鉄道工事中職斃病没者招魂碑
  
碑の背景
コメント
久谷八幡神社の境内に「鉄道工事中職斃病没者招魂碑」と刻まれた石碑がある。 この鉄道工事は山陰線香住−浜坂間の工事で、1912年3月にこの区間が開通した事より山陰線は京都から出雲市までがつながった。 この区間の工事は1908年に始まったが、餘部鉄橋(延長310.59m、高さ41.45m)建設と桃観トンネル(1991.91mで山陰線の中では最長トンネル)掘削という難工事があり27名の犠牲者を出した。 この碑にはこれらの犠牲者の名前が刻まれているが、その中の7名は朝鮮人名である。 明治末期には朝鮮からの作業員が各地で建設工事に携わっていたが、慰霊碑に日本人と並んで朝鮮人名が刻まれた碑は少ない。 

写  真
基本情報


所 在 地 : 美方郡新温泉町久谷字桑替
        久谷八幡神社
MapCode : 365737699*44
建 立 日 : 1911年10月 1日
建 立 者 : −−−
種   別  : 慰霊碑
撮 影 日 : 2008年 9月 4日



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