慰霊塔
  
碑の背景
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日田彦山線彦山駅から南方に500mにあった二又トンネルは釈迦岳の丸山に掘られた延長100mのトンネルであった。 1944年6月に空襲で被災した陸軍小倉兵器補給廠山田填薬所の火薬庫に対する代替え施設として、陸軍は当時既に完成していた二又トンネルを火薬庫として使用する事にし、1944年7月から1946年2月に火薬が搬入された。 1945年8月の終戦後、二又トンネル内の火薬は米軍に引き渡されたが、その量火薬がは532,185kg、信管が185kgであった。 米軍はトンネル内の火薬を焼却処分する事になり、火薬による導火線を作り、点火した。 点火から1時間後には火薬を燃やす炎はトンネル出口から火柱の様に噴出し、点火2時間後の17時20分に火薬が大爆発した。 この爆発により丸山全体が吹き飛び、多くの人が生き埋めとなった。 爆心地であるトンネルを中心として半径2km内外に被害が及び死者は145名、負傷者151名、被災家屋118戸と言う大惨事となった。
日田彦山線の彦山駅以遠は1956年に開通したが、二又トンネルが在った場所は現在、切通しとなっている。

写  真
基本情報


所 在 地 : 田川郡添田町大字落合
MapCode : 748 284 167*00
建 立 日 : 1948年 4月
建 立 者 : −−−
種   別  : 慰霊碑
撮 影 日 :  2011年11月 4日



碑  文         慰霊塔建設誌
大東亜戦争中■■二又隧道内に貯蔵中の元 軍用火薬終戦に依り焼却処分中不幸にして 昭和二十年十一月十二日午後五時二十分大 爆発一瞬にして山岳は真二に爆破せられ其 被害上下十数丁に渉り死者百四十五名負傷 者百五十一名家屋埋没倒壊破壊百十八戸に 及ぶ大惨事あり
此悲惨なる尊い犠牲者の霊を永久に慰んが 為に生残者一同協力以て本塔を建設す

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