九州鉄道大蔵駅跡
碑の背景
コメント
1889年博多〜千歳川仮停車場間を開業させた九州鉄道は、1891年博多〜門司間を開業させた。 この時、黒崎から内陸側に迂回した経緯は碑文の通りである。 黒崎〜小倉間の迂回区間は全線単線、延長11.4kmであった。 当初はこの区間に駅は設けられなかったが、1898年に大蔵駅が設けられた。 1902年に戸畑経由の現路線が開業すると、従来からの線は大蔵線として支線化されたが、大蔵駅以外の駅は設けられず、駅間距離が長く、北九州地区内でのきめ細かな輸送には適していなかった。 1911年になると北九州市内での交通の便を図るために、九州電気軌道が大蔵線に沿って路面電車を開業させた。 この開業により大蔵線は廃線に追い込まれた。
写  真
 
基本情報
 所  在  地 : 北九州市
       八幡東区大蔵2−1−40
 マップコード : 16 398 207*56
 建  立  日 : −−−
 建  立  者 : 北九州市教育委員会
 種      別 : 跡地碑
 撮  影  日 :  2011年11月 4日

碑  文  明治5年(1872)、新橋〜横浜間にわが国最初の鉄道が開通して以来、全国各地に続々と鉄道が敷設されていきました。 
 九州でも明治21年(1888)、福岡、熊本、佐賀、長崎4県の有志が、九州鉄道株式会社を設立し、門司(今の門司港駅)〜高瀬(熊本・今の玉名駅)間などの路線を計画し、直ちに着工しました。 門司〜黒崎間のルートは、経営効率の高い海岸沿い(戸畑経由。現在の鹿児島本線)を計画しましたが、陸軍省の強い反対にあい、小倉からはやむなく<板櫃・清水・茶屋町・大蔵>を経て黒崎に至る山手回り(のちの大蔵線)に敷設されました。 同24年(1891)4月に門司〜高瀬間、7月には熊本まで開通しました。
 当初、小倉〜黒崎間には駅はありませんでしたが、明治31年(1898)8月大蔵駅が設けられ、一時は八幡の表玄関としてにぎわいました。 駅の規模、構造等詳しい資料はなく、明確なことはわかりませんが、おおむね下図に示すとおりであったと推定されます。
 その後、明治35年(1902)戸畑線が開通し、同40年(1907)九州鉄道が国有化された後、戸畑線が本線昇格となって大蔵線が支線となり、同44年(1911)に大蔵線は廃線となりました。
 大蔵公園の整備に伴い、九州鉄道の境界石が見つかりました。

 戻る


inserted by FC2 system