十河信二先生生誕の地
  
碑の背景
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 第4代国鉄総裁の十河信二は1884年4月14日に新居浜郡中村150番地で生まれ、旧制第一高等学校、東京帝国大学で学び、2009年に鉄道院に就職した。 その後、南満州鉄道理事、西條市長、鉄道弘済会会長を歴任した。 1955年5月の紫雲丸事件により第3代国鉄総裁が引責辞任後、誰も成り手がない国鉄総裁に当時71歳であった十河信二が推薦された。 十河は高齢を理由に固辞したが、結局、第4代国鉄総裁に就任することになった。 総裁就任後、広軌新幹線に消極的であった技師長を辞任させ、島秀夫を技師長に就任させた。 1959年には新幹線建設の国会承認を得、世界銀行からの鉄道借款受入れも成功し、技師長の島と共に新幹線建設に取り組んだ。
 1962年の三河島事故では責任処理のために総裁に留まったが、新幹線建設費の予算超過のため、1963年の総裁任期終了で、再任されなかった。 翌年10月1日に新幹線が開業し、その後は技師長であった島と共に「新幹線の父」と呼ばれるようになった。
 西条市では十河を名誉市民第一号とした。 また、伊予西条駅の隣には十河信二記念館や四国鉄道文化館が設けられており、鉄道文化館には0系新幹線車両などが展示されている。 

写  真
基本情報


所 在 地 : 新居浜市中村ニ丁目
        新居浜上部乳児保育園
MapCode : 172 634 169*35
建 立 日 : 1974年 3月
建 立 者 : 新居浜市
種   別  : 顕彰碑
撮 影 日 : 2015年 3月18日


碑  文   第四代日本国有鉄道総裁
   十河信二先生生誕の地
  昭和四十九年三月新居浜市建立


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