弔魂碑
  
碑の背景
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京都市右京区花園にある妙心寺は無相大師によって1342年に開山した。 妙心寺では開山様(無相大師)が亡くなって50年毎に行われる大法要を”遠韓(おんき)”といい、遠韓団参(団体による参拝)が行われている。 この事故があった昭和34年〈1959年)は開山様600回忌にあたっており、この臨時列車も遠韓に参列される方のためのものであった。 
福知山発溝口行臨時列車(7両編成)はC545が逆行で牽引していたが、生野トンネルは開口面積が狭く、25パーミリの上り勾配の難所であり、煙にまかれた乗務員が意識を失い、加減弁を引いたまま、峠を越え、生野駅での通票交換も行えず下り勾配を駆け下りた。 列車は真名谷トンネル北側で脱線・転覆し機関車と前部3両が大破した。 機関車は逆行で炭水車がトンネル側壁に衝突したことにより、運転台は炭水車とボイラーにより押しつぶされてしまった。
この事故の後、播但線では蒸気機関車の乗務員に対して非常用のガスマスクが支給されるとともに、事故の翌年からは生野峠を上るためにDF50が補機として配備された。

写  真
基本情報


所 在 地 : 神崎郡神河町渕
MapCode : 347 151 596*70
建 立 日 : 1983年 4月
建 立 者 : −−−
種   別  : 慰霊碑
撮 影 日 : 2013年 6月12日


碑  文 昭和34年4月6日未明この地において神崎郡の妙心寺参拝団を迎えるべき臨客第8630列車が脱線転覆し乗務中の
  豊岡機関区機関士  成田政夫  35才
  同   機関助士  尾形浩之  24才
の2名が殉職した
列車はC545号機が逆行で定数を牽引していたもので生野隧道内での登坂にあたり乗務員は逆風が追い上げる猛煙と熱気の中で懸命の投炭と操縦に力尽きて窒息し生野駅での通票授受もないまま逸走して惨事に至ったと推定される
ここに故人の25回忌を迎えその痛恨の死を悼みつつ二柱の霊安からんことを祈念してこの碑を建立する
   昭和58年4月
                  有志一同   

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