武庫川橋りょう |
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碑の背景 コメント |
1899年3月阪鶴鉄道は三田駅〜篠山駅(現在の篠山口駅)間を伸延させた。 阪鶴鉄道は篠山駅の手前まで武庫川と付かず離れずに敷設されているが、1899年に伸延させた区間では広野駅の手前で武庫川の左岸から右岸へと横断をしてる。 この碑は広野駅の駅舎の前に置かれている。 この橋梁の銘板(写真の左側にある四角い銘板)を見ると 着手 昭和29年11月1日、竣功 昭和30年3月30日 となっている。 この事から、写真の橋梁は鉄道敷設から2代目のもので、現在の橋梁は3代目のものと思われる。 |
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写 真 基本情報 |
所 在 地 : 三田市広野字下野間5-1 MapCode : 155 338 008*81 建 立 日 : 1997年3月 建 立 者 : 広野商店会 種 別 : その他の碑 撮 影 日 : 2013年 6月13日 |
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碑 文 | 鉄橋「武庫川」 日本で始めて鉄道が、開通したのは明治五年、神戸と大阪間が結ばれたのは二年後の明治七年、五年後の明治十年には、京都〜神戸間が開通しました。 当時、三田では、阪神間への物流の手段として、武庫川に水路を開いて川船を走らせたものの、あえなく頓挫したときでした。 明治三十二年には、計画から開通まで、紆余曲折を乗り越えて阪鶴鉄道が開通し、舞鶴〜大阪間を乗り換えなしで結び、人や物の流れに大きく貢献しました。 その後、明治三十九年には、「日本国有鉄道法」の施行により、国に買収され、明治四十年には、国有鉄道「福知山線」よなり、阪鶴鉄道の幕は閉じました。 この間、華々しく見送りを受けて戦地に向かった人。 ・・・・・終戦で幸いにも生きて故郷に帰還した人。 ・・・・・食糧難時代の車内の輸送光景。 ・・・・・等時代に移る風景は、時と共に変化しました。 現在は通過する人。 ・・・・・旅にでる人。 ・・・・・この地へくる人。 ・・・・・等々、広野駅、鉄橋武庫川は、そんな多くの人々の姿を見つめてきました。 平成九年三月吉日 広野商店会寄贈 |
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