旧国鉄篠山線村雲駅跡
  
碑の背景
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篠山線は太平洋戦争中に丹波地方で産出されるマンガンや硅石の搬出と山陽線のバイパス路線として福知山線篠山(現篠山口)〜山陰線園部間を結ぶ鉄道として建設された。 1944年3月21日に篠山口〜福住間17.6Kmが全線単線、1閉塞で開業した。 しかし、翌年には太平洋戦争も終わり、バイパス路線も不要となったことから、福住〜園部間は建設されなかった。
村雲駅は開業と同時に開駅したが、1972年3月に篠山線廃止と同時に廃駅となった。

写  真
基本情報


所 在 地 : 篠山市向井
MapCode : 155 892 680*84
建 立 日 : 2008年 1月 1日
建 立 者 : 篠山市人権・同和教育研究協議会
       篠山市教育委員会
       篠山市向井老人クラブ楽生会
種   別  : 跡地碑
撮 影 日 : 2013年 6月13日


碑  文     旧国鉄篠山線村雲駅跡
 ここに篠山線の村雲駅がありました。かつて客車とともに、鉱石を運ぶ貨物列車が行き交っていました。村雲駅では村雲大芋地区から産出された硅石が溢れんばかりに積み込まれました。
 篠山線の敷設工事は戦時下の1942(昭和17)年10月22日に始められ、1944(昭和19)年3月21日に篠山口−福住間が開通しました。戦争遂行のためのマンガン鉱石や硅石の運搬を主な目的としていました。敷設には多くの朝鮮人が従事したと伝えられています。
 翌年戦争は終わり、一転、篠山線は戦後復興という大切な目的を担って、地域住民の交通手段として親しまれるようになりました。しかし、鉱山の廃坑にともない、次第に貨物輸送も乗客も減少し、住民の強い存続運動にもかかわらず、1972(昭和47)念月1日、ついに廃線に追い込まれました。
 村雲駅では駅名標が記念として残されました。この一帯には、当時の人々の思いとともに、たくさんの硅石が埋められています。
 この記念碑は、篠山線敷設のために土地を提供した向井地区の老人クラブ楽生会の尽力により建立されました。
   2008年 1月 1日
       篠山市人権・同和教育研究協議会
       篠山市教育委員会
       篠山市向井老人クラブ楽生会

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