開設記念 |
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碑の背景 コメント |
1912年3月に香住−浜坂間が開通した事より山陰線は京都から出雲市までがつながった。 この区間が開通した際には鎧駅と居組駅が設けられたが余部地区には駅は設けられなかった。 余部地区では駅開設を働きかけ、1959年4月に餘部駅が開業した。 この駅は余部鉄橋のすぐ横にあり、余部の部落からは急坂を高度差40m位登らなければならない。 また、この駅の駅名と地区名は「あまるべ」であるが漢字では餘部と余部となり、異なる表記がされている。 これは姫新線に余部(よべ)駅があったために、駅名の漢字表記を変えたことによる。 |
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写 真 基本情報 |
所 在 地 : 美方郡香美町香住区余部 餘部駅 MapCode : 365832427*56 建 立 日 : 1959年 4月16日 建 立 者 : −−− 種 別 : 開通・開駅碑 撮 影 日 : 2008年 9月 4日 |
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碑 文 | 余部駅建設に従事する地元の子どもたち 明治45年3月に山陰本線が開通しても、ここには長い間、駅がありませんでした。 余部の人々は駅ができるまでは、香住・浜坂方面に行くために余部鉄橋を渡り、4つのトンネルを抜けて鎧駅まで歩いて行かねばなりませんでした。 そこで、余部の人々が昭和30年頃から当時の国鉄に駅設置を強く働きかけ、さらに余部小学校児童も当時の県知事に設置を願う手紙を書くなどした結果、ようやく余部駅ができることとなりました。 駅の建設が始まると、余部の子どもたちは、大人と一緒に力を合わせ、海岸から石を運び、駅までの道やホームを造り上げました。 そして、昭和34年4月に念願の余部駅が完成したのです。 この壁画は、平成3年11月に土曜ふれあい学級の取り組みとして、昭和34年当時の余部駅建設の様子を再現したものです。 下絵は小学校教師が担当し、ペイント作業には余部小学校の児童を始め、教師や保護者も一緒になって壁画を完成しました。 平成17年10月 香住町・香住町教育委員会 |
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