旧佐賀線 諸富駅跡
  
碑の背景
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長崎本線佐賀駅と鹿児島本線瀬高駅を結ぶ佐賀線は1935年5月に筑後川に筑後若津橋梁を架橋し全線開通した。 諸富駅は全線開業時に筑後川右岸の駅として開業した。 駅の開業時には駅員もいたが、1971年には運転要員が配置されただけで、旅客扱いに関しては無人駅化された。 1987年3月に佐賀線が廃止された事により諸富駅も廃止となった。

写  真
基本情報


所 在 地 : 佐賀市諸富町
MapCode : 87 207 261*67
建 立 日 : 1996年3月
建 立 者 : 諸富町教育委員会
種   別  : 跡地碑
撮 影 日 : 2011年11月 3日


碑  文     国鉄佐賀線と諸富町
 佐賀から大牟田・熊本方面への最短経路として計画された国鉄佐賀線は、大正11年に建設が決定されましが、財政事情や計画変更などで遅れて昭和4年3月に着工されました。
 建設で一番の問題点は大川〜諸富間の筑後川鉄橋で、船の航行に支障があるため、全長506.4mの橋の中央部24.2mが満潮面から22mも上昇する鉄道線初の可動橋となりました。 この昇開式可動橋は、昇程の高さ径間の長さで東洋一の規模でした。
 営業開始の昭和10年は諸富駅の乗降客48,290人を記録し、その後も通勤・通学、貨物の輸送等、佐賀平野と筑後方面とを結ぶ大動脈として大きな役割を果たしましたが、昭和30年9月に諸富・大川橋が佐賀線に並行して開通した為に、貨物や人々の移動手段が徐々に、自動車へと移行していきました。
 昭和40年代には国鉄の合理化案がうちだされ、佐賀線も、その対象となり、地元は熱心な存続陳情をおこないましたが、昭和57年には、第二次廃止対象路線とされ、昭和62年3月、佐賀線はその52年の歴史に幕を閉じることになりました。
 ここに佐賀線・諸富駅があったことを記念し碑を建立します。
  平成8年3月(1996年)   諸富町教育委員会


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