準鉄道記念物     
車両航送発祥の地

  
碑の背景
コメント
本州と九州・四国・北海道は鉄路で結ばれているが、関門トンネル・本四連絡橋・青函トンネルが完成する前、これらの区間は連絡船によって旅客・貨物は輸送されていた。 連絡船による輸送が始まった時には、貨物は貨車から艀に積み替え、タグボートに引かれて対岸まで運び、艀から貨車に再度積み替えるという作業が行われていた。 1911年に宮本高次が伝馬船に甲板をつけて線路を引いた艀を試作した。 この艀は7トン積みの貨車を3両積めるもので、1911年10月よりこの船による車両航送が始まった。 これにより貨車から艀、艀から貨車という貨物の積み替え作業が無くなり、輸送が効率的に向上した。 なお、青函航路での貨車航送は1914年12月、宇高航路での貨車航送は1921年10月から始まった。

写  真
基本情報


所 在 地 : 下関市竹崎町4−4
        下関 シーモール 壁面
MapCode : 16711515*46
建 立 日 : −−−
建 立 者 : 日本国有鉄道 中国支社
種   別  : 発祥碑
撮 影 日 : 2009年 3月13日


碑  文  本州・九州間の国鉄貨物輸送に大変革をもたらした貨車航送は鉄道院から下関・小森江 (北九州市門司区小森江笠松町)間の航送作業を請け負った宮本高次(下関市宮本組)が明治四十四年三月一日から試航送を行い同年十月一日鉄道院はこの航路を関森(かんしん)航路として正式に営業を開始しました
 宮本高次はかねてから貨車航送について深い関心をよせ航送作業を請け負うに当り私財を投じて七トン貨車三両を積載する艀三隻とこれを曳航する小蒸気船三隻を建造し当時の困難な海陸連絡輸送を打開しました
 この貨車航送はわが国の車両航送のはじまりであり当時の下関側発着場がこの地点です
    昭和四十一年十月十四日指定

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