紫雲丸遭難者慰霊碑
碑の背景
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 1955年5月11日、瀬戸内海沿岸の海上には濃霧警報が発表されており、場合によっては視界が50m以下と見込まれていた。 高松港では上り8便として出港準備をしていた紫雲丸には修学旅行中の小学生・中学生349名を含め781名の乗客と60名の乗員が乗船していた。 午前6時40分、紫雲丸船長はブリッジから前方視界を確認したところ400m〜500m先の漁船が確認できたことから宇野に向けて出航した。 
 午前6時10分、大型貨車運搬船の第三宇高丸は霧も風もない宇野港を高松に向けて出港した。 6時半頃には視界が悪化し、6時50分頃には霧が濃くなって視界は100m位となった。
 この両船は午前6時55分頃に高松港沖約4Kmにある女木島西方ですれ違う予定であったが、午前6時56分に濃霧の中で左に回頭した紫雲丸の右舷機関室補機復水器付近に第三宇高丸の船首がに激突した。 これにより紫雲丸は停電し船内放送等交流電源を必要とする機器は使用不能となり、衝突後5分ほどで紫雲丸は左舷から沈没した。 
 これにより紫雲丸に乗船していた781名の乗客の内166名が亡くなったが、100名は小中学生であった。
 この事件を機に、本四連絡橋建設の気運が高まることになった。
写  真
 
基本情報
 所  在  地 : 高松市西宝町三丁目
            西方寺境内
 マップコード : 60 603 783*81
 建  立  日 : −−−
 建  立  者 : −−−
 種      別 : 慰霊碑
 撮  影  日 : 2014年 9月 5日

碑  文   昭和三十年五月十一日午前六時五十六分遭難
 紫雲丸遭難者慰霊碑
  日本国有鉄道総裁 十河信二 謹書

  (周囲に遭難者の氏名が刻まれている)

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