史と記念碑建立の由来
松浦線は、明治31年8月に有田〜伊万里間が伊万里鉄道会社線として開通し、佐世保側は大正9年3月に相浦〜左石〜柚木間が佐世保鉄道会社線として開通したのをその起源としております。
以後伊万里側は明治40年7月に国有化され、佐世保側は昭和11年10月に国有化されました。 その後双方から建設が進められ、昭和19年4月に潜竜〜肥前吉井間の開通に伴い、有田〜肥前吉井間が伊万里線となり佐世保〜相浦間並びに左石〜柚木間(昭和42年廃止)及び臼の浦〜世知原間が松浦線となりました。
 昭和20年3月には、最後の難工事でありました当地真申付近の工事が完成し伊万里線と松浦線が全通しました。 以来有田〜伊万里〜佐世保間93.8キロメートルを結ぶこの新線を松浦線とし、肥前吉井〜世知原間が世知原線(昭和46年に廃止)に、佐々〜臼の浦間が臼の浦線(昭和46年廃止)と改称されました。 当記念碑の前にあります真申駅は、その時に建設されたもので当地付近がまさに松浦線全通の地でございます。
松浦線の建設には、私は現在の堀内組の前身であります旧堀内組に所属しておりました時から現場の責任者として深く係っておりました。 全通の最後の区間であります相浦から佐々に至る区間の工事は、昭和14年に旧上相浦駅構内で起工式が行われ開始されましたが、全通しました昭和20年3月は、世情が大変混乱しており全通の記念式典などは行われませんでした。 昭和25年に現在の堀内組を設立いたしました以降も松浦線(現在の松浦鉄道)の工事を数多く施工させていただいており、この鉄道は当社の歴史の重要な位置をしめるものでございます。
このようなことから、今回佐世保市制施行百周年に当り、この真申の地に松浦線の全通の証しとして、記念碑を建立するものでございます。
なお記念碑建立に際しましては、下記各社のご協力をいただきました。
平成14年10月吉日   株式会社堀内組  代表取締役会長 山下秀男
建立御協力会社  日本貨物鉄道株式会社九州支社様
             三軌建設株式会社様
             エイツーアーキテクップランナーズ一級建築士事務所様


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