川上軌道跡碑
  
碑の背景
コメント
川上軌道は1913年10月に軌間914mm、動力車:蒸気機関車の軽便鉄道として神野〜都渡城(後の肥前川上)間で開業した。 1917年には神野〜中ノ小路が延長された。 1919年には佐賀馬車鉄道と合併し佐賀軌道となったが、1928年には佐賀馬車鉄道区間と1917年に延長された神野〜中ノ小路間が廃止され当初の神野〜都渡城間の営業となった。 1930年に軌間を1067mmに改軌するとともに電化され、路面電車化された。
川上軌道は国鉄路線とは連絡しておらず、佐賀〜神野間をバスによって連絡していたが、バス輸送に一体化するために1937年8月にバス転換され、鉄道は廃止された。

写  真
基本情報


所 在 地 : 佐賀市大和町久池井
MapCode : 87 557 588*56
建 立 日 : 2007年 2月
建 立 者 : 佐賀大和町観光協会
種   別  : 跡地碑
撮 影 日 : 2011年11月 3日



碑  文    川上軌道終点停留所跡地
 大正二年(一九一三)神野・都渡城間に軽便鉄道が開通し、この地が終点停留場。
 普段は一両であったが、実相院のお経会や納涼の時は二〜三両増やし、かん高い汽笛を鳴らし、黒煙を吐きながら走った。
 昭和二年(一九二七)川上峡は日本百選に入選し、昭和四年には県立公園に指定され、風光明媚な九州の嵐山として発展。
 昭和四年軽便鉄道から川上電車に変わり、電車が走るようになった。
 昭和一二年に廃止になるまで、多くの人々に親しまれた。
 開通当初の運賃は神野・都渡城間が一〇銭。
  (当時の米価六〇キログラム当たり八円二八銭)


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