若松駅操車場跡
  
碑の背景
コメント
今は昔、北九州の筑豊地区は石炭産業が盛んで、掘り出された石炭は筑豊本線を用いて若松港まで運ばれた。 若松港からは内航船で国内各地に運搬され、日本のエネルギー源として産業を支えていた。 最盛期の取扱量は1000万トン/年であるが、これを日量にすると28000トンとなる。 石炭車の積載量は13t〜17tであるため、若松港には1900両弱の石炭車が毎日到着し、内航船に石炭を移すと、空荷で山元まで戻っていったことになる。 この石炭列車の運行を支えていたのが若松駅に隣接して設けられていた操車場である。

写  真
基本情報


所 在 地 : 北九州市若松区久岐の浜
        若松駅横
MapCode : 16517574*14
建 立 日 : −−−
建 立 者 : 若松駅OB碑建立委員会
種   別  : 跡地碑
撮 影 日 : 2004年11月


碑  文  明治二十四年八月若松駅開業と同時に、石炭車入換のため操車場がこの地に設けられました。
 その後港の奥三キロに至る岸壁沿いの四十二万キロメートルの鉄道用地に、三十五万平方キロメートルの操車場ほか機関区・客貨車区・鉄道工場・保線区等の期間が設けられ、千五百人の職員を擁して日本の近代化を支える筑豊炭の港頭輸送が図られました。
 操車場では昼夜の作業が行われ、最盛期には年間一千万トンの石炭が到着後船積みされ旧国鉄時代には常に日本一の貨物取扱駅操車場となりました。
 ここはその旧国鉄職員の辛苦と栄枯の歴史を刻んだ操車場の跡地であります。


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