漆生駅跡
  
碑の背景
コメント
漆生線は後藤寺線の下鴨生から山田線下山田駅に至る営業キロ7.9kmの路線で、途中駅は鴨生、漆生、才田の3駅があった。 大正2年に石炭搬出を目的として筑豊本線の貨物支線である現在の新飯塚〜筑前山野(廃止)間の上三緒駅分岐し漆生駅まで開業した。 漆生駅は長い間、漆生線の終点であったが、1966年に山田線の下山田駅まで伸延され、中間駅となった。 しかしながら、下山田方向への列車の設定は開業3年後でも4往復で、漆生駅が実質の終着駅であった。 1986年(昭和61年)漆生線が全線廃止となり、漆生駅も廃駅となった。
  
写  真
基本情報


所 在 地 : 嘉麻市漆生1490-5
MapCode : 55 626 384*56
建 立 日 : 1995年3月
建 立 者 : 稲築町
種   別  : 跡地碑
撮 影 日 : 2017年4月18日


碑  文    [ 写真左側 ]
 ここは、旧国鉄漆生線の漆生駅跡地です。 漆生線は大正2年に赤坂駅(現在の下鴨生駅)〜漆生駅間の貨物営業線として開業し、大正9年には旅客営業を開始しました。 以来70有余年の長期間、石炭をはじめ旅客・貨物の輸送機関として、親しまれ愛されてきましたが、昭和61年3月31日でその歴史を閉じました。
 この地は漆生線の終点であったこと、また石炭との関わりが深かったことなどから「夢とうるおいにあるまちづくり」の一環として、漆生中央町並み整備事業でこの一帯を整備したものです。
     平成7年3月    稲築町
   [ 写真右側 ]
漆生駅跡公園
 大正2年8月25日旧国鉄漆生線の終着駅として誕生し石炭の運搬や通勤通学に利用された駅です。 昭和30年頃からエネルギー革命で石炭の運搬が減少して昭和61年3月漆生線が廃止され、平成9年度に憩いの場として整備し町民のみなさまに利用されている公園です。
                 稲築町

 戻る

inserted by FC2 system