山陰鉄道発祥の地 米子 |
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碑の背景 コメント |
1902年11月山陰地方で最初の鉄道が境−米子−御来屋間で開業した。 境−米子間は現在の境線、米子−御来屋間は山陰本線である。 この後、御来屋から上り方、米子から下り方に逐次線路を延ばしたが、その際には境港で陸揚げされた資材を境線経由で運搬した。 この為、山陰地方の鉄道発祥の地として米子と境港の地に碑が建立された。 |
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写 真 基本情報 |
所 在 地 : 米子市弥生町2番地 米子駅前 MapCode : 109325349*27 建 立 日 : 1997年 7月吉日 建 立 者 : −−− 種 別 : 発祥碑 撮 影 日 : 2006年11月 4日 |
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碑 文 | 「陰陽線なる境鉄道の開通式を伯耆米子町に挙行し、試運転を行ヘリ。来会者一千余名(中略)同地は一帯に国旗、球灯をかかげ、歓喜の様、非常なり(後略)」。 明治35年(1902)11月1日、境−米子−御来屋間35kmの開通式の模様を当時の新聞はこのように伝えている。 山陰で鉄道が敷かれたのは境線が最も古く、やがて山陰本線、伯備線が開通した。 鉄道の開通によってそれまで盛んであった米子の海運は衰えたが、経済・社会の近代化は大きく促進された。 米子市は昭和2年(1927)4月の市制施行後も交通の要地という地の利を得て山陰の中核産業都市として発展し、今日に至っている。 山陰鉄道建設、発展につくされた先人の功績をたたえると共に、21世紀における更なる発展を願って、ここに記念碑を建立する。 平成9年7月吉日 |
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車輪解説 | C57型蒸気機関車主動輪 C57型蒸気機関車は昭和12年(1937)以降旅客列車用として201両製造され、数ある蒸気機関車の中でも最も機能美を備え、その雄姿は「貴婦人」の愛称で親しまれました。 C5743号は全国各地で活躍し、昭和43年米子機関区配属となり、山陰本線の旅客列車の花形機関車として走り続け、昭和44年にその任務を終えました。 動輪の直径 1750m/m 動輪の重量 3.5t 最高時速 100km/h 製造 昭和13年(1938)三菱重工業KK 客車車輪 明治30年代にマッチ箱と言われた客車に使用されていた英国製の特殊車輪で、タイヤ・スポークなどがボルトによって組み立てられた珍しい車輪です。 車輪の直径 790m/m 製造 明治19年(1886) 英国 SHEFFIELD CAMEL&CO 車軸の刻印 PATENT. SHAF&AXLETREE.CO SIEMENS STEEL. 12.1901 |
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