殉難之碑
  
碑の背景
コメント
 1949年5月9日午前4時23分、高松桟橋駅から宇和島駅に向かっていた予讃線の準急第一列車が本碑が建立されている場所に於いて脱線、転覆した。 これにより、機関助手1名が死亡、機関士2名と乗客3名も負傷した。 その後、機関士2名も死亡し、死者は3名となった。 脱線した原因は、レールの継ぎ目板が2か所4枚、ボルト8本、犬釘7本が故意に抜き取られ、レールが75mmずらされていた事による。 この事故は予讃線事件として列車転覆致死傷罪で捜査が行われたが、真相が判明せず、1964年には時効となった。
 この事件が発生する1年前の1948年4月27日には奥羽本線の赤岩−庭坂間を走行していた列車が脱線転覆し機関士と機関助手の2名が死亡した。 この事故の原因はレールの継ぎ目板2枚、犬釘6本、ボルト4本が抜き取られていたことによる。 また、予讃線事件の3か月後には東北本線の松川において、同様の列車妨害事件(松川事件)が発生している。

写  真
基本情報


所 在 地 : 松山市北条町難波大浦
MapCode : 356 003 082*16
建 立 日 : 1961年 5月 9日
建 立 者 : 松山機関区区友会
種   別  : 慰霊碑
撮 影 日 : 2015年 3月17日


碑  文 故一色好高津吉悦夫徳田昌三ノ三君ハ元松山機関区ニ機関助手トシテ奉職シ昭和二十四年五月九日準急第一列車ニ乗務中不幸ニシテ列車妨害ニ因リ脱線転覆シ此ノ地ニ於イテ殉職茲ニ第十三回忌ヲ迎ヘルニ当ッテ松山機関区々友会ノ発議ニ依リ四国ノ運転関係者多数ノ協賛ヲ得テ本碑ヲ建立スル
  昭和三十六年五月九日  松山気動車区長日野貞應

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