四国鉄道発祥之地 |
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碑の背景 コメント |
多度津港から金刀比羅宮に行く参拝客の輸送を目的として1889年5月讃岐鉄道が丸亀−多度津−琴平間を開通させた。 この時の多度津駅は多度津港に隣接した所に設けられ、多度津でスイッチバックする配線となっていた。 1913年に松山方面の観音寺まで伸延したさいに、多度津駅をスルーで運転できるよう、駅が現在地に移転された。 この為、四国鉄道発祥の地碑は多度津駅前にあるこの碑のほかに琴平駅前と多度津町民会館前にもある。 なお、四国で最初に開通した鉄道は伊予鉄道の松山市−三津間で、開業は1888年10月であった。 |
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写 真 基本情報 |
所 在 地 : 多度津市栄町3 多度津駅前 MapCode : 77676122*63 建 立 日 : 1989年 5月23日 建 立 者 : 四国旅客鉄道株式会社 種 別 : 発祥碑 撮 影 日 : 2004年11月 |
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碑 文 | 四国鉄道発祥の地 明治22年5月23日讃岐鉄道株式会社が多度津を起点に丸亀−琴平間(15.5キロメートル)で営業を始めたのが当社の鉄道の始まりです。 そのころの多度津駅は、この地点より西へ約1キロメートル(仲多度郡多度津町大通り、JR多度津工場の西側)の所にありました。 その後、大正12年12月には、多度津駅を予讃線と土讃線の分岐駅として現在の位置に新築移転しました。 当時の多度津は、讃岐随一の交通文化の中心地として栄え、大正2年には、文豪志賀直哉の小説「暗夜行路」の主人公謙作も、尾道から船で多度津に上陸、ここから汽車に乗って金比羅参りをしています。 明治22年の開業式の祝辞で、財田村出身の県会議員、大久保ェ之丞が「塩飽諸島ヲ橋台トシテ架橋連絡セシメバ、常ニ風波ノ憂イナク、南来北行東奔西走瞬時ヲ費ヤサズ、ソレ国利民福コレヨリ大ナルハナシ。」と挨拶し、瀬戸大橋架橋を提案しました。 以来四国島民の夢であった瀬戸大橋は、約1世紀を経た昭和63年4月10日開通しました。 ここに展示してある車輪は、昭和10年から42年ごろまで、四国の山野をかけめぐった、おなじみの8620形蒸気機関車の動輪です。 鉄道開通80周年に際して、発祥の地(旧多度津駅跡)に建立していたものを、100周年を記念してこの地に移転し、永久保存をはかります。 平成元年5月23日 四国旅客鉄道株式会社 |
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